第31話 人跡

 洞窟の中を突っ走る。足が岩に引っかかって転ぶ。顔面を打ち、鼻から血が出る。


 痛い!

 どうして僕がこんな目に遭うんだ……!


 思う。


 それも全部時坂のせい!!

 畜生畜生畜生!!!

 僕はもう破滅だ!!!

 全部全部全部あいつのせい!!!


「畜生!!」


 叫んで僕は立ち上がった。

 とにかく逃げるしかない。さっき逃げるときに洞窟の外に出られたらよかったけれど、僕の立ち位置的にそれは不可能だった。このまま洞窟の奥に向かうしかない。この先がどこかに繋がっていればいい。もしそうでなければ、僕は……!


 暗闇の中を30秒ほど進む。やがて目の前に岩の壁が現れた。ゴツゴツしていて固い。触って確かめる限り、崩れそうな場所はなかった。ここが洞窟の行き止まりなのだ。


 終わりだ!!

 もう終わりだ!!

 僕は最期なんだ!!!


 僕は心の中で泣き叫ぶ。


 もう僕は捕まるしかない。ならば一矢報いてやろうと、僕は近場に身を潜められる場所を探した。


 不意を打ち、時坂だけでもぶっ殺す!


 そう思って僕が足元を探していると、


「?」


 一瞬、何か薄い金属の板みたいなものに手が触れた気がした。その辺りを探ると、不思議なことにでっぱりがある。暗くて良く見えないから確実なことは解らないけれど、何かの取っ手のように思えた。表面がかなり錆び付いている。

 そういえば、洞窟の奥にしてはやけに涼しい。洞窟の入口から風が入り込んできているんだ。ってことは、もしかしてこの取っ手って……!?

 僕が取っ手を持ち上げると、開けた途端、僕の背中から穴の奥に向かって風が勢いよく吹き込む。その穴の壁の側面には、ホッチキスの芯みたいな『コ』の字型をした金属製の出っ張り……足場のようなものが備え付けられている。それは、どう見ても梯子だった。


 やっぱりこの島には人が……!?

 でも、どうしてこんな所に!?

 謎は深まるばかり。

 だけどこうしていられない。追いかけて来る時坂から逃れるため、僕は梯子を降りる事にした。


 梯子を暫く降りると、やがて風の流れが遅くなる。

 たぶん空間が広がったのだろう。でも暗すぎて何がなんだか解らない。闇の中に辛うじて線みたいなものが見えるだけだ。どこに繋がっているのだろう?


 なんて僕が思いながら梯子を下っていくと、ようやく足先が地面に着いた。僕は伸ばした手を頼りによろよろと辺りを歩く。


「!?」


 すると次の瞬間、完全に暗闇だった世界に白光が満ちた。それは久しぶりに見る人工の明かりだった。眩しくて立っていられず、よろけて近場の手すりみたいなものに掴まる。

 徐々に光に慣れてきた僕は、そっと目を開けた。

 僕が今居るのは、廊下。といっても学校とかじゃない。病院、あるいは研究所に見える。壁の素材は分厚いコンクリートでできていた。コンクリートは生で剥き出しだった。触ると物凄い冷たい。

 この廊下はかなり奥の方まで続いていた。所々薄暗く、照明が切れている。また経年劣化のせいだろう。壁紙が捲れたり、僕が今掴んでいる手すりにも赤錆が付着していた。


 な、何かの施設かな……!?

 でもどうして洞窟の奥にこんな場所が……!?


 無人島の洞窟の奥にあった人工の施設。それだけでも物々しいのに、ここは恐らく廃墟だった。正直恐ろしくて足が震えそうだけれど、それでも僕は先に進むしかない。なぜなら時坂が追ってくるから。

 僕は一歩一歩辺りを警戒しながら進んだ。やがて廊下の突き当りを右に曲がると、巨大なドアが視界一杯に広がった。


「……!」


 そのドアはまるで倉庫とかの入口に使うような奴で、とにかくでかい。高さは10メートルくらいある。

 これはたぶん防爆扉って奴だろう。軍の施設とか、爆発の可能性がある研究所とかで使われる奴。マンガで見た事ある。でも僕が一番驚いたのは、高さ10メートルあるその扉の一部が、中からぶち破られたみたいにひしゃげていることだ。中で大爆発でも起きたのかな。


「っ!!!」


 そして奥に足を踏み入れた時、僕は更に驚いた。なぜならそこに、僕たちを襲ってきたあのサルが居たからだ。

 でも、僕を見つけても動かない。よく見るとサルは模型だった。精巧につくられた1分の1サイズの模型。

 なんでこんなものがある?

