第7話

「まてっ! 桜」


 桜を追いかけた。

 桜は縁側の部屋の窓辺にたち、ぼくに背をむけていた。

 月のうかぶ夜だったから、わずかなすき間風が、桜の髪をゆらしているのがわかった。


 畳にはポタポタと、血がしたたりおちていた。


 ぼくは桜の体を押し倒し、右手を口にふくみ、血を舐めとった。


 アイツのけがれた血で、ぼくの桜がよごされるのは、許せないことだった。


「?! ……なんだよ、これ」


 苦い、そして、気持ち悪い。

 ぼくは桜の手を吐き出して、悲鳴をあげて後ずさった。

 きづいた。目のまえにいる桜は、桜ではない!


「オニイタマ、オニイタマ、ウフ、フフフフ」


 桜(らしき物?)は、カクカクと機械じみたうごきで、ゆっくりと立ちあがった。

 めくりあがった、桜の右袖。むき出しになった桜の右肘……そこには、ぼくが昔つけた、あの黒い歯形がなくなっていた。


「オニイタマは、こんな時間までオキテ、ダメデショウ? ヨイコはもう、寝る時間ダヨ?」


 靴にふみつぶされたタンポポは、弱い風でもふらふらうごく。

 桜もふらふらしていた。

 窓辺にいた桜は、きづけば、ぼくの目のまえにいた。


 次の瞬間、ぼくの体は床に押し倒されていた。

 桜がお腹にのっている。怖い。ガラスみたいな、人形みたいな、すくなくとも、生命の光をかんじないつめたい目で、ぼくを見おろしている。

 

「フフフフフ、オニイタマったら、いけないんだから? ヨシヨシ、サクラがいっしょにオネンネしてあげるからね? ジっトシテルンダヨ?」


 呼吸ができなくなった。

 桜が、ぼくの首を、両手で締めあげている!

 ぼくはバタバタと必死に暴れてみるけど、桜の体はピクリともうごかなかった。


 …………。


 桜が、笑っている。

 ウフフフフフフフ。ときこえる。耳のなかに入ってきて、そして、頭の奥の奥の方へ、ぐわんぐわんしながら、笑い声がひびいていく。


 …………。


 やがて、ぼくは暗いとこにつれていかれた。

 暗いところにも桜はいた。イヤ、ただしくいえば、月乃さんとおなじ、ガラスの目玉の光だけが、ぼうっとぼくをながめていたのだ。





 目覚めると、朝だった。

 ひさしぶりに鳥の鳴き声をきいた。

 朝の陽ざしがこんなにきもちいいものだと、しらなかった。


 畳からおしっこの臭いがただよっている。どうやらぼくはおねしょをしたようだった。おもらししたばしょには、木炭がおいてあった……とおもったが、これはどうやら、桜が準備した食パンのようだった。


 パンの横にメモがおいてある。おしっこでびしょぬれになっている。


『オニイタマ、あんまりにもきもちよさそうにねてたから、おこさないであげたよ。いつまでもげんきでいてほしいから、ちゃんとパンたべてね さくら』


 ぼくは食パンをたべて学校にむかった。

 途中、川辺の草むらに吐いてしまった。


 学校についた。

「おーい、そこの君」

 校門の横には、プールがあるんだけど、プールサイドから、掃除のおばちゃんが手をふっていた。

 ちかよると、おばちゃんはひょいと、金網のうえをとおるようになにかをほうって、こちらによこしてきた。

 

「悪いんだけど、職員室にこれを持っていってくれんかね。私はしばらくここから離れられないから」


 それは白い花をあつめた、花束だった。

 キレイなビニルの包装につつまれていて、風にかさかさ鳴った。

 

「毎月月初めの朝に、プールにこの花がおかれているんだよ。きっと夜に献花しにくるんだろうね」


「プールでだれか死んだんですか?」


「んー? 私はくわしいことしらないけど、ずーっと昔に生徒がひとり、このプールでおぼれたって話をきいたけどねぇ」


 花束を職員室の先生にわたした。

 うけとった先生は「あぁ……、今日、月初めか」と、なんだか迷惑そうな様子で「ありがとう、早く教室にいきなさい」と手をふった。


 授業はまったく頭に入らなかった。

 昨日の夜の桜のことおもうと、勉強に集中できなかった。


 桜の右腕から花の香りとぼくの歯形がきえていた。

 そして、桜は筋トレに成功したのかしらないけど、父さんをボコボコにしていた。あの腕力はすさまじかった。さっきトイレにいった時、シャツのボタンを外して首を確認してみたんだけど、まるで、ゴリラににぎられたんじゃないか? とおもわせるほどに、クッキリとした手形がのこっていた。


 困ったことになった。

 桜の右手がなければ、ぼくは眠ることができない。

 早くとりもどさなくては。

 桜はいったいどこで右手をとりかえたというのだろうか?

 右手だけではない。

 あの、月乃さんとおなじ目。

 目もどこかにおとしてしまったようだ。


 月乃さんにきけば、なにかわかるかもしれない。なんせ桜は月乃さんと同じ目になってしまったのだし。

 だけど、あいにく月乃さんは、教室にいないようだった。


 昼休みの時間にミヅキにきいてみようとおもったが、ミヅキもいない。


 ぼくの様子をみた、後ろの席の女子が声をかけた。

 どうやらミヅキは昨日の帰り道、例の追跡者にイタズラされたらしい。

 たまたまちかくをとおりかかった大人が止めると、追跡者はものすごいスピードで逃げ出したそうだ。


 ミヅキはそのショックで、今日は学校を休んでいるとか。


 放課後、先生によばれた。

 なにごとかとおもったけど、連絡帳と宿題のプリント、それから献立表をミヅキの家に届けろという。


 先生はミヅキの住所をつげると、さっさと教室をでていった。

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