第65話 パンドラの正体




「パンドラ? 確かギリシャ神話の出てくる、『厄災を引き起こす、触れてはいけない箱』だよな? あの馬鹿でかい逆四角錐のクリスタルが、禁止区域に宿る『知恵の実』だって言うのか?」


「そうよ。正確には『知恵の実』を分け与えてくれるシステムってところかしら? それに厄災じゃないわ、人類にとっては『希望の箱』よ……とにかく行きましょう、ゆっくりとね」


 俺とイリーナは密着しながら、幅の狭い橋を渡っていく。

 なんでも彼女から離れると、また景色が元の状態に戻ってしまうらしい。

 そうなれば、大抵の人間は認識できず足場を踏み外し、そのまま真下の暗闇へと落ちてしまうとか。


 まるで魔法のようだ。一体なんだ、ここは?


 そのまま慎重に真っすぐ進み、円柱の天辺に辿り着いた。


「ここまで来れば、もう大丈夫よ」


 イリーナはそう言うと俺から離れ、設置された玉座に似た立派な椅子に座った。


「何している、イリーナ? ここはどういう所なんだ?」


「カムイだから包み隠さず説明するわ――このダアト知識区域エリア全体が『知恵の実』なのよ……お父様が残した最後の遺産。少し離れてもらえるかしら」


「……ヴィクトルさんの遺産?」


 俺は疑念を抱きながらも、促されるまま二歩三歩と後退りした。


「まぁ、実際は『知恵の実』を共有するための偽物ダミーライブラリだけどね……本体は地球圏のとある地下遺跡で安らかに眠っているわ」


「本体って?」


「――お父様・ ・ ・よ」


 頭上にある逆四角錐型クリスタルの尖った先端が、イリーナの頭上に降りてきた。

 刹那。先端から蒼白い光が落雷の如く放たれ、彼女を襲いかかる。


「うぐっ!」


 イリーナは眩い光に包まれ、苦痛の声を上げる。

 光輝の消失と共に、その場でぐったりと項垂れてしまい動かなくなった。


「イリーナ!?」


 今のは絶対にやばいやつだ。俺はそう確信し、彼女の身を案じて急いで駆けつける。

 

 途端、イリーナは何事もなかったかのように、すうっと顔を上げた。

 神秘的な赤い瞳を俺に向けてくる。


「……キミはカムイ君かい? 大きくなったね」


 それはイリーナの声じゃなかった。

 渋みのある男性の声、紳士的で穏やかな口調……とても聞き覚えがある。


 間違いない……この人は、


「……ヴ、ヴィクトルさん?」


 まさかの問いに、彼女は素直に頷いて見せた。


「ああ、そうだ。今この人格は私、ヴィクトル・スターリナだ。久しぶりと言うべきかな?」


「生きていたのですか? イリーナをどうしたんです?」


「いや、本物の私はとっくの前に死んでいるよ、老衰でね。キミとイリーナが看取ってくれたじゃないか。今の私は一時的に娘の身体を借りたに過ぎない。事を終えたらすぐ返すから安心したまえ」


「イリーナの身体を借りただって? まさか幽霊なんて言うんじゃないですよね?」


「違うよ。私こそが『知恵の実』と言われる、ある種の記憶媒体ストレージメディアだ。生前の記憶と知識を“パンドラ”という補助記憶装置を経由して、地球に保管されている『本体』から引き出されたにすぎない。つまり複製された疑似人格というわけだよ。キミとこうして話しているのも、あくまで生前に私が残したデータに基づいている。だから死後の現状は知らないのだよ」


 要するに生前のヴィクトルさんの記憶を宿した情報生命体というべき存在だろうか?

 それが『知恵の実』の正体か……。


 生前の記憶しかないという割りに随分と落ち着いている……普通、ウラシマ効果のような時間遅れなど感じてもいい筈じゃないか?


 いや、ヴィクトルさんは元々こういう人だ。


 常にドライで論理的で客観的な思考を持つ人。

 だから冷酷に見られ、敵も多かった。


「もう一度確認しますけど、イリーナは大丈夫なんですよね?」


「当然だ。この子は私にとってもかけがえのない愛娘だからね……うむ、すっかり女性として成長しているな、パパは嬉しいぞ。しかし、もう少し肉がついた方がいいな……特に胸の辺りか?」


 ヴィクトルさんは立ち上がり、胸を揉んでお尻や太ももなど触って確認している。

 その動作で、もろイリーナの綺麗なボディラインが浮き彫りとなり、傍で見ていた俺はつい赤面してしまう。


「ちょっと、ヴィクトルさん! いくら娘だからって!」


「すまん……つい愛しくてな。しかしカムイ君は相変わらず生真面目だね。娘とどこまで進んでいるんだい? ん?」


「絶対に答えません! てか、とっとと成仏してくださいよ!」


「幽霊じゃないと言っているんだが……まぁいい。そろそろ本題に入ろう。ホタル、いるだろ?」


『イエス、元オーナー』


 俺の左手首に装着された腕時計型のウェアラブル端末から、ホタルが顔を覗かせる。


「こちら側に来て、イリーナが要望する依頼内容とこれまでの報告を含む最新データを全てインストールしてくれ。私の知識を最新ヴァージョンにした上で、『知恵』を授けよう」


