運命共同体

3話

「……というのが、これまで私が見てきた彼の――天城総悟の終わり」


 なんとか冷静さを保ちつつ、天城くんにこれまで私が見てきたことをそのまま伝える。本当は全て話したいところだけれど、その時間はない。要点だけかいつまんで伝えた。


 聞かされた当の本人はやはりというべきか、口に手を当てて眉根を寄せ、険しい表情を浮かべていた。


 無理もない。所々端折る部分はあったが、ひょっとしたら、これから自分が辿るかもしれない結末を聞かされたわけなのだから。言葉もないだろう。


 それでも、天城くんには知ってもらわなければならなかった。彼の死を。これから立ち向かわなければならない困難がどのようなものかを。


「道明寺」


「……なに、かな」


 どんな言葉をぶつけられるのか、思わず身構えてしまう。彼の死の運命を知りながら、彼を救えず、ただその死を見ることしかできなかった私を、天城くんは今度こそ非難するだろうか。


 私自身、覚悟はできている。それを受け止める責任もある。


 精神的ダメージがゼロになるわけではないけれど、これは彼を何度も死なせてしまった私が受けるべきペナルティなのだ。


 数分の静寂の後。


 天城くんは机に手をついて、深々と頭を下げた。


「悪かった。それでもってありがとう」


「……え?」


「俺の最後を見届けてくれたこと。それを忘れずにいてくれたこと。俺のために辛い事を話させたこと……他にも色々あるけど、とりあえず、そこの部分については謝罪と礼を言いたかったんだ」


「違っ、お礼なんて……それに謝るのはむしろ私の方で……」


「違わない。だって、道明寺がめちゃくちゃ頑張ってくれたおかげでこうして生きて……好きだって言えた。これまでの、どの俺よりも先に好きだって伝えられた。だから……やっぱり、『ありがとう』なんだ」


「…………そう、かもね」


 胸が締め付けられる。


 なんとなくわかってしまうからだろうか。


 例え、どのタイミングで、どの天城総悟が私の秘密を知り、自分の死を知ったとしても。


 その口から告げられる答えが同じものになることを。願望が入った希望的観測ではなく、私のこれまでの記憶がその答えを肯定していた。


 その言葉が『天城総悟の答え』であるのなら、私には受け取る資格と義務がある。


 想像していたものとは真逆のものではあるけれど。


「本当はどういたしまして……と言いたいところだけど、その『ありがとう』を受け取るのはもう少し先。天城くんが助かってからだよ」


「あー、そっか。さっきの話と同じ状況なら今の俺もこれまでの俺と同じでいつ死んでもおかしくないような状況ってことだもんな」


「うん」


「それが春休みが終わる日まで、と」


「私が確認できた範囲での最長はその日まで。春休みを乗り切っても、綱渡りの人生が続くかもしれない」


 そう。


 あくまでも、私が観測できたのが春休みの当日――より正確に言えば、その日の午後5時43分までしか確認できていないだけ。


 その時間を越えるか否かで天城総悟が生き残る保証はない。もしかしたら、その次の日に死んでしまい、ターニングポイントはもっと先だという可能性も十分ある。


 最悪の場合、春休みはという可能性すらある。ただ、これについてはあまり考えたくない。考えたところで解を得られるわけでもなく、私の心を削っていくだけだ。


「それが本当なら気が気じゃねえけど……まぁ、大丈夫じゃないか。春休みさえ乗り切ったら」


 さも当然とばかりに天城くんはそう言ってのける。まるで答えは既に得ていると言わんばかりに。


「どうして?」


 確信を持ったような言い方に私は思わず幼子のように純粋に聞き返していた。少なくとも、私が知る限りの情報ではその答えは出なかった。私では出せなかったからだ。


 同じ情報、ともすれば欠けている情報さえある中、私では導き出せなかった答えを天城くんはいとも容易く導き出した。


 私の視線から感じる熱か、それとも表情に出ていたのか、天城くんは腕を組んで悩んだ素振りを見せた後、わざとらしく咳払いをして、気恥ずかしそうに頭をガシガシとかきながら、ポツリと呟いた。


「理由は、その、ないんだ」


「………」 


 理由は、ない?


