蜂の王
トホコウ
第1話 落ちこぼれ
昼休み。
僕は職員室に呼び出されていた。
先の授業中、僕が趣味で描いていたマンガのネタ帳(A6サイズ)が先生に見つかり没収されたのだ。
「最近どんどん成績落ちてるじゃない。こんなくだらない事してるヒマがあったら勉強したらどうなの?」
僕の担任でもある現国教諭
彼女は今年24歳。生まれつきの童顔と、141センチという低い背丈のせいで生徒からちゃん付けで呼ばれてしまうちょっと頼りない感じの女教師だ。そんな先生だけど、今日に限ってはその愛らしい目を吊り上げている。
「すみません」
僕は粛々と頭を下げる。表向き反省の意を表しながらも、内心不満に思っていた。だって、僕は遊んでいたわけじゃない。僕の夢はマンガ家だから。学校の授業も大事だけど、ネタ帳だって大事なはず。それに高校はもう義務教育じゃないし。学校側が生徒の学ぶ内容を全て決めるってのは、幾らなんでも横暴じゃないだろうか? いつもそう思う。
「ねえ、本当に悪いと思ってる?」
僕がそんな風に不満を溜め込んでいると、先生がため息交じりに言った。どうやら反省が足りないらしい。一旦顔を上げ、しっかり先生の目を見てからもう一度頭を下げる。しっかり反省の意を示すためだ。とにかくさっさと終わらせたい。
「黙ってないで、何か言いたい事があるなら言いなさい。それが責任ある大人の態度よ」
僕が首を垂れたままでいると、春奈先生が言った。
は? 遊んでたわけじゃないって説明しろって言うのか。言ったら言ったで否定するクセに。どうせ僕の意見なんて聞いてくれないんだ。率直にそう思う。
その時、昼休み終了のチャイムが鳴った。
もう五時限目が始まる。
いい加減解放して欲しい。
「まあいいです。来週から修学旅行ですけど、また不真面目な態度取っていたら今度は捨てますからね?」
先生は念を押して言うと、ようやく僕にネタ帳を返してくれた。
ホント、嫌な奴。
9月の最終週。
僕は修学旅行先の小笠原諸島父島へと向かうため、同学年の生徒と一緒に大型の旅客船に乗り込んでいた。全7層からなる巨大な船体は、つい5年前に就航したばかり。船内設備は新しく、展望ラウンジやレストランやシャワールームの他にキッズルームまである。僕達が居るのは第4層にあるカーペット敷きの大広間。そこに用意された折りたたみ式マットレスの上に横たわってる。
ハア……! なんで旅行なんか行かなきゃいけないんだろう。家帰ってマンガ描きたい。
僕は溜息を吐きながら、制服ズボンのポケットからネタ帳とボールペンを取り出した。このネタ帳には僕が思いついたネタや話の構成案がギッシリ書かれてる。
最近考えているのは宇宙を舞台にした宇宙冒険サバイバルモノSFだ。
地球共和国軍の突然の侵略により囚われの身となってしまった元火星第三帝国の第二皇子である主人公が『大日本自由帝国(Freedom Empire of Japan)』の第一皇女にして現地球共和国軍極東アジア方面高級参謀であるヒロインに助けられ、脱獄するという話だ。彼女は主人公こそがこの地球を含む太陽系の正統なリーダーだと考えている。
二人は無事に地球を脱出するのだが、共和国軍の追撃を受けて未開惑星に不時着する。だけど安全な住処と食料を確保し、危険な原住生物も手なずけ、追いかけてきた共和国軍捜索隊のメンバーらも倒して仲間にし、最後には共和国すら屈服し、ヒロインとも結ばれた主人公はその正統性から自由惑星帝国の初代皇帝となって太陽系全惑星を統一するという内容だった。
着想から既に二年。まだ本書きはしていないけれど、僕にしてはまあまあ面白いと思う。もしも無事に描き上げることができたなら、今年こそは受賞するかもしれない。そしたらきっと、誰もが僕の才能を評価してくれる。僕の人生はその時に始まるんだ……!
