第4話 親友

「今の揺れヤバクね!?」

「この船どうなんの!?」


 通路の向こうから男子の一団がやってきた。

 さっき先生とトランプしていたバスケ部の連中だった。

 その中には僕の知り合いが居る。僕が一番遭いたくない奴だ。


「あ、タクちゃん」


 真っ先に僕に声を掛けてきたのは、長身で爽やか系のイケメン男子。

 彼の名前は『時坂清四郎ときさかせいしろう』。

 僕の幼馴染で、小学校の時は毎日のようにお互いの家に行って遊んでいた。最近は会っても挨拶くらいしかしない。理由は僕が彼を避けているから。

 僕は時坂くんが苦手だった。とはいえ彼は決して悪い人じゃない。それどころか万人に優しい人気者だ。見た目からしてカッコいいし、男女分け隔てなくモテるから平気で陽キャとも吊るんでる。でも僕が彼を避けているのはそういう所が理由じゃない。

 嫌なのは、彼が僕と同い年にして既に現役プロの漫画家だって所だ。彼は高校生になってから急にマンガを描き始めたんだけど、処女作でいきなり新人賞を受賞した。その後もとんとん拍子に連載が決まり、噂じゃアニメ化の話も来てるそう。そんな彼と一緒に居るのは物凄く辛い。

 だって、僕は未だに一次選考すら通過したことがないから。彼と一緒に居ると僕の負け犬人生が最大限強調される。


「征四郎くんどしたのー? ってあれ、マンケンクンじゃん!」


 次に時坂くんの背後からぴょこり首を突き出して言ったのは、僕のクラスメートでもある『奉日本恋夏たかもとれんな』さん。彼女はネクタイをリボン結びにしてるちょっとオシャレな感じのギャルで、短めに穿いたスカートから伸びるスラッとした足と、線のくっきりした大きな二重の吊り目が綺麗な女の子だ。

 それもそのはず、彼女は現役のモデルにして、月間獲得フォロワー数3万越えのファッション系インスタグラマーでもある。僕もこっそり別垢でフォローしているけど、スマホ越しに見る彼女はいつもキラキラしてて美しい。

 ちなみにマンケンの呼び名だけど、僕は漫画研究部には所属してない。見た目がそれっぽいのと、しょっちゅうネタ帳描いてるせいでみんなからマンケン呼ばわりされてるってだけだ。だから僕と奉日本さんが特別仲がいいなんて事もない。

 ついでにもう一つ言うと、漫研の現部長はそこの時坂くんで、しかも奉日本さんも入部している。彼女は時坂のマンガの大ファンらしく、彼の影響でこの春からオタク趣味に目覚めたそうだ。最近はマンガはもちろんの事、ギャルゲー等のディープな話までしているらしい。主人公に恋するヒロインが可愛くてしょうがないらしく、部室にパソコン持ち込んで放課後一緒にプレイしてるらしい。時にはお互いの部屋を行き来したりもしているそうだ。恋人も居なければ趣味を共有できる女友達もいない僕からすれば非常に非常に非常に羨ましいシチュエーション。

 とまあ、そんな事はどうでもいいんだけれど。今問題なのは、会長からの伝言を僕が時坂くんたちに伝えなければならないって事だ。それはとてもとても、とても辛い。今ここに存在していることさえ辛いのに、伝言なんてとてもじゃないけどできない。

 そんな気持ちで僕が俯き黙り込んでいると、


「なーデッキ行こうぜデッキ! 写真撮りまくろうぜ!」


 バスケ部の連中が言った。

 みんな僕には構わず行ってしまう。


「タクちゃん。こないだのマンガ、俺が言ったところ直した?」


 だけど時坂くんだけは僕に構う。

 彼が言っているのは、僕が一次選考で落選したマンガの事だ。彼曰く『新人賞を取れないのは反省が足りていないから』らしい。僕は『読者の事を考えていない』んだそうだ。『コマ割りから何から解りにくくて読者に面白さが伝わってない』らしい。彼はこんな風にいっつも僕のマンガに口出ししてくる。こっちは一刻も早く忘れたいのに。


「……あ、うん……!」


 僕は普段通り、内心の不満を曖昧な笑顔に隠して適当に返事をした。

 すると時坂くんは、


「嘘でしょ。やってない」


 僕の嘘をすぐに見破ってくる。それ以上詮索されたくない僕は、曖昧な笑みを浮かべたまま黙った。すると、


「やることはきちんとやらないと。そんなんじゃタクちゃん、受賞なんて到底無理」


 また言ってくる。


 はあ……どうして僕の事イジメるんだろう……いい加減止めて欲しい。


「あ、それじゃ俺急ぐから。タクちゃん、またマンガ読ませてね」


 そんな調子で、僕が笑みを浮かべたまま押し黙っていると、時坂くんが注意するように言った。僕は心の中で拒絶する。

 そして時坂くんが行ってしまうと、後を追う形で奉日本さんも去った。後には僕と立花さんだけが残される。


「あ……行っちゃいました、ね……!」


 暫くして立花さんが言った。

 僕は黙っている。

 今考えてるのは、この場をどうしようかっていう事だ。事実として僕は時坂くん達に会長からの伝言を伝えなかった。幾らマンガの事を言われて辛かったとはいえ、それは僕個人の問題であって他の人は関係ない。だからこのままだと会長から責任を問われてしまう可能性がある。もしかしたら無責任な男だと思われて、会長から嫌われてしまうかもしれない。それだけは嫌だった。


