第2話「きびの団子は蜜の味」
桃草槐郎は困惑していた。
それは、土曜日に朝日と共に起きてテレビを付けてみたら日曜夕方のアニメが流れていたからでも、座卓の上に見覚えのない銀色のピンヒールが載っていたからでも、戸棚の扉を突き破ってタケノコ宜しく金のバナナがにょきりと生えていたことでも、金曜日に校長の銅像の前で拾って冷蔵庫に入れておいた旨そうな団子を朝飯代わりに食べたところ、団子のそれとはかけ離れた濃厚な蜂蜜の味がしたからでも、その後洗面所で鏡を見たら目の下のクマが三倍濃くなっていたからでも、そのクマからじわりじわりじわりと蜂蜜のような甘くて粘性のある汁が滲み出し始めたからでもない。
何もかもが面倒なので全てを投げ出してもう一度寝ようと思ってベッドに戻ろうとしたまさにその時に、ベッド真上の天井の一部が抜けて、丑光寅葉が降ってきたからである。
え?何?どういうこと?なんで?アパートの天井裏で何かしてたの?
「丑光……お前、一体……?まさか、俺のストーカーだったり?」
「いやぁだ。桃草先生じゃございませんし、殿方のケツを追い回すだなんてそんな気持ち悪いことしませんぞ、私めは。まったく、自分の生徒を何だと思っておるのか……」
「だから、この間のは違うって!あのな、俺はお前みたいな青臭い女子中学生にはさらさら興味ねぇの!俺が興味あるのはな、色白、メガネ、スレンダー、最低その三つが揃ったクーデレ系女教師だ。更にそこに、細い吊り眉、涼やかな切れ長目、すっとした鼻筋、薄い唇、タイトなミニスカートの似合う小尻、黒いレースのついたガーターストッキングとピンヒールが超絶似合う美脚が揃っているのなら申し分ない。是非とも踏まれたいからそういう
と、その時、寅葉が降ってきた穴からひょこりと生白い男の顔が出た。桃草の同僚である富士額のインテリ眼鏡理科教師、
生地村は眉間に皺を寄せ、中指で眼鏡のブリッジを押し上げながらため息をついた。
「まったく、君という奴は。生徒相手に何を暴露しているんだね」
「そういうお前という奴は、うちの天井裏で何をしているんだね」
「住んでいるんだが。それが何か?」
「はい?今なんて?」
「僕はこのアパートの天井裏に住んでいる。それについて何か質問があれば受け付けるが、何かあるかね?」
「はぁ?ちょっ、何許可取らないで勝手に住んでんの!?てかなんで!?」
「住み心地が良いから。ちなみに大家の許可は取ってある、というか、正式に賃貸契約を結んでいる。家賃は十円」
「大家ぁあああ!!てか十円て!なら俺も住むわそこ!!」
「やれやれまったく、しょうのない奴だ。君はうるさくてうざったくていいかげんで珍妙な奴だがしかし、職場の同僚のよしみで特別に同居を許可してあげよう、と言いたいところだが、すまない。生憎ここは単身用なんだ」
「天井裏に単身用もクソもあるか!!」
「確かに、その意見は一理ある。が、しかし決まりは決まりだから」
「バカかお前!破るためにあんだよルールってのは!」
「もし、桃草先生。白熱しておられるところ悪いのですが」
眉と唇を歪めて自分の方を向いた桃草に、寅葉はおずおずと尋ねた。
「あの、その、目の下のクマから何やら汁が出ているようですが、その……最近妙なものを食したりしませんでしたかな?例えば、校長の銅像の前に落ちていたきび団子とか」
「うん、それ食ったけど」
「ナァァァ!マジですか!食ってしもうたのですか、私めがあすこに放棄したアレを!」
「え?団子捨てたの?なんで?」
「いやその、なぜなら、愚兄謹製の変蜜出ル団子だったので……」
「変蜜出ル団子?何それ」
「愚兄が毒の配合を間違えた結果生まれた、美味なれど、食べると変なところから変な蜜が出るようになる、というクソ仕様のきび団子でござりますぞ。至極香りと見た目が良いため、過去に二度、誘惑に負けてうっかり食してしまったことがあるのですが、一回目は脇から、二回目はへそから蜜が出るようになり、どちらの時もそれが三日三晩止まらず苦労いたしました。そんなことにならぬよう、今回は銅像に供えるふりをしつつ、断腸の思いで手放したのに!まさか、まさかそれを拾って食す意地汚い阿呆が出るとは!」
「へぇへぇ。アホで悪ぅござんしたね。ってちょっと待て、お前の兄ちゃん何してんの?」
