第23話 蜜の魔力

 僕がその事に気付くまで、たっぷり十数秒を要した。


 会長が動かない。僕という男子が直接伸し掛かり、両脇に手を突いている状況にも関わらず、会長はピクリともしなかったのだ。もちろん僕に身を委ねているからじゃない。体から力が抜けている感じだった。恐る恐る会長の顔を見上げる。会長の頭の下にあるのは、灰色をした岩。火山岩という奴なのか、表面がかなりゴツゴツしている。そこから垂れてきたのは赤い色をした液体。


 ま、まさか……!?


 僕は慌てて身を起こした。


 気絶してるんだよね!?


 そう思って会長の肩を叩く。


「会長! 会長!?」


 何度も呼びかける。

 会長は、起きない。

 更に会長の顔に触れる。後頭部に手が当たると、赤いものが付着する。触れただけで怖気が奔る、そんな生暖かさ。それは大量の血液だった。最後に僕は、まだ鮮やかな血色をした彼女の唇に触れる。


 会長は……息をしていない……っ!!


「……」


 僕は会長の体の上に覆いかぶさったまま、ただ呆然と空を見上げていた。


 ああ……!! 僕は会長を殺してしまったんだ……!!






 会長が死んでから数分。

 今僕は森の中を歩き回っている。

 いちおう洞窟には向かっているけど、そのまま帰る訳にもいかなかった。なので洞窟の周りをグルグルしている。

 状況を整理しよう。会長は死んだ。これは間違いない。呼吸していなかったし、脈も無かったから確実だろう。会長の死体は今も同じ場所にあるけど、これから一体どうしたらいいのか解らない。今僕は頭が真っ白になっている。これまでの比じゃないぐらいに。


 考えろ……! 考えるんだ、僕……!!


 とはいえ人を殺したこと自体はそれほどショックじゃなかった。今僕が悔いているのは、会長を殺してしまったという事。会長は大変優秀な人物だった。僕の恋人にさえなってくれれば、きっとその優秀さを十分に活かしてくれただろう。そんな尊い命が失われてしまった事が非常に悲しい。そして一番の問題は、それをやったのがこの僕だという事だ。

 洞窟には帰れない。帰ればいずれ事が発覚するだろう。何故なら会長が最後に会ったのが僕である事を時坂が知ってる。彼がそれを告げれば、みんな僕の犯行を疑うだろう。例え証拠が見つからなかったとしても僕は裁かれる。ここは法治国家じゃないから、皆から疑われればそれでおしまい。恐らく僕は私刑リンチを受ける。現副リーダーの時坂は格好つけだから、即刻処刑って事はないだろうけれど、それでも良くて監禁、悪ければ洞窟からの追放を受ける。そうなれば死ぬしかない。処刑の可能性だってゼロじゃないし、今の状況は危険すぎる。


「……」


 でも洞窟に帰らない訳にもいかない。なぜならここは無人島。危険なサルがいる以上はとてもじゃないが生きていけないだろう。だけど帰れば、いずれ僕が犯人として捕まる可能性が高い。


 ああ……どうしよう……!


 どうにかして、会長が死んだことをうやむやにできないだろうか。もしくは他の誰かに罪を擦り付けるとか。例えば……時坂とかに。


 そんな風に僕がヤシの葉陰で一人考え込んでいると、


「あ、花蜜くん……!」


 前方の木陰に女子が立っていることに気付いた。それは文芸部の佐々木ささき千奈せなさんだった。お菓子が大好きでカバンにいつも大量のお菓子を入れているぽっちゃり体形の女子。彼女は奉日本さんの友達で、大分前に船で先生たちとトランプしていたのを覚えている。


「な、なに……?」


 僕は咄嗟に笑顔を取り繕う。

 彼女はこの島に来てからは若干痩せたように見えるけれど、そのせいか余計に気色悪く見えた。外見的にはアピス以上のゴミだ。そんな女が今両手を後ろに組んで、こちらを伺うような姿勢で僕を見ている。


 僕に何の用だろう。

 まさか、会長を殺したところを見られたとか?


「……」


 佐々木さんは黙ったままだ。彼女の態度を見るに、どうやら言い難い事があるらしい。これはやはり見られたのかもしれない。だったらこいつも殺すしかないけれど。


 そう思った僕は、近場に手ごろな凶器がないか探した。ちょうど僕の斜め前に佐々木さんを撲殺できそうな石が転がっている。あれでこの女をブチ殺すしかない。


「あ、あの……」


 なんて僕が浮かべた笑顔の裏で思っていると、ようやく佐々木さんが口を開いた。


「……なに?」


 僕は尋ねる。

 どんな時も平静を装えるような器用さを持ち合わせない僕は、言葉の端にも明確な殺意が出てしまいがちだった。だからそれを誤魔化すために精いっぱい微笑む。ニッコリ。

 すると佐々木さんは漸く話す決心をつけたのか、僕に合わせるようにちょっと怯えたように微笑んだ。そして、


「ご、ごめんなさい私我慢できなくって……その、花蜜くんの『蜜』を下さい……!」


 言った。

 小汚いチューリップ柄の白いハンカチを僕に差し出してくる。


 は……!?

 なんだそんな事か……!!!


 僕はホッと一安心した。


 そうかこのデブ、腹が減ってたんだな。それならよろしい。さっさと蜜を上げてご退散願おう。こんな所でうようよされてたら、会長の死体が見つかってしまうかもしれない。


 そう思い僕がハンカチにたっぷり蜜を染みこませてあげると、


「あ、ありがとう……」


 佐々木がペコリ頭を下げて言った。かと思うと、無心になって蜜漬けになったハンカチをしゃぶっている。僕は笑顔でその様を眺めていた。


 取りあえずは一安心。

 だけど問題は解決していない。時坂が居る以上、いずれ僕は犯人にされるだろう。洞窟のメンバーはクズばかり。犯人の疑惑が浮かんだ時点で処刑されかねない。


 そう思った時、僕の脳裏に美味しそうに蜜を舐めている佐々木の姿が入った。


 そうか、こいつは食いしん坊。こんなサバイバル状況では僕の蜜に依存するしかない。だったら僕が蜜を上げると確約すれば、見返りにある程度の事はしてくれるのではないか。もしそうならこいつを使って僕の未来をなんとかできないだろうか?


 僕は考える。


「……!」


 その時僕の脳裏に一本の勝ち筋が浮かんだ。僕の疑惑が晴れるってだけじゃない。同時に全ての罪を時坂に擦り付け、僕が会長亡き後の集団を支配する。そんな勝ち筋だ。

 ただし計画を実行するにはこいつ一人じゃ足りない。せめて後もう一人手駒がいないと。そうだ、立花アピス。あいつはどういう訳か僕に好意的だから、きっと僕のお願いを聞いてくれるだろう。この二人をうまく使えれば、僕は逆転できるかもしれない。


 そう思い、僕は会長の死体がある方角を見た。

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