第21話 水風呂

 僕がそんな寒空の下、クソ冷たい水に腰まで浸かってプルプルしていると、


「そこに居るのは、花蜜か?」


 背後で聞き慣れた声がした。この声は会長だ。


「って、えっ!? か、会長!?」


 危うく振り向く所だった。僕の裸なんか見せたら公然わいせつ罪で捕まりかねない。ここ無人島だけど。


「色々やっていたらこんな時間になってしまってな。体が汚れているから浸かりたい。構わないか?」

「はっ、はい……どうぞ……!」


 断れるはずがなかった。

 顔だけ捻じ曲げて後ろを見ると、会長は反対側の木陰に居る。夜陰に紛れているので、肌は殆ど見えない。


「「……」」


 暫く無言の時間が流れる。

 冷たく冴え渡った森の空気に、バチャバチャという水音だけがしている。会長は恐らく体に水を掛けているのだろう。緊張する。


 ああ、どうしよう……!

 せっかく会長と二人きりなんだ。この機会にぜひとも仲良くなりたい……!


「かかかっ……会長って、小さい頃はどんな感じだったんですか……?」


 そう思っていたから、僕は尋ねた。


 会長の事が知りたい。


「なぜそんな事をお前に話さなければならない?」


 すると会長が言った。その言葉を聞いた途端、僕の体が凍りつく。ただでさえ冷たい水が、心臓に突き刺さるように感じられる。どうしてだろう。何も考えたくない。


「いや、どうしてそんな事が気になる?」


 僕が暫く黙っていると、会長が再度聞き返してきた。まさか好きだからとは言えず、僕はしどろもどろになる。


「え、えっと……! そのう……!!」


 ダメだ。何て言えばいいのか解らない。僕から尋ねたのに。ど、どうしよう……!?


「……そういえば、あの時も二人だったな」


 なんて僕が困っていると、会長が月を見上げながら言った。


「あの時って……?」

「船を脱出した時だ。あの時のキミは、いかにも情けなかった。まるで子供のように私に縋りついてきて正直辟易したよ」


 そう言って会長は視線を下ろす。

 会長は美しかった。月の光に照らされて、その白刃のような柔肌が、いよいよ輝きださんばかりに見える。


「だが今のキミは違う。あの時から比べて、キミは成長してくれた。お陰で色々と助かっている」


 会長の言葉、そして何よりもその真摯な眼差しが眩しく、僕は真っすぐ会長を見ていられなかった。思わず視線を下ろす。するとまず会長が浮かべた微笑が見え、その後下腹部にある黒翡翠色のヴェールに隠された部分が目に入る。僕はその箇所がいかなる機能を持つ器官であるかを本能的に捉え、その余りの美しさと神秘性とに僕の意識は陶然となった。気付けば僕の下半身の一部が直立している。


 今、僕たちは二人きりだ……! 会長が今この場に居るって事は、つまり夜中に僕と二人きりになるって事を許容してくれてるって事で、それはつまり僕の事を異性としても認めてくれてるってことなんじゃないか? そう僕に思われても仕方がない。


 なら、会長が実は僕の事が好き、という事もあり得るのではないか?

 もしそうだとしたら。

 ああ……! この場で会長を押し倒したい……!!


 僕の頭は完全に興奮し、またその獣的な行為を想像する事に集中し過ぎてしまっていた。

 心臓の音すら遅れて聞こえるほどに。


「先に上がる」


 僕がそんな妄想をしながら、猶も水の中で凍り付いていると会長が言った。そのままさっさと泉を出てしまう。

 満天の星空に月明かりもあって、いかにもロマンチックなムードだったのに残念。

 ああ。もしも今僕が会長に告白していたとしたら。もしかすれば……もしかしたのかも……!

 時折吹き抜けてくる夜風を痛烈に痛く感じながら、僕は自分の直立部分が段々と角度を下げていく様を陶然と見つめていた。






 僕が会長の事を異性だとはっきり意識してから、3日が経った。その間僕はずっと会長の後を付け回している。

 僕は先日、最高の告白チャンスを逃してしまった。なんとかまた二人きりになりたい。こないだの夜みたいなロマンチックなムードが作れれば、会長も僕の告白を受け入れてくれるかもしれない。少なくとも悪い気はしないはずだ。


「では、見回りに行ってくる」


 僕が心臓の鼓動を激しくしながらそんな風に考え込んでいると、会長が言った。

 振り向けば、会長が一人で洞窟を出ようとしている。


 チャンスだ。会長が一人になるぞ。今日こそ告白したい……!


 僕はそう思い立ち上がった。


 岩や砂礫で不安定な足元に気を付けつつ、洞窟の入口に向かう。


「どこに行くの?」


 尋ねてきたのは春奈先生。


「とっ、トイレです!」


 慌てて僕は答える。ちょっと声が大きくなり過ぎてしまって、女子の何人かに嫌な顔をされてしまった。だけどそんな事は気にしてられない。僕は急いで洞窟を出る。

 すると、20メートル程離れた木陰に会長の姿が見えた。会長は周囲を警戒しつつ歩いていく。時折立ち止まったりしゃがみ込んだりしているのは、動物の痕跡か何か確かめているんだろう。

 僕は会長を尾行し始めた。尾行がバレないように一定の距離を保ち、余計な音を立てないよう細心の注意を払う。正直焦る。


 いつ、声を掛けるか……!?


「……」


 落ち着け。

 きっと最初は断られる。なぜなら今はこんな状況だ。責任感の強い会長なら、きっと恋愛なんてしてる暇はないと判断するはず。それに女の子は本能的に、男の愛情を確かめる意味でも最初の一回はだいたい断るって聞いたことがある。その時は焦らずにこう尋ねればいいんだ。『では、まずはお友達になりませんか?』って。心理学的にも、最初に無茶なお願いをして断らせ、その後に比較的受け入れやすいお願いをすれば、よっぽどの事がない限りは受け入れてくれる。だから今回ダメでも全然落ち込まなくていい。むしろ、断られたときこそ僕らの恋愛は始まるんだ。まずは友達になり、そこで男を見せ続ければ会長は必ず折れる。そうすれば僕と会長は恋仲だ。今までずっと負け犬だった僕の人生も逆転。僕は会長という最上の女を手に入れて、自信満々に世間を歩ける。

 ああ、思い起こせばこの3週間とちょっと、色々なことがあった。船の火災に始まり脱出、この島に到着してのサバイバル開始とサルとの遭遇、そして今。この間僕はずっと一生懸命に頑張ってきた。そろそろ人生をステップアップさせて良い時期だ。

 だから僕、勇気を出せ。頑張るんだ僕。僕と会長二人の未来のために。


「……まったくお前の言う通り……」


 なんて僕が自分を励ましていると、ふと前方にある繁みの向こうから会長の声が聞こえてきた。誰かと話しているように聞こえる。


 会長、こんな所で誰と話しているんだ……?


 辺りが静かだから声は聞こえるけれど、前方にある繁みのせいで姿がよく見えない。なので繁みに半歩踏み込む。

 すると、すぐに見えたのは会長の後ろ姿。なんだか背が縮んだように見える。そう思ったのは、たぶん会長が頭をもたげているからだろう。そしてその会長の前に立っているのは、男。時坂だった。


 どうしてあいつがここに……!? 今日も奉日本さんと探索に行ったはずだけれど……!?


 僕がそう訝しがった、次の瞬間だった。


「……あ……!!?」


 僕の視線の先で、突然会長が時坂に抱き着いた。

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