うしとら。
森永フラワー
第1話「JCと能面と生首たち」
それは、名字と名前の組み合わせが鬼門を指しているようで不吉だとしばしば言われることでも、しゃべり方が変だとしょっちゅう指摘されることでも、おかっぱ頭を構成する髪のうち頭頂部の一束だけが大体いつも跳ねて俗にいうアホ毛となることでも、セーラー服のスカーフがちょくちょくもやい結びになることでも、自称天才で殺し屋志望の兄がほぼ毎日弁当や上履き袋に何か妙なものを入れて来ることでもない。
丑光寅葉の悩み、それは、美術の課題で出された
入学初の美術の授業でその課題が出てから今日に至るまでずっと、彼女は面を作り続けている。美術教師に「こんな完璧な小面はない、素晴らしい」と絶賛されても、地域のコンクールで優勝してもなぜかどうしても満足できず、放課後の時間を利用して毎日作り直しの自主製作。それをやめられないのだ。もう能面の顔など見たくない、たくさんだ、とも思っているのに、もっともっと、とつい次を作り始めてしまうのである。「もしかして能面の呪いでは?」とお祓いに行ってみたりもしたが、効果はなく、今やもう半分やけくそで、自室の壁という壁に数多の能面を貼り、能面と共に風呂に入り、能面を鞄に着けて登校するなどして日夜研究に励んでいる。
さて、本日も彼女は放課後美術室の一角に陣取り、彼女を気味悪がって恐れる美術部員たちの視線をものともせず自主製作に励んでいたわけなのだが、美術部顧問でなおかつ寅葉の担任でもある、無駄にひょろりと高い身長と若白髪、目の下の青グマがトレードマークで生徒たちの間で密かに『草』『ひょろパンダ』『パンゾンビ』などとあだ名されているもやし系体育教師、
なお、余談だが、抹茶ぼたもちメガサンデーは、透明カップを模した五リットルバケツで提供される、化け物じみたボリュームの商品いや、果敢に挑んだ数多の勇者たちを沈め、屍の山を築いてきた魔王である。
それはさておき、好物の甘味が得られることになりうかれた寅葉は
「へへ、思いがけず好物が舞い込んできたわい。これぞ棚からぼたもちというやつですな、まぁ抹茶『ぼたもち』メガサンデーなわけですしな……」
などと独り言を呟きながら、千鳥足じみた下手くそスキップで校門を通過し、そのままウキウキと蛇行しながら歩いていたのだが、親方通りの曲がり角に差し掛かったその時、そのよたよた歩きがぴたりと止まった。誰かに後をつけられていることに気づいたからだ。
ナァっ!背後に誰かおりますぞ。ま、まさかこれが、今流行りの変質者という奴で?最近学校周辺に変質者が、とかクソ野郎、じゃなくて、兄上がほざき申しておられたけれど、その変質者なんですかな?変質者、変質……ううん?変質者って何ぞ?くせものとは違うんですよな?変質?めたもる……いやそりゃ変身。ぐれごーるざむ……いやいやそれも変身でんがな。変質、変質、ナァっ、どっか傷んでるとかそんな?腐っている?腐っているのはちょっと嫌ですな。それなら生首、生首にしてくだされ。生首の方が断然良いですぞ。だって生首は腐っておりませんからな。ナァっ、もしかして腐った生首?だったら嫌ですな、すごく。臭いし色々面倒ゆえ勘弁願いたい。
両の拳を握り締め、恐る恐る振り返った寅葉は思わず安堵の息を漏らした。そこにいたのが変質者などではなく、ぽぉん、ぽぉん、とゴム毬のように跳ねる仏顔の生首だったからだ。
「なんだ、ただの仏顔の生首ではないですか、おどかすない。あ、そうだ。弁当の残りとか食いますかな?まぁ愚兄謹製の毒卵しか残っちゃいませんが、なぁに、貴殿は元々死んでいるのですからな、毒でも何でも食えるでしょう」
エキセントリックな極彩色の卵焼きだけが入った弁当箱を生首に差し出しながら、そういや生首って物食ったらどこで消化するんでしょうかな、などと考えていると、斜め上から女の声が聞こえた。
「私、綺麗?」
ははぁ、今度は口裂け女ですか、と思いつつ目を上げた寅葉は少し驚いた。彼女のよく知る口裂け女とはかけ離れた、王冠を被り紫のカクテルドレスを纏った三十がらみの女が寅葉たちを見下ろしていたからだ。
「ええと、はぁ、あの、私め的には、お綺麗だと思いますが」
「世界で一番綺麗?」
「ええとあの、世界で一番かどうかはその、好みの問題とか文化とか色々ありまして、そして私めはそれらを飛び越えてみすゆにばーすを決定できるような偉い御仁でもなく。なにぶん、平々凡々たる一介の女子中学生でありますからな」
「世界で一番綺麗なのは誰?」
どうやら相手は、美醜の判断基準の決定は難しく、また自分にはそれを決める権限もない、という回答では納得してくれないらしい。寅葉は頭をフル回転させて考えた。
ええと、何ですかな?この方は「貴女が一番綺麗です」ってな感じの回答をお望みなんですかな?けどそう言ったらこの方、口裂け女宜しく「これでもぉ?」とかほざきあそばして、ばばーんと御開帳とかなさるのでは?いや、マスクをお着けでないからそれはなし?でしたら…ナァっ、乳、乳はどうなっとります?ドレスをばりぃっと剥いだら乳が裂けて口になってるとか、ありのような気がめちゃくちゃしますぞ!