「はぁ、なんか、殺し屋になるための修行だとか何とか言って、毎日私めに毒を盛ったり、吹き矢を手に襲って来たり……」
「殺し屋!?え、何それ!?お前の兄ちゃん何考えてんの!?」
「さぁ……。あの兄の考えていることは私にもさっぱり」
寅葉が両の手のひらを上に向けて『さっぱりわからない』のジェスチャーをしてみせたところで、穴から逆さに頭を出したまま生地村が挙手した。
「はい、生地村先生君。何ですかな?」
「その団子の製法について詳しく知りたいので、お兄さんを紹介して貰えないだろうか」
すると、寅葉が答える前に桃草が割り込んだ。
「はぁ?お前何言ってんの!?そんな団子の作り方知ってどうすんの?」
「いや、それだけ風味が良いなら、改良してうまく真の毒団子に仕立てれば、五里田を倒す道具として使えないかと」
「え?五里田先生を?なんで?ゴリラだから?」
生地村は眼鏡のブリッジを中指で押し上げた姿勢のまましばし沈黙し、その後深いため息をついた。
「やれやれ仕方ない。こうなったら全てを話すしかないな。実は
「は?」
「ほほぅ。五里田先生がゴリラ系エイリアンという噂なら、ちらと小耳に挟んだことがありますぞ。確か
「え?マジで?」
「しかし、五里田先生を倒すための道具にするなら、味も変えねばなりませんぞ。何せあの御仁はバナナ狂い。なれどかの団子は蜂蜜味。五里田先生がそう易々と食い付くとは。やはりここはうちのポンコツ兄など頼らず実直に、バナナ味の毒を研究した方が良いのでは」
「わかっていないな君は。バナナ風味の毒や罠なら考え付くものはもう全て試し済みさ。例えばバナナバルサンとか、バナナホウ酸団子とか、バナナホイホイとかね。しかし、野生の勘で全て回避または破壊されてしまった。だから、バナナ以外の風味の毒を試そうと思っているわけなのだよ。バナナ以外なら勘が鈍るかもしれないだろう?」
「ナァっ!そうでしたかな!申し訳ございませんでした!しかし、数あるバナナ毒、バナナトラップを全て防いでみせたとは。五里田、恐るべし。ここはやはり、バナナ以外を使うべきかもしれませんな。いや、でも、バナナ以外の風味に
「いや、バナナじゃなくそのラインナップだったから無理だっただけだろ……。ゴリラはあくまでゴリラであってゴキブリじゃねぇんだからよ……」
ぼそりと呟く桃草を無視して、寅葉は生地村にこう提案した。
「そうだここは、蜂蜜にちなんでハニートラップとしけ込んでみては?五里田先生はバナナの次におなごが好きですからな。生地村先生がやる気を出せば多分いけると思いますぞ。もし失敗すれば、生地村先生の命や貞操が危ないかもですが……」
「なるほど。虎穴に入らねば虎児を得ずという言葉もあることだ。次はそれで行ってみよう。崇高な任務が遂行できるなら、僕ごときの命や貞操など」
「ちょっ、ねぇ、あんたら、頭ヤバいんじゃないの?大丈夫?五里田先生が好きなのは女で、生地村センセは男でしょ?あ、忍者の力で女に化けるとか?いや、お前が女装とかあり得なくね?いやもしかして変身とか?」
桃草がへらりと笑いながらそう言うと、寅葉がびくりと体を震わせて両手で口を塞ぎ、それからちろっと生地村を見た。
「え、何?変身すんの?マジで?そりゃさすがにないよね?」
「これについても、今話しておくより他ないか」
「すいません、生地村先生。私めの不用意な発言のせいで」
「いや、良いよ。いずれバレるだろうと思っていたからね。この機会に話しておくよ。丁度今日は満月でもう日も暮れるから、説明もしやすいしね」
そう言うと、生地村は穴からすとんと寅葉の傍らに降りてベッドに腰掛け、スキニーパンツによりその長さやしなやかさが強調された脚をおもむろに組んでから述べた。
「その昔、敵の魔女にかけられた呪いのせいで、僕は満月の日の、日没から夜十二時までの間だけ女になってしまうんだ」
そう言っている間に、もうその変化は起こり始めていた。喉仏が引っ込んで首が細くなり、直線的だった男の肩が仄かに丸みを帯びて女のそれになり、僅かに乳房が膨らみ、胴がくびれ、手の甲や裸足の足首の骨張った所が少なくなり更に体つきが全体的に華奢に……。