「……」


 そこまで考えて、僕はふと立花さんを見返す。

 いい案を思いついたのだ。彼女に全部お願いしよう。


「……あのさ。会長からの伝言なんだけど、キミが代わりに伝えてもらえないかな……?」

「え……?」


 まさかの言葉だったんだろう。普段俯きがちな彼女にしては珍しく首を上げて僕を見返してきた。

 いや、そんな目で見ないで欲しい。僕だって辛いんだ。それに、一緒に居たキミにだって責任はあるはず。


「ごめん、僕、ちょっとお腹痛くて」

「あっあっ、あの……!!」


 それだけ言って僕は、戸惑う立花さんを置き去りにして一人トイレに向かった。






 15分後。僕は船内トイレの個室に閉じこもり、便座の上に座っていた。別に催した訳ではないので、ズボンを脱ぐ必要は無い。


 ああ……!! やっぱり立花さんに任せたのはマズかったかも。辛いとか言ってないで、僕がみんなに伝えればよかったんだ……!


 僕は早速後悔していた。脳裏に浮かんでいるのは、先日先生から叱られた時の光景。あの時も無責任だって怒られた気がする。

 でもどうやったって僕には無理なんだ。生まれつき不器用で、他人が当たり前にできる事ができない。なのに、どうして誰もそれを理解してくれないんだろう。みんなが僕に無理難題を押し付ける。


「……」


 思い返せば、僕の人生いつもこうだ。僕は僕なりに精一杯やってるのに、誰もそれを評価してくれない。評価されるのは『ちゃんとやれてる』人だけ。例えばあの時坂くんとか。彼の周りにはいっつも人が集まる。奉日本さんだってその一人だ。会長だってきっと彼を支持するに違いない。そのうちアイツに惚れちゃうかも。

 それに比べて僕の周りには誰も居ない。こんな風に一人きりトイレに立てこもって自分の無能を憂う。それしかできない。これが無能な僕の現実。負け犬な僕の敗北者たる人生。なんだか世界中の人から責められている気がする。だいたい会長だって酷い。どう見たって無理だって解るのに、できない事を頼んじゃうんだから。

 いいや。もう知らない。このまま事態が収まるまで個室に閉じこもっていよう。会長が怒ったって僕のせいじゃない。


 ジリリリリリリ!


 僕が一人爪を噛み、貧乏ゆすりしながらそんな事を考えていると、突然けたたましい鐘の音が聞こえてきた。場所はトイレの外。廊下の方だ。ベルが暫く鳴った後に、『火事です』という電子音声が繰り返し聞こえてくる。どうやら火災報知器が鳴っているらしい。

 突然の警告に僕は唖然としてしまう。やがて開いたままとなっていたトイレの入口から白い煙が流れ込んできた。それに気が付いた瞬間、僕の頭の中が真っ白になってしまう。


「ひっ……ひっひ……っ!?」


 火ぃいいい!? 嘘でしょ!? ぼぼぼ僕っどうしたらいいのっ!?!?!?!? だだだっ、だれかたすけてええええええ!!!!


 僕は反射的に頭を抱えてトイレの床に蹲まった。何が正解かなんて考えていられない。悲鳴を上げることすらできなかった。


 怖い。全身がガタガタ震える。その間にもどんどん白い煙が引き戸の隙間からトイレ内に入ってくるんだ! 煙を吸ってしまって、ゲホゲホと咳を吐いた。目にも染みる。痛い!?

 だっ、ダメだ……! こんな所にいたら僕、死ぬ!!!


 足に全神経を集中させて、僕はようやく立ち上がる事ができた。そしてトイレを出ようとしたんだけれど、


「あっつッ!?」


 引き戸に触れた途端、その熱さに悲鳴を上げてしまった。ドアはかなりの高温だった。よく見ると下部が黒く変色し、変形し始めてる。


 たぶん、火が目の前の廊下にまで来ているんだ! これじゃ出られない!

 うううっ嘘でしょおおおおお!? 目も痛くて殆ど開けてられないし……!! このままじゃ僕っ、死んじゃうよおおおおおおおおおっ!!?


「いやだいやだいやだいやだああああああっ!! 死にたくないっ!! 死にたくないよおおおおおおおおおおおおっ!!!!!!」

「大丈夫か花蜜!!?」


 僕が絶望に咽び泣いたその時、突然トイレのドアが開いて、新鮮な空気が入り込んできた。

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