第3話

 給食の時間だった。

 口のなかでパンは、ゴムのような感触をしていた。

 ネズミがつぶれた時、耳障りな音をたてる。それは今もきこえる。


「ねぇユキト君」

 耳鳴りがちぎれたとおもったが、となりの席のミヅキだった。


「今日の体育の時、どこにいたの?」


 ミヅキはジュニアアイドルとして活動していて、猫のようにまん丸で、吸いこまれそうな、ふしぎな目をもっていた。


「私、先生にいわれていたんだよ。ユキト君が準備体操する相手がいないだろーから、私と組むようにって」


「おかしいなー」とミヅキは顎に手をそえて、なんかいっていた。

 ぼくたちのクラスは四〇人で、ぼくがだれとも準備体操をしなければ、つまり一人、余る者がでてくるはずだった。

 だけど、準備体操は皆、二人一組でちゃんとやっていたらしい。


「それからおかしーんだよ? 今日ね、島本さんのチームと試合した時、マンツーマンディフェンスで相手の攻撃を止めようとしたの。でも私、どうしても相手のチームの五人目がみつからなかったの……まぁだからか、あっさり勝つことができたんだけどね」


 ミヅキは「1、2、3、4……」と指をなんども折りながら、首をかしげている。


「試合前の整列の時にはいたんだよ」


「月乃さんじゃないの」


 つまり四一人目の生徒がいただけの話だろう。


「月乃さん? そういえばそんな子いたね。だれだっけ」


 ミヅキは牛乳のストローをくわえたまま、教室をキョロキョロみまわした。

 ぼくは蠅の羽の音をきいた。

 無数の蠅の大群が、ぼくの耳のまわり……イヤ、耳をつきやぶって、頭のなかで羽をバタバタさせているのである。


「ンー? 月乃さんって、どんな子だったっけ? えーっと、いつも授業中に先生にあてられてるよね? たしかいつも、わかりません、ってだけいって、次の子に回答をゆずっちゃう」


 吐き気におそわれた。

 もうこれ以上はたべないほうがよかった。

 昨晩の晩ご飯は、焦げた食パンだった。


 桜の作る焦げた食パンと、アパートに出る虫たちが、ぼくのご飯だった。

 ジャムの変わりに、わずかに食パンに残った、桜の花の香りをたべた。


「あれ……おかしいな。名前はおもいだせるのに、顔がでてこないや」


 ミヅキは後ろの席の子と話しだした。


 給食の途中、滝野君が大声をあげて、なにか怒っているようだった。

 どうやら、パンがなくなったらしい。


 後ろの席の男子と話していたら、トレイからパンが消えていたらしい。

 だけど皆、とくにきにしてなかった。もう慣れているのである。


 このクラス……、イヤ、この学校では、こんなふうに突然物がなくなることがよくあった。


 給食がなくなるなんて、もう何度経験したかわからない。

 アサガオの植木鉢をもって帰りなさいといった時は、前野さんの鉢がきえた。

 雀が巣を作っていたから皆で見守っていたら、一羽、どこかへいった。

 秋の学習発表会の時。ぼくたちはリコーダーの演奏をしたのだが、坂本さんはリコーダーをなくしたらしく、本番直前まで教室でさがしていた。

 しかし、先生は坂本さんがいないことにも気づかなかったし、皆ちゃんとそろっていたよ? と教室にいた坂本さんをみて首をひねっていた。


 なくなった物は、返ってこなかった。

 体育の時や発表会の時にはひとりふえ、物はきえていく。

 それがこの学校の当たり前だった。


「もう、滝野君たら。食いしん坊だよね」


 ミヅキはクスクス笑っていた。





 帰り道は、カラスの鳴き声と黒色の夕陽のなかにあった。


 ふりかえると校舎は黒かった。

 ひび割れた窓ガラスは、夕陽で黒く燃え、オレンジ色の人影がゆれていた。


 だれかがぼくを呼んだ。


 黒い影がランドセルの肩ベルトをつかみながら、ぼくにかけよってきた。

 ミヅキだった。


「私、これからお仕事なの。駅までついてきてくれない?」


 学校の屋上には、一本の大樹が植えられている。

 ここからでも、それをみることができた。


 とても大きな樹で、枝も太く、ブランコがかかっている。


「……ねぇ、私、だれかにつけられてるみたいなの」


 ミヅキはぼくの耳元へくちびるをちかづけて、小声でいった。

 ミヅキの体はすこしだけふるえていた。


「お願い。電車に乗っちゃえば、いっぱい人がいるとおもうから」

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