廿楽あいかは――

 放課後。

 夕焼けが教室内を照らす中、僕とあいかはいつも通りの放課後を過ごしていた。

 そう……いつも通りの放課後である。


 あの後、当然保健室へ向かうこととなったが、特に異常なし。先生にも、


「プールサイドで滑って落ちました」


 としか説明しなかった。


 正直、面倒だったのだ。もう済んだ話だし、半分事故ってこともあるし、事を大きくしたくなかった。


「……それでも、私は言うべきだったと思います」


 と、目の前にいるあいかは納得が言ってない模様。若干頬を膨らませているようにも見える。


「いいんだよ、あれで」

「でも」

「牧野はもう何もしてこないさ。新島さんが注意してくれるらしいし」


 実質的な女子のリーダー、新島さんから忠告がしてくれるらしい。『眠れる女王』の名は伊達じゃない。


「歩美にはうちから言っとくよー」

「ありがとう」

「いえいえー。実際、危なかったしねーあれ。君もあんま無茶しちゃダメだよー?」

「……ごめん」

「ま、私は多少の無茶ならいいと思うんだけどねー」


 と、斎藤はニヤリと笑いながら、僕の胸を軽く小突く。


「かっこよかったよ、武藤くん。やっぱ男の子はそうでなくちゃ」


 ……最近気づいたんだが、時々見せる斎藤の笑みは、なんだか男子小学生のいたずらっ子っぽく見えるんだよなぁ。


 まあ理由がどうであれ、怪我人の僕がプールに落ちたという事実があるんだし、彼女が今後何かしてくるということはないだろう。


「ただ、牧野がお前に拘る理由がよくわからないんだよなぁ」

「……彼女は1年生の時、同じクラスでした」


 あいかがポツリポツリと語り出す。


「他の生徒たちに比べて、交流が多かったです。でも、とある日に雨で……」

「あー……そういうことか」


 牧野も見てしまったのだろう。そして、あいかから離れてしまった。

 で、2年に上がってから僕があいかと仲良くなった。

 端から見て面白くなかっただろう。離れた自分と近づく僕。まるで自分が悪役のような立場に、苛立ちを感じたというわけだ。


 ……なんか動機が弱いような気もするけど。事実、そういうことが起こってしまっているのだから、現状こうだとしか言えないだろう。


「……怖かったです」

「ん?」

「私……怖かったです」

「……それは、ごめん。僕が落ちたせいだよな」


 あの水が苦手なあいかが、自らプールに飛び込んだのだ。

 それも理由がどうであれ、その起因は僕にある。助けてもらったことには感謝するが……怖がらせてしまったことには、頭を下げなければならない。


 やはり冷静に対処するべきだった――と反省すると、意外にも彼女は「いえ」と続けた。


「私が怖かったのは――陽太がいなくなるのが怖かったんです」

「……!」

「確かに水は怖かったです……でも、それ以上に。あの時は、陽太を失う方が怖かったです」


 そう語るあいかの表情にあまり変化は見られない。

 だが、カップを持つ手に力が込められていた。


「なので――もうあんな危険な真似、しないでください」

「……わかったよ」


 絶対とは言い切れない。

 この先、何が起こるかわからない。

 けれど……この場ではハッキリとした返事をしなければ、彼女は納得しないだろうと思った。


「……陽太。一つ、お願いがあります」

「ん?」

「私がロボットだという噂は……そのままにしてほしいんです」

「……それは」

「はい。周囲には私のことをロボットだと思ってくれても構わないってことです」

「…………」


 それはつまり――噂を噂のままでしておいてほしい、という意味か。


「わかってます、よくないってことは。でも……全員が陽太のように普通に接してくれるというわけじゃないと思います」


 それは――確かにそうだ。


「だから、このままにしておいてください。異端のロボットでいさせてください。私が真実を話しても大丈夫なくらい強くなれる――その日まで」

「…………」

「お願いします」


 頭を下げるあいか。僕は……。


「……ロボット工学三原則」

「え?」

「ロボット工学三原則って、知ってるか?」


 突然の僕からの問いにあいかは驚いたように顔を上げる。


「……【第1条:人間に危害を加えてはならない】、【第2条:人間の命令に服従しなければならない】、【第3条:自分の身を守らなければならない】。優先度は上から順です」

