第2話 生徒会長と障害者の女子

 袋の容積にしておよそ二割という吐瀉物を吐き散らした後になって、僕は漸く自分を助けてくれた人物を見た。その人物は僕の傍に膝を突き、肩を覆うようにして背後からエチケット袋を差し出してくれている。僕は彼女をよく知っていた。


 彼女の名前は藤堂冴月とうどうさつき

 艶のある黒翡翠ダークジェイド色の長髪と琥珀アンバー色の瞳を持つ少女。

 身長171センチ体重55キロ。BMI指数は堂々の18・5で、股下は80センチを超えるそうだ。トップモデルが羨むようなその肢体の上には、宝石と見紛うような切れ長の瞳と髪。それら顔の各パーツが整えているのは大自然が最も貴ぶとされる黄金比と対称性。僕と同じ人間種にして美の女神アフロディーテすらも己の姿を恥として泡沫に還りかねないその美しさは理不尽と呼ぶより他ない。

 だけど容姿そんなものは、彼女の持つ魅力のほんの一部分でしかなかった。

 勉学においては昨年度全国模試一位。勉強のコツを尋ねれば『素直に問題文を読むこと』と答える。

 運動においては自らが主将として率いる女子剣道部が選抜とインターハイで優勝。残りの二大会は世界規模の感染症のせいで延期されたため、事実上の日本最強。もちろん個人でも負けなしで、大会の優秀選手を二年連続で貰っている。

 その上休日にはボランティア活動に勤しみ、更には与党議員をしている親戚の叔父の選挙手伝いまでしているとらしいから凄い。将来の夢は女性初の内閣総理大臣。全校生徒の模範でありながら、高校生のそれを遥かに逸脱してると言える。

 そんな彼女の事を、いつしか誰かがこう呼び始めた。藤堂冴月こそは完璧超人。この雀蜂学園じゃくほうがくえん無敵の生徒会長にして、いずれこの日本国民1億2000万をも統べるであろう至高の存在。

 即ち『蜂の女王』であると。

 ちなみに僕の宇宙冒険サバイバルモノSFのヒロインのモデルも彼女。

 僕の妄想世界では元皇女にして高級参謀たる彼女が完璧に僕をサポートしてくれるんだけど現実はそうはいかない。

 僕と会長との間には、知己程度の繋がりすらなかった。

 いつも遠目に見ているだけで挨拶すらした事がない。


「少し体を動かす」


 なんて僕が思っていると、会長が更にそう言いながら、びっしょり汗で濡れた僕の背中に手を回して優しく横たえてくれた。


「乗り物に酔ってしまった時は、まず体を安定させて頭を動かさないようにするんだ。乗り物酔いの原因の一つは自律神経の乱れにあるから」


 会長が淡々と説明してくれてるけど、冷静になんて聞いていられない。

 背中には会長の腕が回っているし、目の前には真珠で作ったみたいな会長の美しい横顔が迫っている。しかも襟首からシャンプーみたいな爽やかな香りが漂ってきていて、もう色々とヤバかった。こんなに優しくしてくれる会長には非常に申し訳なくて仕方ないんだけど、さっきから僕の頭と胸がズキンズキンしまくっている。ついでに言えば下半身の一部も。だから僕は、それを隠すためにダンゴ虫のように丸くなるしかなかった。情けないことこの上ない。


 会長……! こんなふしだらな僕でごめんなさい……! でも嬉しい……!


「ふむ。どうも調子が悪そうだな。これならどうか」


 きっと、一向に顔色の良くならない僕の事を心配してくれたんだろう。

 会長はそう言って僕の腕を取り、手首の付け根から指三本分離れた場所にある場所をぷにぷにと押し始める。蚕繭さんけんさながらにきめ細やかな会長の指先で押されると非常に気持ちがいい。


「ここは『内関ないかん』と言って、自律神経に効果がある。船酔いの他、二日酔いにも効果のあるツボなんだが、これも効かないか?」


 再度会長が真顔で尋ねてくる。

 僕はもう気でも狂いそうだった。このまま頭に天使の輪っかが浮かんで天国に飛んで行ってもおかしくない。


「……きっ、効かなくってすみません……!」


 やっとの事で僕の口から飛び出したのは、訳の分からない謝罪だった。

 せっかく会長が僕の面倒を見てくれているというのに、元気になれなくて非常に申し訳ない。一部分は非常に元気だけれど、そっちは見て欲しくない。


「なぜ謝る?」


 言って会長が僕を見つめる。知性に溢れるその眼光が鋭すぎて、僕は反射的に顔を反らしてしまう。


「ひぇっひぇっひぇっひぇっひぇっひひぇっ……ッ!……ひーっひっひひっひっひっひっひっひっひっひ……ッ! ひぇっ! ひひひひひひーっひっひっひっひっひっひっふっ……ッ! うひひひッッヒッヒッヒヒッヒッヒッフィ……ッフッ……ッ! ヒャアアアアアアアアアアアアアハッハッハッハッハッハッハッハフゥッ……!! ハーッハッハッハッハッハッハッハアハハハハッハハハハハハッハハッハハハハハハハハハハッハッ!!!」


 すると、すぐ近くで誰かが笑い出した。

 振り向けば会長の後ろ、廊下の壁にもたれるようにして女子生徒が一人立っている。黒い髪を片目が隠れるぐらいに伸ばし、わざと一回り大きなサイズの黒い制服を身に付けている彼女はまるで御伽噺に出てくる魔女のように見えた。


 な、なんなのこの人……!?

 少女の狂態に戸惑った僕は、回答を求めて会長を見やる。


「いや、驚かせてすまない。彼女は生徒会で書記をやっている『立花たちばなアピス』というんだが、生まれつき障害があってな。突然こんな風になんの前触れもなく笑い出してしまう。悪意は一切ないから、どうか気にしないでやってほしい。笑っている本人が一番辛いんだ」


 会長は柔和な笑みを浮かべて言った。

 立花さんはその場に膝を突き腹を抱え、「ぎぐひゃはははははっ!!」カーペットの上を転げまわっている。


 怖い……!

 同情心もなくはないけれど、余りにもインパクトが強すぎる。いきなり大声で笑い出すからどう対応していいのか解らないし、見た目も陰気だしで正直あまり関わり合いになりたくないぞ。


 僕がそんな風に立花さんを疎んじていると、


 ……ボーーーッ……!


 突然、汽笛が聞こえてきた。汽笛は短く5度響く。それから30秒ほど経つと、


 うわッ!?


 船底から響くようなドンッ! という衝撃音と共に、急な横揺れが僕らを襲った。僕は揺れに耐えられず、自動販売機の取り出し口付近に強く背中を打ち付けてしまう。

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