幸せの子
「なるほど、そんな光景を」
「白昼夢か、幻か…‥自分でも、はっきりとは分からないのですが」
「いや、君の心配は的を得たものだ」
総帥のその言葉に、紡は裁貴とネージュの二人と顔を見合わせる。
「っつー事はだ、総帥。あんたには絃の置かれてる状況が分かっていると言うことか?」
「彼女個人ではなく、彼女を取り巻く人々、と言うべきか。……そしてこれは、今日私が君たち三人をここに集めた理由にも関わってくる」
自分達がここに集められた理由。
本題が切り出される気配を感じ、裁貴とネージュは姿勢を正す。
アベルは特に何の反応も見せず、冷静な眼を総帥へと向けていた。
「まず、今……各所で不穏な動きが見え始めている。意図的に霧の都と桜の帝都の対立を煽ろうとする者が居るんだ」
「……何のために?」
「理由は各々異なるだろうね。例えばその者が信じる何かの為。争いによって生まれる利潤にあやかる為。それから……両国が疲弊し切った時を狙い、なし崩しに次元の柱を破壊する為、とかね」
総帥の言葉に、その場の全員が表情を曇らせる。
彼らのその様子を見て、総帥はその場の緊張を和らげようとするように穏やかに笑った。
「この世界は今、明らかな危機にある。そしてそれを止める事こそが我ら誓約生徒会の使命。そうだろう、我が子らよ」
「はい。例えどんな理由があったとしても、人々の生きる世界を壊すなんて許されて良いはずがない」
裁貴が噛み締めるようにしてそう言った。
総帥はその言葉を聞いて、頼もしいな、と一言返す。
「それで、オレはどうすれば良い?そちらのお三方の事は分からないけど、オレはそんな大層な事ができる身分じゃないんだ」
「そうだね、アベル。君は以前からお願いしている情報収集を続けてほしい。ただ、今話した件に関わりそうな事を重点的に、ね」
「……分かった。けど、あんまり深入りはできないぜ。身内の商売がようやく軌道に乗ってきたとこだ、妙ないざこざに巻き込まれる訳にはいかないからな」
「うん、それで良いよ」
アベルは、総帥が頷くのを確認すると椅子に深く座り直して口を閉ざす。
いかにも自分にはこれ以上言う事はない、といった態度だった。
「正義とネージュの二人は、奏多とエルシーを含めて同じく情報収集……あと霧の女王と連携を取って、迎撃戦への積極的な参加を頼みたい。」
「迎撃戦か。こっちの世界でのステラバトルって事で良いんだな?」
「ああ。細かい相違点に関しては後ほど説明するけれど……大きな危険も伴うものだ、引き受けるかどうかは君たちに任せる」
紡は、過去の迎撃戦を思い出す。
どの戦いでも、紡と共に戦った仲間達は傷を負いボロボロになりながら勝利を掴み取っていた。
時には後遺症を負い、紡は一時的にとはいえ視力を失った事もある。
本人達が協力的とはいえ……裁貴やネージュにとっては桜の帝都や霧の都は生まれ故郷でもない、赤の他人が暮らす場所である。
そんな彼らに死の危険すら背負わせ、傷だらけになりながら世界を守らせるのかと考えると、どこか申し訳ない心持ちになった。
ふとそんな紡の額に、ネージュが指先を近づける。
そしてあろうことか、力一杯のデコピンを放ったのだ。
「いっっっ……!?」
「なにボーッとしてんだ、ほら、次はお前の話だろ」
そう言ってネージュは可笑そうに、にしし、と笑った。
その悪戯っぽい笑みが、どこかの姉を思わせて紡はため息をつく。
とは言えそれが、辛気臭い顔をしていた自分を気遣った行動なのは明白であり、文句を言うつもりはない。
「さて、紡。少し君にとっては辛い話になるかもしれないから、心して聞いてほしい」
総帥は今までとは打って変わり、真剣な面持ちで紡の顔を見た。
紡は張り詰めた空気を感じながら、固唾を飲んで続く言葉を待つ。
「……
通称・
総帥は、桜の帝都で進められているとある計画について語り始めた。
政府に属する研究者たちの手により生み出された人造の子供達。
彼らは孤児として施設で育てられ、希望する家庭の元へと引き取られる。
便宜上、『
それは、目の前の人物の不安感、焦燥感、悲しみ……そういった負の感情を消し去り、代わりに幸福感を与えるというもの。
事情を知らない家族は、それを『子供に対して感じる愛情』と捉えるが……実際には、半強制的に分泌させられた脳内麻薬の効果である。
……そしてこの幸福感には、ある種の依存性があった。
心が悲しみに沈んだ時、通常ならば人間は時間の経過や本人の心持ちで徐々に立ち直ってゆくものである。
しかし、『幸せの子』の力は違う。
悲しみを克服するのではなく、文字通り『消し去ってしまう』のだ。
『幸せの子』と触れ合えば、すぐに心は癒されて前向きに生きられる……そう思い、繰り返し子供達の力を借りた人間は、まるで心の免疫を失ってしまったかのように、負の感情に対しての耐性が無くなってしまうのである。
「ひっでー話。まるでドラッグか何かだな」
「ある意味では、そのものとも言えるかもしれない。」
総帥は、紡の様子を伺った。
当然と言うべきか、紡は顔面蒼白で冷や汗を流している。
……恐らく思い当たる節が多過ぎたのだろう。
総帥は言葉を続けることを躊躇うが、彼のことを思うが故に、ここで話を終わらせる訳にはいかなかった。
「『幸せの子』は……己の寿命と引き換えにその能力を使用する。何度も繰り返し能力を使い、やがては目覚めぬ眠りについてしまうんだ」
目覚めぬ眠り。
総帥は言葉を選んだつもりなのだろうが、それが意味するところは、紡にでもすぐに分かった。
死だ。絃は紡の中に渦巻く悲しみや苦しさを引き受けると共に、その命を削っていたのだ。
精神的苦痛への耐性を失い、愛する子供すらも失った人間。
彼らのとる行動は、想像に難くない。
紡の脳裏に絃の笑顔が浮かぶ。
この一年間、紡は彼女の事を他の誰よりも見つめていた。
それでも、絃はいつでも笑顔だったから……彼女の身に何かが起きているなど、紡は思いもしなかったのだ。
彼女は自分に何も言わずに、苦痛に耐えていたのだろうか?