そんな風に僕が念願の新人賞を取る時の事を考え、涙目になりつつノートに設定を描き始めていると、
「は~い! 春奈ちゃんまた負け~! 先生これで三連敗!」
「あ~ん! 先生悲しぃ~!」
「すごーい! 時坂くんまた勝った!」
「たまたまだよ」
ふと楽し気な男女の声が耳につく。
僕の向かいのマットレスに座り、輪になってトランプ遊びをしているのはバスケ部の男子と金髪ポニーテイルのギャル系女子と、その女友達で食いしん坊なぽっちゃりデブ。それに僕の知り合いの男子と担任の春奈先生だった。
ちなみに彼らがトランプやってるのはスマホが使えないから。八丈島を過ぎた辺りから電波が入らなくなり、以降は父島に到着するまで使えない。とまあ、そんな事はどうでもいいんだけど。
メンバーの中に先生、そしてもう一人嫌な奴が居たので、僕はその場に居た堪れなくなる。
どの道こんな騒がしいんじゃ集中できないし、トイレにでも引きこもろう。
そう思って僕は立ち上がろうとした。
「う……!」
だけど僕は立てなかった。急に眩暈がしてきて、近くにあった車いすの人用の手すり棒にしがみ付いてしまったのだ。
実は僕は少し酔っていた。出航直後から軽い眩暈に襲われていたんだけれど、ここに来て一気に船酔いが進んでしまったみたい。恐らく原因はネタ帳だろう。細かい文字や絵に集中したために、酔いが一気に進行したんだと思う。
気持ち悪い……!
暫く吐き気と戦った後、僕はようやく立ち上がる事ができた。口元を押さえながら部屋を出る。トイレは割と近くにあるんだけど、たどり着けそうもない。傍らにあったカップラーメンの自販機に片肘を突いてしゃがみ込む。もう限界だった。これ以上は動けない。
せ、先生……!
僕の脳裏に、一瞬春奈先生の姿が過ぎる。
ダメだ……!
先生なんか呼んだらまた叱られる……!
『どうしてこんなになるまで言わなかったの!』とかなんとか言われて。ただでさえ辛い思いしてるのに、どうして僕が責められなくちゃならないんだ……!
僕は助けを呼ぶことを諦めた。ハッハと浅い呼吸を繰り返し、せり上がってくる胃の内容物をなんとか堪えようとする。無理矢理にでも息をしていないと今にも吐き出してしまいそう。
「うッ……ぅぶえッ!!!」
そんな風に僕はできる限り頑張ったんだけど、結局吐いてしまった。咄嗟に両手で口を押さえたけどダメだ。塞いだ手の隙間から粒状化した胃の内容物が溢れて、床のカーペットに醜い斑点模様が描かれていく。一度吐き出すともう止められない。どうしようもなく吐き続ける。そんな最中、視界の端っこにある取り出し口に自分の姿がちらりと映った。
中背中肉。少々脂っぽい天然パーマの髪を襟元まで伸ばし、厚ぼったい眼鏡でこれ以上無いほどに目を細くしている。そんな地味で根暗そうな不健康男子が往来の真ん中でゲロを撒き散らしているのだ。このままスマホで撮っただけでショッキング動画とかにできるだろう。ネットに上げればさぞかし再生数を稼げるに違いない。そんな自分の姿が如何にも惨めに思えて、ますます気分が落ち込んでくる。
ああ。
どうして僕だけがこんな辛い思いをしなければならないんだろう……!?
誰か一人ぐらい、僕に優しくしてくれたっていいのに……!!
現実の不公平さに涙を零しながら、再度せり上がってくる胃の内容物を堪えていると、
「大丈夫か?」
不意に誰かの声が僕の鼓膜を震わせた。どこまでも澄んだ、真冬の月空のような印象を受ける女の子の声。同時に背後からエチケット袋が差し出される。誰が出してくれたのかなんて確認している余裕は無かった。僕は反射的に袋の中へとしこたま吐く。
「……っ!?」
袋の容積にしておよそ二割という吐瀉物を吐き散らした後になって、僕は漸く自分を助けてくれた人物を見た。その人物は僕の傍に膝を突き、肩を覆うようにして背後からエチケット袋を差し出してくれている。僕は彼女をよく知っていた。
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