「うん、そうだな」

「……まるで私みたい、ですね」

「……そうだな」


 否定しなかった。

 彼女の言う通り、似てると思ったからだ。


 人を傷つけない、命令は従う、危ないことはしない。


 多少の誤差はあれど、彼女の行動原理のようだ――と。僕も感じたからだ。


 だから、否定しなかった。


 けど……彼女だけが特別というわけじゃない。


「――それさ、僕にも言えることなんだ」

「……え?」

「人を守る、紳士の鉄則には従う、紳士として身だしなみは正す……ほら、一緒だろ?」


 これも本当のこと。

 ロボット工学三原則は、僕が常日頃志している紳士としての行動と似てるなと感じたのだ。


「僕たち、似た者同士だな」

「――っ」


 そう、彼女は一人じゃない。

 彼女だけが特別の存在じゃないんだ。


「まあ、僕たちなんて言ったけど……何者かでいる限り、みんなこの三原則に則ってると思うんだ」

「何者かでいる限り……」

「そう、何者かでいる限り」

「……なら。この三原則に則ってない人というのはいない、ということですか?」

「いや、そんなことはない。則ってないのは犯罪者――」


 「犯罪者くらいでしょ」と言いかけて、ふと思いつく。

 犯罪者じゃなくても則ってない人たち。それは――。


「――後は愛かな」

「……愛、ですか」


 時に人を傷つけなければならない。

 ルールなんてものはない。

 自分が傷つくことさえ厭わない。


 恋を、愛を、恋愛をしている人たちは――この三原則を守らないんじゃないのだろうか。


 ………………いや、なんか上手いこと言ったようにしたけど、結構恥ずかしいなこれ……女子に言うことじゃないぞ……。


「……なるほど」


 が、そこはあいか。大した反応もなく、ただ頷くのみ。ほっ……僕がただの痛いやつにならなくて済んだ……。


 さて、少し喋りすぎた。こういう時は紅茶を飲んでひと息……。


「……陽太」

「んー?」

「私、陽太が好きです」

「ごふっ!」


 紅茶が変なとこに入った。


「げほっ、げほっ……な、なんだって?」


 むせながら、もう一度聞いてみる。

 なんか、とんでもない爆弾発言が聞こえたような……。


「はい。陽太が好きです」

「………………それ、友達としての好きだよね?」

「よくわかりません。でも、好きです」

「…………」

「もっと陽太と話したいです。一緒にいたいです。色んな思い出を作りたいです」

「だぁぁぁああっ! どうしてそんな恥ずかしいことを言えるんだお前は!」


 聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるじゃないか!


「陽太はどうなのですか?」

「……え?」

「私のこと、好きですか?」

「……………………」

「陽太?」

「……ひ、秘密だ」

「なぜですか?」

「なんでもだ!」


 あぁもう! どうしてこいつは、こうもぐいぐい来る!


「では、今のところは私の片想いということで」

「それでいいんだ……」

「はい、それでいいです」


 妙なところで納得するのも、こいつらしいな……。


 ――でも、まあ。


「……ところで、あいか。もうすぐ期末テストだな」

「? はい、そうですね」

「中間テストの勝負、もう一回しないか? もちろん、同じ条件付きで」

「いいですよ」

「くっ……そんな余裕そうな顔してるのも今のうちだ! 今度こそ、お前に勝ってやるからな!」


 ――でも、まあ……こうしてあいかと一緒にいるのは嫌な気分じゃないな。


 なんて面と向かって言うのは恥ずかしく、僕たちは今日も下校時間ギリギリまで共に過ごすのであった。



***



「……てなわけで、あいかに勝つために勉強中なんだ」

「なるほどねぇ。あの陽太が朝から自主勉してるもんだから、何事かと思いきや……そういうことか」


 朝のホームルーム前。いつも通りやってきた冬樹には悪いのだが、今日の僕は教科書とにらめっこ中である。


「……陽太。お前、変わったよな」

「え? なんだいきなり。気持ち悪い」

「そう言うなって。良い方向にって意味だからさ」

「うーん……?」


 そうかなぁ……? 僕としては、あまり実感を得られない。


「変わったよ。今までお前から話しかけてきたことなかったからさ」

「……でも、あいかの話ばっかだぞ?」

「いや、いいんじゃね? 誰とも関わりを持とうとしないよりさ」

「……そういうもんか」

「あぁ、そういうもんだ」


 でも――変わった、か。

 言われてみればそうかもしれない。日々の楽しみがラノベだけじゃなくなった。一緒にご飯を食べたり、出かけたりするのも楽しいということに気がついた。


 今まで一人でも十分だと思ってたけど――一人じゃなくても悪くないと思えてきた。


 ……まあ、それもこれも冬樹の一言から始まったと考えると、やっぱり腹が立つんだけど。


 ……あ、そうだった。


「冬樹。お願いがある」

「ん?」

「その、あいかの噂なんだけどさ……ロボットだって噂は、そのままにしておいてやってくれ」

「……いいのか?」

「うん」


 成績優秀だけど、どこか抜けている。

 基本的に無表情だが、無感情ではない。

 食べなかった昼食も、少しずつ食べるようになった。

 全く動かない時もあるが、興味あることには行動的になる。

 水は……苦手だけど、それもまあ個性と言えよう。


 彼女に関する5つの噂はこの3ヶ月であっという間に崩れ去った。


 ――それでも。


「あいつも……みんなと同じように何者かでいたいんだよ」



 廿楽あいかはロボットである。



――――――


 ここまで読んでくださり、ありがとうございました!

 これにて、『いちいち距離が近い廿楽あいかはロボットである』を完結させていただきます!

 この作品を書くに辺り、自分の欠点などが理解できました。次の執筆に生かしていきます。


 また……第2章は一応考えてありますが、いつ続編を書くかは未定です。他の作品も書いていきますので、また書ける機会があればなぁと考えています!

 それでは皆さん、また次の作品で!



P.S.なんだかよくわからないけど各所において謎の人間関係を持っていた斎藤雪音ちゃん。彼女がメインの別作品は↓

『チュートリアルに50,000時間かけたタンク職、防御を捨てる』

にて。よろしくお願いします!

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いちいち距離が近い廿楽あいかはロボットである 恋2=サクシア @koi2-writer

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