第21話
家に帰ると、ズルズルと、なにか重そうな音がした。
血まみれの父さんが、水をもとめて、あるいは戦争ごっこをしているのか、這いまわっていた。
影が、父さんの背中をふみつけた。
「アラ、オニイタマダァ~。今日もオソインダネ」
父さんは踏みつけられるごとに、ゲホとか、ガハとか、ベゴゥとか、へんな音をたてていた。水の音とか、汚い音とかだった。床は血とゲロでよごれ、桜が床を踏むごとに、べちゃべちゃへんな音がする。
「オニイタマ、タイヘンなの。サイキン、コイツ、マッタクオモウヨウニウゴイテクレナインダヨ? オシゴトの途中にも、タオレチャウシ、ネムッタ後、ナカナカ起きてくれナイ」
暗い部屋に、星の光ではない、桜の目の、血のような赤が、かがやいている。
「ネェ、テレビのナオシカタ、オニイタマ、シッテル?」
「ンー。絆創膏をいっぱい貼れば治るのかな?」
この家にテレビはない。
「チガウヨ? コタエハネ、ブンナ殴ってアゲレバイインダヨ。ソウシタラ、ゲンキデタ! ってナっテ、テレビサンは喜んでくれるんダァ」
「そうなのか」
どうやら、猫や犬、あるいは、ニワトリのような生き物とはちがうらしく、機械は殴っても悲鳴をあげないらしい。
「ダカラネ、サクラ。コイツをイッショウケンメイ、治すの、ダカラネ、今晩ハネ、オニイタマといっしょに寝てアゲラレナインダァ、ゴメンネ、ゴメンネ」
と、桜はいったけど、桜の力がないとぼくは眠りにつくことができない。
朝陽が部屋にさしこむまで、桜のいる場所からきこえる、鈍い音や、悲鳴を、枕に頭をのせながら、ぼくはきいていた。
そんな日が二日つづき、土日はおわった。
月曜、ぼくはミヅキからもらったマフラーをまき、そしてランドセルをせおった。
「学校にいく。桜も気をつけていけよ」
「シュウリ。カイカエ、コイツ、モウだめだ、シュウリ、買い替え、修理、カイカエしなきゃ」
玄関につづく廊下には、汚いものが散らばり、腐った臭いと、血の香りがした。
桜はうごかなくなった父さんの背に座りこみ、風船のように、ふらふらこきざみにゆれていた。
桜は土日の間、ずっとつきっきりで、父さんの修理をしていた。だから、ぼくは布団のうえからうごけなかっただけでなく、食パンもたべてなかった。
耳のなかで、うるさいセミが、ちぎれていく瞬間がなんどもくりかえされるようなノイズがして、それがチャイムの音だときづくと、ここは教室だった。おはよう、と黒板をひっかいたような、イヤな声が目のまえにやってきた。
「死にそうな顔しているね、ユキト君」
月乃さんとヌル君だった。
「ちゃんと宿題はやってきた?」
プールの底からは、青空も曇り空もみえないし、そしてそこには、空気がなく、息ができないのだった。そういえば、あのプールには死人がいたときいた。せっかくなので、ぼくは、シーカーさんが気にしていた、聖女様を殺したのは月乃さんなのか、きいてみた。
「ン……。あぁ、このまえみせてあげた、水死体の少女のことだね?」
月乃さんの返答はノーだった。
聖女様を殺したのは、月乃さんではなかった。
「あの子はじぶんで死んだんだよ。せっかく偽木をあげたのに、それでお友達を傷つけるのが怖くなったんだって……。ふふん、あの時はまだ私も未熟だったから、心を完全に溶かしきれてなかったみたいだね」
「桜も、死んじゃうのか」
「ねぇユキト君は、首吊りの死体はみたことある? あんな茶色できったないロープで首を縛るよりも、かわいいリボンで首を吊った方が、あるいは、赤色のロープでキレイに仕立てた方が、まだかわいいとおもわない?」
なぜコイツは急に、誕生日プレゼントのラッピングの話をしだしたんだ?
ぼくがかんがえていると、月乃さんは、唇に人差し指をあて、目をほそめた。
「でも、溺死のほうがもっと惨めだよ。あんなに顔をパンパンにして、オバケみたいな顔を皆に晒しちゃってさ。あの子、体の返還はできない、って私がいったら、水のなかはキレイだから……って偽木の力でむりやり体をおさえつけて、プールの底に沈んじゃった」
「わかった。ところで、今月末……つまり、大みそかの日、あけといて」
「ン?」
「夜」
教室がうるさい。いつからここは鈴虫の虫かごになった?「そう。たのしみにしてる」月乃さんとヌル君は、いなくなり、ミヅキがとなりの席についた。
「おはよう~。アレ、今だれかいたよね……? だれだったんだろ?」
「ミヅキ」
「なぁに? ア、マフラーしてる!」
ぼくたちが話しているのを、クラスメイトたち、いや鈴虫たちが、へんな目でみている。
「今週の金曜、つきあってくれないかな」
ミヅキの頬は赤く染まり、哀れで能なしの鈴虫の群れは、死にかけのように、もっとさわがしくなった。
今週の金曜は、もう冬休みで、そして、クリスマスイブだった。
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