第22話

 それから三日、学校にいけなかった。

 桜に首をしめられ、眠りについていたからだ。


 目がさめたのは、木曜の深夜だった。

 もう冬休みが始まっていた。

 空は雲だらけで、月は迷子になっているのか、海の底にまでしずんでしまいそうなほど、町全体が暗かった。


 父さんが消えた。

 仕事かとおもって桜にたずねると、彼女は、窓辺にて、月の光と夜をあびながら、ペロペロと、猫のように、右手の人差し指をなめた。

 どうやらそこをナイフで傷つけているようで、「人参とまちがえたの?」ときいてもこたえてくれなかった。


 そして、金曜の朝、つまりは、ミヅキと街に遊びにいく日、父さんはどこからともなく帰ってきた。


「オカエリ、ユキト。チャント、学校にイカナクチャ、ダメだぞ」


 父さんは桜とおなじように、ガラスの目玉になっていた。

 ぼくを殴るでもなく、その鉄みたいに固く太い手で、ぼくの頭をなでた。


「オニイタマッ、ミテミテ。シュウリ、完了したんだヨ」


 父さんの腕に桜がしがみついていた。その唇は、自身の指からあふれる血で真っ赤になっていた。どうやら、桜は父さんの体を月乃さんに渡したらしい。


「コレデ、オシゴトもがんばれるし、モットモット、パパ、にナるヨネ」


 桜は冬休みにどこかへピクニックにいこうと、父さんの腰に腕をまきつけ、だだをこねていた。

 食パンをいっぱいもって、どこかの公園でシートを広げるのだという。仲が良い家族って、まぼろしなんだとおもっていたけど、すぐちかくでみれば、案外普通だ。


「ネェネェ、オニイタマ。コンナフウにみんながナカヨクナルト、本当のカゾクミタダヨネ? キット、ママもヨロコンデくれる」


 もう、桜の右手をとりもどさずに、ずっとこのままでもいいのではないか? とおもった。


「フフフフフ、オニイタマも、サイキン、ボロボロダネッ! 遠足のマエニ、メンテナンス、しとくー?」


「え、それはいや」





 ミヅキは駅で待っていた。

 制服姿ではなく、すこし大人っぽい、暖かそうな服をきていた。


「おはよ~」


 ミヅキはぼくをみると手をふってきた。

 切符を二枚かって、錆びた電車にのった。電車のなかは人が多かったけど、座ることはできた。


「どうして昨日まで学校にこなかったの?」


 椅子に腰かけるなり、ミヅキは頬をふくらませた。


「桜の遊び相手をしていたんだ。ウサギとおんなじで、さみしかったら死んじゃう病気なんだよ」


「へぇ~。ユキト君、面倒見がいいんだね。クリスマスプレゼントも買ってあげるし、やさしいお兄ちゃんじゃーん」


 今日は、桜のクリスマスプレゼントを買う、という仮の目的で、女の子目線の意見をもとめるために、ミヅキについてきてもらっていた。


 ミヅキはぼくが学校にいない間のことを、顔をすこし赤くして話した。


「大変だったんだからね」


 どうやらぼくがミヅキをさそったから、クラスであまりよくない噂がたち、ミヅキは男子から、からかわれたらしい。相合傘の落書きを黒板にかかれたり、口笛をふかれていつ結婚するのか? なんてきかれたり。


「それは、ごめん」


 電車のゆれはコトコトし、ぼくの頭のなかには、黒い影がいっぱいひろがった。


「まぁいいけどー」


 ミヅキはしばらくの間、頬を赤くしたまま、窓の外をみていたけど、やがて「ア」となにかおもいだし、ぼくの顔をみた。


「アズサちゃんの事件のことがさ、パパの耳にも入ったの。そしたらパパ、それはぜったい月乃さんのせいだって。パパが小学生の時にも、おとなしかった子供が、急に凶暴になってだれかに襲いかかったみたいな事件があったんだって」


 ぼくがうなずくと、ミヅキは猫のように目をほそめた。


「あの学校の屋上の大樹、あれ、月乃さんの魂を鎮めるために植えられたものなんだって、パパいってた。昔、パパも月乃さんのこと、気になって調べたことがあったんだって。ユキト君、気にしてたよね。教えてあげる」


 目的の駅まで、十五分ほどだった。

 ぼくの頭はぼんやりしていた。

 だから、ミヅキがいってたことが、小鳥のさえずりなのか、電車の車輪の振動なのか、よくわからなかった。


 だけど、散らばったピースをまとめると、こういうことだった。


 今よりも、ずーっと昔、まだ校舎が木造校舎だった頃。

 月乃さんという、ひとりぼっちの女の子がいた。

 友達がいないだけならまだよかったけど、その存在すらも、いるんだかいないんだか、よくわからなかった。


 帰り道、子供たちが校舎にふりかえると、夕日に照らされた屋上に、月乃さんが立っていた。


 月乃さんは友達がいないのを気にしているふうではなく、よく、屋上でひとり、ポツンとしているすがたが目撃されたという。


 下校のチャイムが鳴り、夜にちかづくと、いなくなっていた。


 彼女は、無色だった。

 だから、目をこらしていても、消えてしまうのだ。


「一週間は五日でしょう? そのうち、朝の出席確認の時、月乃さんの名前がよばれたのは何回だったでしょう? 五日のうち一回でもよばれればいいほどに、月乃さんの存在はわすれられていたんだって」


 腕をパタパタさせながらたのしそうに語るミヅキをみながら「エ、そういえば、今だって、学校で月乃さんの名前、よばれたことあったか?」とぼくは首をかしげた。


 月日はながれ、月乃さんは六年になった。

 もうすこしで卒業だという、冬のある日。


 月乃さんは屋上に「さがさないで」と書いたプリント、そして、そのうえに自身の上履きをおいていなくなった。

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