『COPY』


「イリーナから依頼された内容?」


「“サンダルフォン”の強化と、対FESMフェスム用の新たなAGアークギア及び兵器についてだ。この子イリーナに『知恵』を授けるためにね。その為にヘルメス社は日頃からデータを収集しているのだよ。カムイ君、キミのAGアークギアパイロットの戦闘データも、ヘルメス社にとって大いに貢献させてもらっている筈だ」


「はぁ……けど、ヴィクトルさんって経営者ですよね? AGアークギアの開発に携わっていたんですか?」


「実にいい質問だ。そうだよ――AGアークギア霊粒子エーテルなど、《知恵の実》に関する『ブラックボックス』は、私が独自で開発し流用させたものだ。こう見ても100年以上前、2035年頃までは一人の研究者だったからね」


「ひゃ、100年以上前って……貴方、実年齢は何歳なんですか?」


「……実際の年齢は私にもわからない。気づけば、あの身体を得ていたからな……ちなみに2040年の国連宇宙軍の設立や『太陽系境界宙域防衛計画』を立案したのも、全て私だ。でなければ当時の技術水準では、人類は未だに宇宙で生活することができなかっただろうね。AGアークギアに関しては量産化に至るまで100年以上も掛かってしまったよ……」


 な、なんなんだ、この人?

 生前は決して自分の生い立ちは話さなかったけど……疑似人格だからか、随分と饒舌だ。

 

 いやそれよりも――


「ヴィクトルさん……貴方、人間なんですか?」


「……人間だよ、一応はね。カムイ君、イリーナのタブレット端末を持ってきてくれ」


「は、はい、わかりました」


 いきなり話をはぐらかしてくる、ヴィクトルさん。

 不審に思いながらも、あの声で指示されてしまうと、つい従ってしまう。

 なんだかんだ恩人であるヴィクトルさんが大好きで、第二の父親のように慕っていたから……。


 俺から端末機器を受け取ると、彼は玉座に座り直して足を組んだ。

 頬杖をつきながらタブレットを眺める仕草は、やはり生前のヴィクトルさんそのモノだ。

 

「……ふむ、“ベリアル”か。また面白いのを造ったな。それに奇態FESMフェスムとは……滑稽すぎて笑えるぞ」


 ヴィクトルさんは物凄い速さで画面をスライドさせながら、フッと鼻を鳴らし嘲笑している。

 どうやら彼の言う『知識の最新ヴァージョン』とは逝去後からの記録とデータを閲覧して理解することらしい。


 しかし思いっきり気になることを呟いていたぞ。


「造ったなって……ヴィクトルさんは、FESMフェスムについてどこまで知っているんです?」


「全て知っているよ。けどキミには教えられない……正確にはキミら大半の人間達にはね」


「知られてしまったら都合が悪いって聞こえますけど?」


「正直それもある。人類の多くは宗教を重んじるだろ? FESMフェスムを知るということは、自分らの歴史と存在を根底から覆されるようなものだ……けど悲観せず卑下せずに誇りを抱いてほしい。キミら人類は両方・ ・の性質を兼ね備えた無限の可能性と未来がある。だから決して滅んでいい存在ではないのだよ」


「両方の性質って?」


「この世界で言う『善』と『悪』と呼べる性質だ。私は人類ほど、この性質を器用に使い分ける生物はいないと思っている。だからこそ、FESMフェスム共は恐れているのだよ。キミ達の果てなき欲望と探求による進化をね……連中らからすれば、人類こそ実に大胆不敵かつ不届きな存在と言えるだろう……しかし私はそんなキミ達を心から愛している。だから死しても、こうして『知恵』を授けるのだ」


 持論を述べるヴィクトルさんの言葉は、慈愛が込められておりとても優しい口調だった。


 死しても尚、『神』という存在に背き人類を守ろうとする別次元の何か。


 ――まるで白き堕天使。


 何故か俺には、そう思えてしまった。






───────────────────


《設定資料》


〇パンドラ


 コロニー船“セフィロト”を支える中心部にある禁止区域とされる、ダアト知識区域エリアに保管された巨大な逆四角錐のクリスタル。


 正体は、生前のヴィクトル・スターリナの記憶を媒介し共有するためのライブラリ・システムであり、娘であるイリーナの身体を憑代として情報を引き出すことが可能である。

 その際はヴィクトルの人格が宿され、記憶も逝去する前の情報しか持たない。

 したがって、電脳AIホタルを介して情報を収集し、最新ヴァージョンにアップグレードが必要となるようだ。


 ちなみにヴィクトル自身の遺体は、地球圏のとある地下遺跡で安置されており、そこから何かしらの手段を用いて“パンドラ”を通して共有しているのではないかと思われる。



〇知恵の実


 AGアークギア霊粒子エーテル系の技術に至るまで、『ブラックボックス』とされている謎の隠語。

 実際はヴィクトルの記憶媒体であり、“パンドラ”システムにより娘であるイリーナの肉体を媒介して引き出すことが可能である。


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