 言葉は通じているのに意味がわからない。


 そろそろ熱が思考能力を奪ってきたのだろうか。きっとそうに違いない。理由はない。それに答えがあるはずだ。決して『なんとなくそう思った』とか『ただの勘だ』なんて、いくら天城くんでも……いや? 普通に言うのではないだろうか。 


「っていうか、ぶっちゃけただの勘だ。仮に理由を探すとすれば、道明寺がめちゃくちゃ頑張っても、最終日には絶対死んでたってあたりぶっ壊さなきゃいけない壁はその辺かなぁみたいな。そんな感じがしただけだ」


「あはは……だと思った」


 あまりにも天城くんらしい理由答えに私は苦笑する。


 ああ、私はこんなにも天城くんから信頼されているんだ。とそう思うと嬉しくもあり、悲しくもあった。


 それはこれまでの行為が決して無駄ではなかったことの証明だから。その信頼に応えられる保証はどこにもないから。


「とにかく」


「――目先の問題を解決してから、その後なにかあったらその時に考えよう、だよね?」


「そう、それ。さすが、俺の救世主様だ」


「そんな大層なものじゃないよ。ここにいるのは、面倒くさくて、重たくて、湿っぽい無力な女だよ」


 そう返すと、天城くんは不満げな表情でこちらをじっと見つめてくる。


「……やたら発言がネガティヴだな。風邪のせいか? それとも、さっきの話のせいか?」


「元々そこまでポジティブじゃないような気がするけど……多分、両方じゃないかな」


 風邪のせいで弱気になっているのは少なからずある。


 ただ、それよりもこれまで誰にも言えなかった。打ち明けることができなかった出来事を他でもない天城くんに話せたことが大きいとは思っている。


 囚人が罪を告白するように、これまで内に秘めていた記憶を告げたことで、抑え込んでいた負の感情も溢れ出てきている。


 『これから一緒に頑張っていこうっていう時なのに、なんで私は……』などという考えが脳裏をよぎり、『そういう考えがネガティヴだ』という自身を非難する言葉が浮かぶあたり、いよいよ重症かもしれない。


「よし、じゃあ寝るか」


「え?」


「これ以上、ああでもないこうでもないって考えてもしょうがねえし、とりあえず今日は寝て、明日朝起きてから本格的に対策を立てていこうぜ。てことでおやすみ」


 そう言うと天城くんは立ち上がって、布団のある方へと向かっていく。どうやら本気で寝るらしい。って――


「ちょ、ちょっと待って」


「どうした、道明寺。一緒に寝たいのか?」


「ねっ……!?」


 こ、この、有事の際になにを言ってるんだ、天城くんは!?


 寝るだけならともかく、一緒に!?


 一緒に寝るということは同じ布団に入るわけで、年頃の男女が、それも両想いの男女が同じ布団で寝る!? それの意味するところを天城くんはわかっているのだろうか!? いや、あの挑発的な笑みは私が混乱するのを分かって言っている顔だ。私にはわかる。わかるだけになんでこのタイミングで? 今は勝負をするどころか協力しなきゃいけない時なのになんで私の心を揺さぶるようなことを言ってくるの? というか、なんで天城くんはそんな恥ずかしいことを言って照れてないの? ああ、でも天城くんはもう告白してる身だから照れる要素がないってこと? 天城くんって実は恋人相手には無敵なタイプなのかな? あれ、でも私はまだ告白の返事とかしてなかったような気がするんだけど。ひょっとして天城くんにこれまでのことを話してる時に私が天城くんのことを好きなのがバレた? それで『両想いなのはわかったから実質答えを貰ったみたいなものだし別にいいか』的な考えになった? いや、確かに天城くんの告白はものすごく嬉しいし、私なんかで良ければ恋人どころか伴侶として生涯を共にしていきたいけど、今はまだ問題が解決していないし、呑気に告白されて喜んでいる場合じゃないし、それを天城くんだってわかっているはずだし……ええ、なんで。なんでそんな『俺は別にいいけど?』みたいな顔をしてるの!?


 負のスパイラルに入りかけていた思考が天城くんの爆弾発言によって彼方へと吹き飛ばされ、その代わりに私の頭の中は言葉の暴風雨が吹き荒れていた。


 風邪のせいで熱かった顔がより一層熱くなっていくのを感じる。というか、絶対さっきより熱が上がった。


 天城くんも天城くんで、私が想像以上に混乱しているのに面を食らったのか、顔の前で勢いよく手を横に振る。


「冗談だよ、冗談! さすがにそこまではしないって!」


「だ、だよね。うん、わかってたわかってた」


 こんな見え透いた冗談を本気になんてしていない。するわけがない。ただ、少し、そうほんの少しだけ本当だったらいいなとは思ったけれど。


「でも、寝ようってのは本気だ。今後に備えて英気を養っておかないと、『寝不足だったせいでうっかり足を滑らせて机の角に頭をぶつけて死んだ』なんて笑えない死因が追加されるのはゴメンだしな……ああ、だからって、俺が寝るのに道明寺が起きてるってのは無しな。俺が助かるには道明寺の記憶と経験が重要なんだ。道明寺にも早いところ元気になってもらわないと困る」


