第3話 おしゃれな夜のアルバイト

俺はゼミ室で、櫛田さんに数日前のラーメンの件を話した。


「本当、参りましたよ。メチャクチャ食わされたんですよ」

「あっ、お前も?俺もだぜ。飯食わしてくれんのはいいんだけど、あれはもう暴力だよな」

「殴る蹴るだけが暴力じゃないっすよね。あれも立派な暴力だ。暴力!反対!時給あげろ!」

 

それから半月ほどたちこの街も随分と秋っぽくなってきた。

まだ、藤木さんは来ない。

そんな週末、櫛田さんと二人で出勤した。

開店準備を済ませ午後六時半には看板の電灯をつけた。


程なく今日最初の客が来た。全く幸先のいい始まりだぜ。こんな時間に。残業すれよ、サラリーマン。

「早えなあ。カラオケ練習するつもりだったによう」

櫛田さんは小声で呟いた。

「ですよね。こんな時間から客とは・・・・先が思いやられますよ、今夜も」


この日も週末らしい忙しさだった。

午後九時にようやくマスターが来た。とは言っても大した役にも立たないが。


十一時まで、ひっきりなしに客が来て休憩もできやしなかった。

それでもようやく落ち着き出し、マスターが奥のテーブルの客を相手にしているすきに、二人して小さいグラスにビールを注ぎ、タバコを吸いながらちびちび飲んだ。


店内はほぼ埋まってはいたが、週末のこの時間の客はすでに他の店で十分飲んできておりすでに酔っ払っているので、注文もあまりない。

カラオケのリクエストと水の入ったピッチャーと氷の追加ぐらいだ。

まあ、賑やかではあるが。


「それにしても今夜は忙しかったな」

「そっすね。でもまあ、ここまで来たらあとは惰性ですね。適当にしてればいいし」

「だな。でもよう、ここからが長いんだよな。だらだらと歌い続ける客がなあ・・・」

「ですよねえ。今夜も一体何時に帰れるやら」


案の定、客は一時を過ぎても店の半分を占拠していた。

「まだ四組もいるぜ。しかもお互い対抗意識むき出しでリクエストしまくり」

「なんだか、職場対抗歌合戦みたいですね」

「早く帰んねえかなあ、こいつら」

それでもまだまだリクエストがくる。


「いっそ、ブレーカー落として『停電だあ〜!』ってやります?多分、客は興ざめして帰りますよ」

「いいねえ。じゃあ、お前、落としてこい」

「ええ、俺がっすかあ。そこは年の功で櫛田さんがやってくださいよ!」

「お前が言い出しっぺだべ。責任持てよ」

「責任って。意味わかんねえなあ・・・・。わかりましたよ。でもフォロー頼みますよ」

「わーった。行ってこい」



まじかよ。冗談のつもりだったのに。

まっ、でも楽しそうだな、なんか。


俺は厨房へ行き、壁の高いところにあるブレーカーを迷いもなく切った。

店内に流れていた最近よく耳にする『とんぼ』のカラオケが消えた。

それでも激唱していた男客三人は暗い中、歌い続けていた。バカか。


俺はすぐさま厨房を抜け出しカウンターへ行き、大声で「あっ停電だ!」と叫んだ。

一瞬、女性客が騒ぎ出したが、それでも『とんぼ』の激唱が響いている。ったく、酔っ払いって奴らは。


「おい、ブレーカー見てこい」

マスターの声が聞こえた。

「はい」と櫛田さんがライターを灯し厨房へと向かった。

「あっ、ブレーカー落ちてますよ」

白々しい。

「じゃあ、あげろ」

「はい」

 パッと店内の灯りがついた。

 その瞬間、店内に拍手が起こった。はあ?なんで拍手?


「すみませんでした。原因わかりませんけど、ブレーカーが落ちたみたいです。問題ないと思います。引き続きごゆっくりどうぞ」

マスターは客に向かってそう言った。

なんだかわからんが、またも拍手。


「じゃあ、もう一回、とんぼ入れて!」

すかさずリクエスト。え〜、マジで。

イントロが流れると、店内の客全員が大拍手。

しかし、すぐにブーイングに変わった。

俺はこの状況が面白くないので、『とんぼ』ではなく別の曲を入れたのである。

『天城越え』、石川さゆり様の名曲。

ささやかな、しかし大胆な抵抗さ。うふっ!


