第25話 牢

 翌朝。

 計画通り、僕は牢屋に入れられていた。牢は洞窟の奥の方にある。陽の光が差さないこの場所はかなり居心地が悪い。風通しだけは悪くないのが幸いだった。恐らく洞窟の奥がどこかに通じているんだろう。

 牢の作りは簡素なものだった。部屋の三方は天然の土壁に囲まれており、一面のみ乾いた木の幹と太い枝を交差させて作った柵が設置されている。その柵の一か所にだけ子供が出入りできるサイズの扉が設けられているといった具合だ。扉には大きな木の板が掛けられ、加えて丈夫な縄でぐるぐる巻きにされているため、脱出しようとすれば時間がかかる。扉の向こうには常時誰かが立っているから、脱出しようとすれば一瞬でバレるだろう。

 もっとも、脱出なんてするつもりはないけれど。わざわざ牢屋の中に入れられてるのはアリバイ作りのためだ。会長を殺したあの日に、僕がした事は以下の3つ。

 1つはまず会長の死体の始末。まず死体が見つからないように会長の体を隠した。幾ら時坂が素人とはいえ、死体検分をされれば僕にとって不利な事実が見つかる可能性がある。例えば付着した蜜とか。そうなれば一気に疑いを掛けられる可能性が高い。だから本当は死体を海にでも流したかったんだけど、脱力した人間の体は意外と重くて僕一人の力じゃ運べなかった。だから仕方なく近場に埋めた。ただ初めからくぼんでいる場所を選んだから、警察犬でも使わない限り見つからないはずだ。

 次に、僕は会長の頭を石で何度も殴った。これは偽物の凶器を用意するため。

 そして最後の1つは、僕の精液がこびり付いたパンツだ。といっても僕のパンツじゃない。会長が履いていたパンツ。これを用意するために僕は会長の死体に覆いかぶさり、彼女の腰を使って何回もオナニーをした。


『会長……っ!』

『好き……!』

『僕のものになれ……!』


 僕は暗示をかけるように、会長の耳に囁きかけながら何度も自分の股間を会長の腰に押し付けた。そのまま下着の上に射精する。人を殺した今だから言えるけど、死体とするのって案外気持ちいい。ひんやりしてるのと、相手が動かないってのがもう最高中の最高。会長は美人だし、今思えば死姦も試せばよかったと思う。だけど埋めちゃったからそこは残念。アーメンソーメン南無阿弥お陀仏。

 ともかく僕はそういう訳で、偽の凶器である石ころと会長のパンツを共同トイレの近くに隠し、そのまま何食わぬ顔で帰ってきたのだった。後は時が来るのを待つだけ。


「は、花蜜くん……!!」


 なんて僕が考えていると、今日の見張り当番なのだろう、デブの佐々木が棒切れを片手に僕の所にやってきた。


「蜜……頂けませんでしょうか……?」


 開口一番に訊いてくる。


 こいつ自分が見張り番って自覚あるのか? まあこいつ極度の食いしん坊だし、それにも増してストレスで甘いものが欲しくてしょうがなくなってるんだろうな。まあ解らなくもない。


「もちろん」


 そんな彼女の要望を、僕は満面の笑顔で受け入れる。柵越しに差し出された佐々木のハンカチで体を拭き、それを彼女に返した。

 彼女は何度もペコペコ謝りながらハンカチを受け取る。謝るくらいなら貰わなければいいのに。


「……」

「何か浮かない顔してるね。どうしたの?」


 僕は尋ねる。これも気遣いの範疇だ。

 身動き取れない僕にとって、こいつは貴重な人材だ。

 ご機嫌は取っておく。


「実は……時坂くんから禁止されてて……」


 するとデブが面白い事を言い出した。


「何が?」


 即座に聞き返す。


「その……蜜を……貰うのを、です……」

「え、それは酷いね。僕なんかでよければいくらでも協力するのに」

「い、いえ……禁止を決めたのはみんなの多数決で……!」

「そうなんだ。でもそれなら代わりの食料を探さないとね。みんなちゃんと食べれてる?」

「………………最近は、あんまり……」


 そう言って、佐々木が自分のお腹を撫でた。


「そっか。いくら時坂くんでも、何でもできるわけじゃないものね?」


 僕は嬉々として言いそうになる。


 ああ、内心の喜びを押さえるのが難しい……!

 時坂の奴、どうやら食糧集めに困っているらしい。当たり前だ。僕らのような若者が一日に必要とする摂取カロリーはどんなに少なく見積もっても1600キロカロリー。それに対して小カニや貝のカロリーは大きく見積もっても一個当たり20キロカロリー。全然足りない。それこそハチミツでも舐めない限りは絶対に足りないのだ。これで時坂に対するみんなの評判もどんどん落ちるぞ。


 僕は内心ほくそ笑みながら、牢屋に入るときに飲料用として渡された500ml入りのペットボトルを佐々木に渡した。そのペットボトルの中には、この2日間で僕が掻いた蜜が並々と入ってる。何も知らない人が見たらアカシア蜂蜜かってくらい綺麗。

 実は最近、蜜の量のコントロールができるようになってきた。蜜がどういう条件で出やすいかが解ってきたのだ。それは恐らく僕の感情が関係している。僕が蜜を大量に分泌する時は、いつも決まって感情が激しく動く時だ。焦ってたり、緊張している時に汗が蜜に変わる。後は汗だけじゃなくて体液全般が蜜に変わるみたいなのだ。例えば泣いたりすると涙や鼻水が蜜に変わったりするし、たぶん僕の体液なら何でも蜜になり得るんだろう。その気になれば、ションベンとかでもできるんじゃないか。さすがに試すつもりはないけど。


「こ、これは……?」

「こっそり溜めておいたんだ。全員が全員、僕の蜜を舐めたくない人ばかりじゃないでしょ?」

「花蜜さん……!?」


 そう言って僕が蜜を渡すと、佐々木が縋るような目で僕を見上げた。

 僕は満面の笑みを見せる。さながら洞窟に住まう聖者のように。


「ありがとうございます……!」

「いいんだよ。これもみんなのためだからね」


 これで少なくとも佐々木の僕に対する評価が上がった。上手く行けば佐々木を介して僕の蜜を受け取った連中の評価も上がるだろう。だがそれよりも期待しているのは、集団の中に不公平な状況を作る事だ。『こっそり僕の蜜を貰ってる連中がいる』なんて事を僕の蜜を我慢している連中が聞けば、必ず大問題となるだろう。そうなれば集団の結束は弱まって、いずれ対立する。

 その対立の中からは僕に対する共鳴者シンパが生まれる可能性が高い。そうなれば後々僕をリーダーとするような動きにも繋がるだろう。時坂が会長殺しの犯人になれば、ほぼ確実に。仮にそうならなくとも、対立すれば付け入る隙が生まれる。その時にまた新しい手段を考えればいい。考える時間は無限にある。


「僕なんかでよければ協力するから。もし佐々木さんの他にもお腹空いた人が居たら、僕の所へ来るように言って」

「は、はい……!」


 これでいい。





 果たして、僕が期待した出来事はその2日後に起きた。

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