 今度は……うん。本気で言ってるよね、これは。


「でも、私が寝てる間になにかあったら元も子もないし」


「それ言い出したら、春休み終わるまで道明寺は不眠不休って話になるぞ。出来るのか?」


「………………………………………やる」

 

「出来るって言わないのが、お前らしいよな、道明寺」


 呆れたように深い溜め息を吐いて、こちらに戻ってくる天城くん。


 本当はハッタリでもいいから出来るって言い切らないといけないところなんだけど……天城くんの命がかかっているこの状況で、出来ると言える神経の図太さは私になかった。


「しゃあない。こうなったら、力技だ」


 そこからの天城くんの行動は早かった。早歩きで私の側面に回り込んだかと思うと私の足を膝裏から強引に持ち上げ、後ろに倒れる体を右腕で受け止めて持ち上げる。


 体調不良と天城くんらしくない相手の了承を得ない強引な手法に面を食らい、私はなすすべなく抱き抱えられていた。


「あ、え、なに? わた、私、天城くん近い。これ、なに、私、抱っこされて、どういう――」


「はは、すげえテンパり方してるな。もっと早くこういうところ見せてくれてたら、すぐに告白できてたのにな」


 露骨な揶揄い言葉に少し冷静さを取り戻す。醜態を晒したのはともかくとして、少しからかいすぎだ。


「あー、わかったわかった。ちょっとからかいすぎた。反省するから叩くのやめてくれ。あんまり暴れられると落としちまう」


 どうどう、と犬でも宥めるように天城くんは言う。もっと暴れてもよかったけど、そうすると私が床に落ちるし、そのせいで天城くんの死因に繋がるようなことを起こしたくないので、静かに手で自分の顔を覆うだけにした。


「……これにはなんの意味がありますか?」


「すげえ棒読み。なんの意味もなにもこうでもして力づくでも連れて行かないと寝てくれなさそうだしな」


「…‥入っても寝ないよ。絶対」


「じゃあ、絶対寝かせてやるよ。これでも駄々っ子を寝かしつけるのは得意だからな」


「別に駄々をこねてるわけじゃないんだけど……」


「言い出したら聞かないってことなら大体同じだって」


 どこか呆れたような口調でそんなことを言って、天城くんは私を布団の上にゆっくりと下ろすと、部屋の電気を消し、私の布団のすぐ横に敷いてある布団へ仰向けに寝転がり、ふぅと息を吐いた。


「今日は……色々あったな」


 その『色々』が何を指しているのか、そこにどんな感情が込められているのか、わかっていたけれど、私はただ『そうだね』とだけ返す。


 本当に色々あった。


 事故とはいえ、お互いに想いを打ち明けて、これまでの出来事を共有して、乗り越えられなかった問題に初めて二人で挑もうとしている。キッカケこそ私が強引に連れ込んだことかもしれないけれど、今日は予想だにしないことが多すぎた。


 今日あった出来事を私は生涯忘れることはないだろう。そしてそれは天城くんも同じ……と思いたい。


 だから――。


「絶対に乗り越えよう。私達の未来のために」


「ああ。俺達の未来のために」


 お互いに顔を見合わせ、笑顔で言う。


 さて、あとは眠るだけ……と言いたいところだったけれど。


「ねぇ……やっぱり、一緒に寝よ?」


「……それ、冗談だってさっき言ったろ」


 そう。冗談。天城くんが言ったことは。


 でも、今の私が言っているのは冗談なんかじゃない。


「そうすれば、天城くんに異変があったらすぐに気づける。それに天城くんが近くにいてくれたら、私はすごく良質な睡眠を取れる。かなり合理的な提案だと思うけど、どう」


「…………………そうかぁ?」


 怪訝そうな表情で問いかけてくる天城くんに力強く頷く。


 流石に無理があるかもと思っていたものの、しばらく葛藤した後、天城くんはこちらに布団を寄せてきて、寝る位置も左端に寄せてくれた。


「ち、近くねえと意味ないもんな」


「そうそう。だから――えいっ」


 私は天城くんの左腕を抱きしめる。


 びくり、と身体を動かした天城くんだったけれど、特に嫌がることはせず、そのまま私に預けていた。


 激しく心臓が脈打つのがわかる。


 緊張か、幸福か。


 いずれにしても、こんなにも気分が昂った状態だと絶対に眠れる気がしない。天城くんの状態を確認しつつ、合法的に抱きつける。俗に言う一石二鳥というものではないだろうか。それはそれとして、この激しい鼓動は伝わっていないだろうか。そうだとしたら、少し恥ずかしいけれど……別にいいか。もうこの気持ちも隠す必要なんてない。


 だから全部。全部伝わって。





 


 

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