そうして、完全に日が暮れたころにはすっかり生地村は、色白で、細い吊り眉、涼やかな切れ長目にすっとした鼻筋、薄い唇、すらりとしながらも艶かしさも感じさせる脚を持つ、ほっそりとした女の姿に変わっていた。座卓の上に載っている銀色のピンヒールがぴったりと似合いそうな。
「さぁこれで、いくらものわかりの悪い君でもわかっただろう?僕の言ったことが嘘ではないと。こんなだからね、満月の夜、十二時になるまでならハニートラップを仕掛けることもできなくはない。まぁ、初めてのことだし、うまくできるとは思えないが、何とかやってみるさ。貞操を失くしても、相討ちになったとしても……」
と、自嘲的に笑った生地村の両肩を桃草がいきなり強く掴んだ。頬を真っ赤に染め鼻息を荒くして。
「いやいやいやいや!ダメ!それダメ!失くしちゃダメ!命も貞操も!ダメ!はにーとらっぷダメ絶対反対っ!!」
「痛っ……」
「あっ、ご、ごめん強く掴みすぎた?ご、ごめん、俺、加減がわかってなくて、その、ごめんね……。そんであの、付き合って下さい、俺と」
「は?君に付き合う?いつどこに?何に?君と遊んでいる暇などないんだが?」
すると桃草はあたかも五体投地するかのように順に地に両手両足を付けて合掌し、這いつくばって床に額を擦り付け懇願した。
「お願いします!まずは文通からとか友達からとかで良いから!付き合って下さいぃ!」
「無理だよ。僕は忙しいんだ。五里田を倒すという任務があるからね」
「任務?そいつが片付けば良いんだ?付き合ってくれるんだ?」
きらきらした目で下から見つめる同僚が不快や滑稽を通り越して何だか憐れに思えてきた生地村は、眼鏡のブリッジを中指で押し上げため息をついてからこう言った。
「やれやれ。仕方ないな。今回の任務が片付いたら、また次の任務が舞い込んできて僕は此処を去ることになる。だが任務遂行のために協力してくれるなら、新たな任務にかかる前に多少時間を作ってやるよ。君への報酬としてね」
「マジで?マジだな?よぉし、じゃあやる!やります。今からゴリラんとこ行ってくる」
「え?おい、ちょっと待て。君みたいなペンペン草が単身突撃したら跡形もなく消滅させられるぞ」
「心配してくれてありがとう、嬉しい。でも大丈夫!俺こう見えてできる男だから!ね?ほら、戸棚んとこになんか伝説のバナナみたいなの生えてるから!!これ持ってくから大丈夫、できる!!じゃあいってきます!!」
伝説のバナナ(?)を振り、変蜜と鼻血を垂れ流しつつ意気揚々と出ていくその男の後ろ姿を見送った寅葉は、半分呟くようにぽそりと生地村に尋ねた。
「生地村先生、うまくいくと思いますかな?」
「いや、無理だろうね、多分」
「ですよな……」
だが欲に目の眩んだこの男の執念は恐ろしいもので、桃草はこの後約三年半、ちょくちょく焦れてハニートラップに走ろうとする生地村を制しつつ、毎週欠かさず日曜日の夜に五里田の元を訪れて交流を深めつつ粘り強く交渉を続け、遂に五里田の母星と地球世界政府連合との間に永久不戦条約を成立させるに至った。
で、その結果、五里田は駐地球大使として活動することとなり、一方、面倒臭いと政府高官の誘いを蹴った桃草は、政府にあてがわれた高級マンションに無償で住むようになりながらも再び学校へ。そして、条約の立役者たる体育教師の身辺警護を命ぜられた生地村は、任務の都合上、アパートの天井裏ではなく、警護対象たる彼と同じフロアで同居することになり、それを聞いた体育教師は、清々しい笑顔で両拳を空に向かって突き上げなから、消防車が放水するかのように激しく鼻血を噴射してぶっ倒れましたとさ。めでたしめでたし。
ちなみに条約成立から二年後、とある惑星からのSOSを受信した地球防衛軍幹部に請われた桃草は、シン・伝説のバナナ(?)を手に、五里田ならびに生地村、そして事情をよく知らぬまま何となく流れで巻き込まれた学年主任の乾を伴って、星を滅ぼさんとする角付きエイリアン軍団を討伐しに行くという大変ロマン溢れる冒険の旅に出ることになるのだが、それはまた別なお話である。
うしとら。 森永フラワー @Immortal-forest-flower
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