 他にもこの部屋だけど、床には建材か何かの破片が散らばっていて埃っぽかった。良く見ると、さっきの猿の模型の他にも、DNAのらせん構造とか、赤くて小さな桃……ネクタリン? を模した模型のようなものも散らばっている。奥の方には大型の動物でも入れるような檻……ケージみたいのが上下に積み重なって並んでいて、幾つかには布がかぶせられている。少し獣臭い。中には物凄く大きなものもあって、それらの殆どは内側から破壊されていた。猛獣でも入れられていたのだろうか。その手前の壁には大きなボードが掛けられており、そこにはピンで次の文章が張り紙されていた。


『総合バイオサイエンス』


 ・日本分子生物学研究所の新設およびゲノム基礎科学研究所の機能移管について

 東夷生物医療化学株式会社(以下、「東夷医療化学」)と大日本東夷製薬株式会社(以下、「大日本東夷製薬」)は、2001年3月9日付で鳥島に日本分子生物学研究所(以下、Japan Molecular Biology Laboratory:JMBL)を新設し、同研究所に大日本東夷製薬のゲノム基礎科学研究所の研究機能を全て移管することといたしました。

 ゲノム基礎科学研究所は、両社で実施していたゲノミクスなどの先端技術を活用した人類革新のためのバイオサイエンス関連研究を集約し、1998年に東夷製薬株式会社(現:大日本東夷製薬)内に設立され、両社が共同で運営管理してきました。これまでに分子生物技術など複数の分野において基盤技術を確立し、それらの医薬や農学研究等への活用を通じて国定事業に大きく貢献してきました。


 ・JMBL


 JMBLの設立により、東夷医療化学は統合バイオサイエンス部門における研究開発体制を一層強化します。また大日本東夷製薬においては、東夷医療化学との共同研究を通じてバイオサイエンスに関する幅広い視点を医薬品創製に加えると同時に、医薬品以外の未来技術そして農学分野ビジネス等への展開も視野に入れた研究活動を行います。それにより東夷医療化学と大日本東夷製薬は、医薬、農学、食品産業等をはじめとする幅広い研究活動において、JMBLの機能を最大限に活用し、東夷化学グループとしての更なる人類技術革新のための社会貢献を目指してまいります。


 以上


 日本語で書かれているのは、これだけ。他には英語で走り書きみたいなものがされてる。筆記体は解らないしそもそも英語があんまり特異じゃない僕には殆ど解らなかったけれど、多分あってそうなのは『Semi synthetic organism with 6 genetic codes』……六つの遺伝子コードによる半合成生物……? って言葉と……あとは『monster』……モンスターって、ゲームとかに出てくる化け物のことか? 他には『human of the most extreme nature』……究極の人類……いったいどういう事なんだ……?

 とにかくここは何かの研究施設だったらしい。しかも記事に書かれている日付は2001年。今から20年以上も昔に、こんな辺境の島の地下でいったい何が行われていたんだろう。あの化け物みたいな怪力を持ったサルや、桃にも関連性があるんだろうか。疑問に思う。


 そうか。

 ひょっとして……!


 今読んだ記事、そしてここにある設備を元に、僕は次のような推論を立てた。

 もしかするとこの島は、ここに書かれている企業の秘密の研究所だったんじゃないだろうか? 一部の科学者たちが島を買い取り、その地下で究極の人間をつくるための研究をしていた。あの桃はその副産物。この島の植生がおかしな事になっていたのも、この研究所で研究していた植物が外に漏れだした結果とかなら辻褄があうかもしれない。

 だけどなんでそんな事を? それになぜ放棄されたんだろう。文章を読んだ感じ、かなり大きなプロジェクトだったみたいだけど、それがこんな杜撰な形で放棄されているのはかなり異様に感じる。まるで手が出せないみたい。


「……」


 今となっては、解らない。これ以上は何か新しい情報を得ないかぎり解らないだろう。だけど僕の推論があっているとすれば、あの巨大なケージの中に居た生物はたぶん『究極の人間』って奴だったんじゃないだろうか。そして内部から割れてるということはつまり、その究極の人間なるものが外に出て、今もこの研究所をうろついてたりするとか。

 ……。

 そんなわけ、ないよな? 20年前だし、さすがにエサなくなるでしょ。きっと研究所の廃棄と同時に処分されたに違いない。

 それより早く逃げよう。こんな謎解きゴッコしてる場合じゃない。時坂が来る。あいつの事だから、既にさっきの梯子を見つけて追いかけてきている可能性が高い。早く逃げないと。


 僕はそう思いさっさと部屋を出た。


「……!」


 そして来た道を引き返そうとした時、


 ズズン……!


 地響きがした。少し離れた場所で、たぶん柱かなにか崩れたのだ。地面もグラグラ揺れる。


 なんだろう……建物が古くて崩れたのかな?

 それか何かが爆発したか……!?


 なんて思ったのも束の間、今度は不思議な音が聞こえる。ゴッゴッゴッというこの音はなんだろう……生き物の、声……? 廊下の向こうからだ!

 なになに!?

 なんなの急に!?


 ドガシャアアアアアアッ!!!!


 僕が恐怖に慄いていると突然、轟音と共に廊下の壁の一角が崩れた。濛々と塵芥の巻き上がるその向こうから現れたのは……!


「!!?!?!?!??」


 廊下の壁を打ち破って現れたのは、浜辺で僕らを惨殺したあの巨大なサル……いや、もはや化け物と呼ぶしかない生き物だった。

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