「隠うしきれない〜 移り香があ〜が〜」

俺はわざと大きな声で歌ってやった。

「おい、曲ちがうぞ!」

「へっ!おい、高和!」

「はいはい。間違えました。でも『天城越え』いい曲っすよ。俺が歌います?」

「うるせえ、変えろ!」

俺は舌を出しながら『天城越え』を止め『とんぼ』のリクエストナンバーを押した。


 イントロが流れた。店内が大拍手で湧き上がった。

 げ〜、さっきより盛り上がってるよ。あちゃ〜。


「おい、さっきより盛り上がってねえか?」

櫛田さんがすかさず俺に言った。

カラオケのリクエストがどんどん入ってくる。

「そうっすか?」

「停電で客みんな、連帯感育んだじゃねえか。どうすんだよう?朝まで帰れねえぞ」

「そうっすか?」

「ばか、何が停電だよ。大失敗だよ。あ〜あ、やってらんね。俺はもう適当にしてるから、お前、後、ちゃんとやれよ」

「そうっすか?」


店内大盛り上がりだ。

どんどんリクエストされる。

今年はやった歌謡曲のヒットパレードが始まった。

そしていつの間にやら懐メロに変わり、店内、大きな輪ができ、大合唱が響いた・・・。

「まじかよ〜」、櫛田さんは奥へ引っ込んだ。


それでもどうにかこうにか二時半過ぎには客は引けた。

俺と櫛田さんは後片付けを始めた。

マスターはいつものごとく、カウンターに座っている綾子さんとベチャクチャダベりながら、今夜の売り上げを計算していた。


「俺おしぼり洗うから、トイレと床掃除頼むぞ」

「ふわあ〜い」

すっかり俺たちはくたびれていた。

トイレに入ってみると、結構混んでいた割りには、珍しく汚物もなくそれほど汚れてはいなかった。

週末は大体、飲み過ぎ馬鹿野郎どもがゲロゲロと吐くことが多く、閉店の頃はいつもトイレが悲惨な状態になっていた。


他人の汚物を掃除するのは気分のいいものではない。

このバイトで、目の据わった怖い酔客に絡まれることの次くらいにイヤなことだ。

しかし、中には気の利く客もおり、仲間の粗相に責任を感じて率先して汚物掃除をする稀有な方々もいらっしゃる。

稀ではあるが女性客がそれをやっていることもあり、俺は思わずその姿に惚れ惚れしてしまう。まさに掃き溜めに鶴だ。


それはそれとして、今夜のトイレ掃除は楽であり、さっさと済まし床掃除に取り掛かった。

掃き掃除をしてモップで床を拭き、俺のミッションは終了した。


「櫛田さん、こっち終わりましたよ」

「おう、俺の方はまだまだだ」

「ぬ!遅っ」

ダラダラしてんなあ、全く。

俺は手つかずの厨房へ入り洗い物を始めた。


「全くもう。ダラダラしてねえで、早く済ませて、帰るぞ!」

聞こえない小声で櫛田さんに言ってやった。


カウンターからマスターが大声で言った。

「おい、まだかよ?」

「こいつ、ダラダラしてやがって、終わんないっすよ」

櫛田さんは奥にいる俺を指差した。


はあ?俺かよ、櫛田さん。

「早く済ませよ!」

マスターは厨房の入り口ののれんから顔を出して俺に言った。

「いやいや、頑張ってますよ、ゼウスに誓って!見てこれ、ピッカピカ〜」

俺は厨房を指差した。

「言い訳はいいから早くしろ!バイト代減らすぞ!」


はあ?バイト代だと?これ以上、下げれんのかよ、こんなに低賃金なのに。労働基準法にすでに抵触してるでしょ?訴えるぞ、こら!

それにしても俺が悪者かよ。むかつくう〜、櫛田!


作業の手を早めとっとと終わらしカウンターへ戻ると、おしぼり洗いを終わらせた櫛田さんが澄まし顔でタバコを吸っていた。

それを見て一瞬、厨房へもどり包丁を握ろうかと思った。


「ちょっとう、櫛田さん。さっきのないでしょう?」

「何が?」

「何がって、俺のせいにしたでしょう?」

「そう?まあタバコでも吸ってよ。お疲れ!」

俺にマルボロを差し出した。マルボロかよ。

マルボロって馬糞くさいんだよなあ、などと普段ラッキーストライクを吸っていた俺はブツブツ言いながらもマルボロを一本引き抜き火をつけた。


「ぷはあ〜」

「重労働の後の一服はうまいっすねえ」

タバコ一本で機嫌が良くなるなんて俺は本当にバカだった。


「おい、早くしろ、帰るぞ」

「へ〜い」

俺たちはタバコの火を水道の水で消した。

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