自分の事を思って何も言わなかったのだろうか?
絃は、純粋で優しい少女だ。
誰かの為になるならと心から笑っていられる女の子だ。
紡は己のことばかり悩んでいた能天気な自分を思い出し、胸ぐらを掴まれたような気分になる。
「……あんたそれ、最初から知っていたのか?」
重苦しい空気の中、口を開いたのは意外にもアベルであった。
総帥は、彼の言葉にゆっくりと首を横に振る。
「私はこの世界の管理者ではない。理由なく世界の全てを見通せる訳じゃないんだ。……実はその『幸せの子』を一人、誓約生徒会が訳あって保護している。こんな話を当人に聞かせる訳には行かないから、今は奥で待機してもらっているけどね。この事実が判明したのは、彼の協力があっての事だ」
総帥の語る『彼』とは、
少年は例に漏れず、孤児としてとある夫婦に引き取られた。
優しい義両親と共に、穏やかに暮らしていた少年だったが……ある日、全てが崩れ去ってしまう。
父親が死亡し、それから間もなく母親がメモリィズを服用して『
両親を失い、迎撃戦の舞台となった円形広場。
あの日……他に生きた者はおらず、あたりに積もった塵の中で蹲って泣いていた少年へと総帥は手を差し伸べた。
「治してやれないのかよ、あんたにはオレ達には信じられないような奇跡を起こす力がある。そうだろ?」
「残念ながら。私はこの世界の理の外にある、故に世界の根幹に触れる事はできない。あの子達の力は、私からの干渉が不可能な……そういうものだ」
「……何が世界を守る、だ。子供一人救えねぇ癖によ」
アベルはそう吐き捨てるように言うと、苛立たしげに拳を握りしめる。
総帥は珍しく表情に影を落とし、すまない、と呟いた。
「……仕方ないよ。きっと、何もかもを救える存在なんてどの世界にも在りはしないんだ」
裁貴が、隣に座るアベルの顔を真っ直ぐと見据えてそう言った。
仮面の奥に隠された、赤色とブルーグレーの視線が静かに交わる。
「だけど諦めずに探せば、たった一人だけでも救う手段が見つかるかもしれない。この世の全てを知るまでは、僕らは希望を抱き続けるべきだ」
アベルは、その言葉には何も応えずに紡を見た。
彼はテーブルに置かれたティーカップの、既に冷めてしまった水面をじっと覗き込んでいる。
その耳には、目の前で交わされている言葉などきっと届いていないのだろう。
……アベルは、愛する妹を失いかけた雪の降る晩を思い出していた。
「それで、総帥。これが前述の話にどう繋がってくるんだ?」
ネージュが、首を傾げてそう尋ねた。
『幸せの子』とその家族達。
子供を喪った悲しみからメモリィズに手を出しす人間が現れても驚きはしないし、それがこの循環を造った者達の目論みなのだろう。
しかし……それはあくまで桜の帝都内で完結する話。
桜と霧の対立に繋がる理由は、ネージュには直ぐに理解ができなかった。
「ここ二ヶ月にかけて、幼い子供の不自然死が多発している。恐らく彼らは『幸せの子』……予め与えられていた寿命が尽き始めたんだろう」
総帥は冷め切ったコーヒの入ったカップを傾け、中の苦い液体を飲み干した。
「……彼らの死を、帝都政府は霧から持ち込まれた疫病によるものだと説明した。」
静かなカフェの中で、総帥の言葉に誰かが息を呑んだ音が嫌に大きく響いた。
「実際に、それを理由に反霧的な運動に参加している人間も複数居る。……彼らの立場からすれば、当然のことなのかもしれないが、ね。」
「はは、根性の腐った奴らはどこまでも外道って訳だ」
アベルは手のひらで顔を覆い、くつくつと笑ってみせた。
ただ、その指の隙間から覗く瞳は少しも細められてはいない。
「これが今日、君たちに語れることの全てだ。以後は君達や他の誓約生徒会のメンバーの集めた情報を元に、行動指針を決定する」
総帥はそう締めくくり、椅子から立ち上がるとその場に座る全員の名を一人一人、刻み付けるようにして呼んでいった。
「どうかお願いだ、我が子らよ。『正しき終わり』を否定するため……私に力を貸しておくれ」
…‥壁にかけられた振り子時計は、十六時半を指している。
窓枠をすり抜けて床に落ちた夕陽は、四人の影をその足下に黒々と焼き付けていた。
翳り はるより @haruyori
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