第206話 バレンタインと冬の終わり


 都内デパートのチョコレートの祭典で購入してきた戦利品は女子二人のおやつとなった。

 高級ショコラは大事に少しずつ味わう予定だ。


 それとは別に、バレンタイン用のチョコレート菓子を二人は手作りしていた。

 メインはザッハトルテ。

 美沙的には難易度の高いチョコレートケーキだが、晶の希望で作ることになった。


「土台のスポンジケーキ部分は作れるけど、チョコのコーティングはできる気がしない……」


 ザッハトルテといえば、綺麗にコーティングされたチョコレートが美しいケーキなのだ。

 

「任せてください。テンパリングも得意なんですよ、私」


 凛々しい表情で立候補する晶。

 言葉通り、晶の手際は素晴らしかった。

 この菓子作りの器用さが、どうして料理の腕に結び付かないのか不思議で仕方ない。

 ともあれ、美しい出来栄えのザッハトルテは完成したので、ほっと胸を撫で下ろした。


「せっかく綺麗に仕上がったケーキだもん。【アイテムボックス】に保管しておくね」

「お願いします」


 大物のザッハトルテを作り終えたので、後は気楽にお菓子作りを楽しめる。


「では、適当に食べたいチョコ菓子を作っちゃいましょうね、ミサさん!」

「うん。アキラさんは何を作るの?」

「そうですね。皆で摘みやすい、チョコチップクッキーやチョコマフィンを作りたいです!」

「いいね。ちょっと小腹が空いた時に最高のおやつだ」

「ミサさんは?」

「んー? そうね。せっかく美味しい果物がたくさんあるから、それを使ったチョコレートのお菓子を作ろうかな」

「楽しみです!」


 エプロンを纏った今日だけは、このキッチンは女の子のお城だ。

 心得た奏多は自室で大人しく動画の編集作業に取り組んでいる。追い出した形になってしまい、申し訳ないので後で何か差し入れるつもりだ。


 美沙が作るのは、オレンジのチョコがけ──オランジェットだ。

 まずはオレンジピールを作る。オレンジの皮を使うので、晶に頼んで浄化クリーンで綺麗にしてもらった。

 色鮮やかなオレンジを晶は興味深そうに眺めている。

 

「このオレンジもダンジョン果樹園の収穫物なんですか?」

「そう! 夏みかんやグレープフルーツは植えていたんだけど、少し前にオレンジの栽培にも挑戦してみたの」


 これはダンジョン果樹園で実った、最初のオレンジなのだ。

 若い枝には、まだ実が三つしか付いていない。

 ポーション水でリポップはするけれど、もう少し大きく育つまでは様子見する予定だ。

 オレンジをくし形に切って、皮を剥く。今回使うのは、この皮の部分だ。

 鍋にお湯を沸かして、皮を入れてから煮込んでいく。湯を何度か替えて煮込むと、皮を細切れにして、グラニュー糖を混ぜた。


「マーマレードみたいですね。いい匂いです」

「アキラさんのクッキー生地も美味しそうな匂いがするよー」


 生のクッキー生地も不思議と食欲をそそられる。お腹を壊す可能性があるので、どうにか我慢しながら、残りのグラニュー糖も加えて煮込んでいった。


「ここにリキュールを少々。んんっ、魅惑の香り」

「ああ……チョコレートリキュールを使ったカクテルが飲みたくなりますね」

「言わないで、アキラさん。お酒を飲みつつお菓子を作る女子はちょっと可愛くないと思う……」

「うふふ」


 小悪魔だ。蠱惑的な笑顔のお礼に、砂糖で煮込んだオレンジの皮をお裾分けしてあげる。

 口に含み、うっとりと頬を押さえる晶。


「もうこれだけでも美味しいです……」

「だよねー。これ、グラニュー糖のレシピで作ってみたけど、ダンジョン産のハチミツでもいけるんじゃないかな」

「後で試してみましょう。絶対に美味しいやつです」

「それこそ、マーマレードになりそうだけど」


 オレンジがたくさん収穫できるようになったら、ハチミツ入りのマーマレードを作ろう。


「あとはオーブンで焼くだけ」


 天板にクッキングシートを敷いて、細切れにした砂糖漬けのオレンジの皮を焼き上げて、風通しのいい場所で乾燥させればオレンジピールは完成だ。

 オランジェットは、そのオレンジピールにテンパリングしたチョコレートを浸して固めるだけ。

 クーベルチュールチョコレートはほんのりダークな風味のものを使ってみた。

 晶と二人で味見してみたが、我ながら美味しく仕上がっている。


「オレンジの甘酸っぱさとダークチョコレートのほの苦い風味がいいですね。大人の味です」

「カナさん、喜んでくれるといいな」

「絶対にカナ兄の好きな味ですよ、これは。それより、カイさんにはいいんですか?」


 不思議そうに晶に聞かれて、美沙は苦笑する。


「カイはねー、それこそアキラさんが作っているチョコチップクッキーの方が大喜びするから」


 まだ根に持っているのだ。

 数年前、都内で久々に再開した幼馴染みにデパ地下に並んで手に入れたチョコレートマカロンをお裾分けした際に「なんか、すかすかして食った気がしねぇ菓子だな」と言われたことを。


(一個、五百円の高級マカロンを!)