いやはやはてさてどうしたものか。パラパラ漫画とかで気を引いてその隙に学校まで走って戻って草呼んできて押し付け……いやいや、ひょろパンダぶつけても勝ち目なさげですぞ。ううむ、では
と、その時だった。緩く弧を描くように跳ねていたアホ毛が突然天を刺すかのようにピンと鋭く真っ直ぐになり、生首からの『卵を下さりし心優しき姫よ、私を賢者と偽りお使い下さいませ』というテレパシーを受信したのは。
そのテレパシーに対し、寅葉は頷きで了解の意を示した。そして、しゃがみこんで鞄から能面を外すと、皿に見立てたそれの上に生首を載せ、口裂けテナイ女にそいつを従者しぐさで恭しく差し出しながら述べてみせた。
「御質問の答えは、世界の賢者たるこの者に」
第三者から見れば、色々と無理のある作戦のように思える。しかし、奇跡的に女はそれに乗り、面ごと生首を受け取ると、ごほん、と咳払いをしてから問うた。
「賢者よ、世界で一番綺麗なのは誰なの?」と。
すると、生首はやけによく響く美声でこう言った。
「お答えします。それはレスリング部主将、白雪姫子のタンメンです」
と。
「白雪姫子のタンメンですって?なるほどわかった。そいつを滅ぼせば私が一番。そういうわけね。ありがとう賢者よ。この御礼は必」
しかし礼をするどころか、その台詞を言い終わる前に女は生首の口の中にずるんと吸い込まれ、喰われていた。
「ほほぅ、何やら変わった生首だと思ったら、人喰い生首であったとは……」
「呑気に感心してんじゃねぇよ」
振り返るとそこには、歪めた唇の端で挟むようにして煙草を咥え、そして肩に担いだ金属バットの重みで、生まれたての小鹿の如く足を震わせている某パンゾンビが。
「煙草咥えたまましゃべるとか器用すぎでは?」
「今そこツッコむ?」
「なるほど、ツッコむべくは『勤務中にサボり煙草』の方ですかな?」
「いや、あのね?一応俺ね、なんか嫌な予感がしたから、野球部の指導放り出して急いで君の様子を見に来たんだけどね?」
「はて。私の記憶では、桃草先生は美術部顧問であったような。まぁそこは十歩譲って野球部顧問ということにしたとして、生徒の危機を察知して急ぎ駆け付けようというのに、煙草に火をつける暇がおありだったことについては、指摘させて頂いてよろしいかな?」
「煙草のことは忘れなさい。てか忘れて下さい。生徒指導とか小テスト採点とか色々サボってましたすいません申し訳ございません。お前を見送るとかいう名目でうまく学校抜け出してサボってたらなんか通りすがりの野球小僧が妖気を感じるとか言い出して、そいつにバット押し付けられてここまで来させられましたごめんなさい。サンデーを二杯、いや三杯に増やすんで、絶対に教頭に言わんで下さい。あの人マジでヤバくておっかないから。ヒップドロップとかブレーンバスターとか色々」
「ほぅ。ついにサボりついでに可愛い女生徒のケツを追いかけてきたと認めるわけですな」
「いや、別にお前のケツ追いかけてきたわけじゃねぇから。話聞いてた?」
「ほぅ、これが俗にいうツンデレ……」
「違うから。つーか人の話を聞け」
「違いますかな。では、博学多才の先生に是非ともご教示願いたし。ツンデレとはなんぞや?」
「んん?あー、ツンデレっつーのはな……」
その後二人は生首の存在をすっかり忘れ、桃草がバットの重みに耐えかねて崩れ落ちるまでツンデレの定義について語り合い続け、その一部始終を見物していた生首は、崩れ落ちた桃草にどすんとヒップドロップならぬヘッドドロップをかましてから、住処である腐海の森へ帰って行きましたとさ。めでたし、めでたし。
ちなみに後日、ゲル状になりながらも手練手管を駆使して生首の口腔内から脱出し、ついでに人喰い生首の一群を手懐けた口裂けテナイ女改めスライム女と、秘伝のタンメンを守るために七人の教頭と手を組んだ白雪姫子の間で大変スペクタクルなバトルが繰り広げられたりしたのだが、それはまた別なお話である。
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