 今思い出しても、腹が立つ。

 なので、あれから甲斐へ渡すのはビッグなカミナリチョコなどの駄菓子にしている。

 高級マカロンより嬉しそうに食べているので結果オーライだ。

 

 製菓用のチョコレートは大量に買ってきていたので、女子組は思う存分、チョコ菓子作りを楽しむことができた。

 砕いて溶かして固める作業がとても楽しい。

 晶はクッキーやマフィンの他にも、スコーンやブラウニーなども焼いていた。

 美沙が追加で作ったのは、自家製のドライフルーツを使ったチョコレートバーだ。

 十二階層で手に入れた黄金のリンゴも使ってみたので、魔力回復用のカロリーバーになった。


「はぁ、楽しかったー。お菓子作り、またやろうねアキラさん」

「はい! 製菓作業は器用さを鍛えるのに、すごく役立っている気がします。作業は楽しいし、食べると美味しい。その上、ステータスも上がるなんて一石三鳥です」


 器用さのステータスが上がるのは知らなかった。ダンジョン内での戦闘以外でも、ごく僅かながら、上がるらしい。


「そろそろキッチンを使わせてもらってもいいかしら、お嬢さんたち」

「あ、カナさん。ごめんなさい、すぐ片付けますね!」

「良い匂いね」

「ディナーの後でザッハトルテを出すから、腹八分目にしておいてね、カナ兄」

「はいはい。楽しみにしているわね」


 キッチンのあるじにお城を明け渡すと、二人は速やかに撤収した。



◇◆◇

 

 

 その夜のディナーは各種ダンジョン肉を使ったロースト料理がテーブルいっぱいに並んだ。

 ローストディアにローストボア、ラムチョップのローストまである。

 カモ肉のローストは何とチョコソースで彩られていた。バルサミコ酢の風味が加わり、これが意外と美味しい。

 オーク肉のローストにはマヨネーズとハチミツ、粒マスタードに醤油、すりおろしたガーリックのソースが添えられていた。

 どれもやわらかくて、絶品だ。

 

「お肉も美味しいけど、バーニャカウダーも最高です。お野菜がいくらでも食べれちゃいます」

「ねー? ワインとすっごく合う!」

「うふふ。今日は赤ワイン気分だったのよ」

「肉うめー!」


 ノアさんとブラン、シアンたちもロースト料理を味わっている。

 ノアさんには食べやすいようにお肉をカットして。ブランには分厚い塊肉を出してあげた。

 スライムのシアンはバーニャカウダーがお気に入りのようで、ラムチョップと交互に楽しんでいる。


 食後にザッハトルテを出すと、甲斐が歓声を上げた。


「なにこれ、すげー芸術品みたいなケーキ! これ、手作りなのか?」

「土台は私で、芸術的なコーティングを施してくれたのはアキラさんだよ。心して食べるように」

「お恵み、感謝! いただきまーす!」

「フォークを入れるのがもったいないくらい、綺麗なケーキね。ありがとう」


 味はもちろん美味しい。

 コッコ鳥の卵とポーション水を定期的に飲んでいる牧場の牛乳を使ってあるので、当然だ。


「ダンジョンでカカオが採取できたら、これ以上に美味しいチョコレートが味わえるのかな……?」

「十一階層に期待したけど、あいにくカカオはなかったのよねぇ」

「でも、カカオから加工するのはすげー大変って聞いたことがあるぞ?」


 甲斐の疑問は当然だ。

 頷きながらも、美沙は笑顔で晶を見やる。


「そこは錬金術師のアキラさんがきっと何とかしてくれるはず!」

「丸投げかよ」


 バレンタインだから、とテーブルには十一階層で採取してきてくれた花が飾られている。

 華やかな紫色の小花が愛らしいデンファレだ。

 細やかな心遣いがとても嬉しい。


 ザッハトルテとは別にラッピングしたチョコチップクッキーなどを配っての、ほのぼのとしたバレンタインの夜となった。


「あっという間に二月だね」

「ついこないだ、こっちに移住してきた気分なんだけどなー」


 赤ワインを過ごしてしまい、四人は窓を開けた縁側に座って酔いをさましている。

 空気の入れ替えを兼ねており、火照った頬に夜風が気持ちいい。


「冬も終わりね。ほら、梅の蕾が膨らんでいるわ」


 奏多が指差す方向に、晶が【光魔法】で作り出した灯りを飛ばしてくれる。

 庭の梅は、たしかに蕾が膨らんできており、せっかちな一輪だけ花開いていた。


「もう春なのか! 一年、早すぎるな」

「きっと、ここで過ごす一年がとても楽しかったからですよ」


 感慨深い気持ちで、梅の花を見つめる。

 去年の今頃は先行きの見えない未来が不安で、ずっと塞ぎ込んでいたように思う。

 きっと四人とも、そう。

 バー『宵月』で美味しいお酒を飲んで、楽しく笑い飛ばしていたけれど、皆きっと不安だったのだと思う。

 だから、このダンジョン付きの古民家で一緒に暮らすようになって。

 皆の心からの笑顔を見ることができて、美沙も心置きなく笑えるようになったのだ。


「次の春もまた、楽しい日々になるといいな」

「なるわよ、絶対に」


 ぽつりとつぶやくと、隣に座る奏多から優しい同意が返される。


「そうだよ。今度こそ、全力で花見を楽しもうぜ!」

「また山菜摘みとタケノコを掘りに行きたいです」


 掘るのなら任せろ、とばかりにブランが吠えて、土は私でしょとノアさんのネコパンチを喰らっている。


「そうだね。また皆でたくさん遊ぼう」


 冬の終わりの夜風に甘やかな梅の香りが混じっていた。



◆◆◆


ギフトいつもありがとうございます!


冬のお話はこれでおしまいです。

次は2年目の春のお話になりますが、しばらく準備期間に入ります。

3巻の書籍化作業もありますので、更新は少しだけお待ちいただけると幸いです。


◆◆◆

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【書籍化】ダンジョン付き古民家シェアハウス 猫野美羽 @itsuki1010

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