【短編】サラリーマンにガチ恋したロリのやり方

夏目くちびる

第1話

 学校の前の横断歩道で、決まって出会うサラリーマンのお兄さんがいた。



 彼は、いつも眠そうな目を擦って、信号が青くなるのを待っている。腕時計を眺めて、静かに青くなるのを待っている。私たちの、集団登校の列の隣で待っている。



 ……ある日、私はお兄さんに命を救われた。



 後ろの子が転んで、その反動で車道へ突き飛ばされかけた。すぐそこにはトラックが来ていて、本当に死んじゃう5秒前を体験した。



 そんな、死の空中浮遊の最中、お兄さんは私のランドセルを掴んで支えてくれた。



 だから、私は今も生きていられる。



「一歩、下がって待つんだよ」



 命を救ってくれたのに、お兄さんはその一言だけだけを残して歩いていってしまった。ありがとうを言う暇もくれないで、何事もなかったかのように行ってしまった。



 かっこいい。



 同い年の男の子じゃ、絶対に出来ない事だ。



 ……それ以来、私は毎朝、横断歩道でお兄さんを見上げるようになった。



 いつも、時計を見て。こっちには、全然気付いていないけど。きっと、私の顔もよく覚えていないんだろうけど。



 それでも、私が自分じゃどうしようもないくらい、お兄さんを好きになってしまった事だけ間違いなかった。



 一緒に居たい。もう、我慢が出来ない。



 だから、私はお兄さんの隣にいるために努力することにした。



 私は子供だけど、子供ながらに好きになってもらう方法が、必ずあると思う。大人の女の人には使えない、彼を落とす方法があると思う。



 それを見つけて、絶対にやり遂げてみせると誓ったんだ。



「おはようございます」


「……ん、あぁ。おはよう」



 お兄さんは、ワイヤレスのイヤホンを外して私を見た。寝ぼけていたのに、すっかりドラマで見るような大人の笑顔になっている。



 初めて話したのに、私はこんなに緊張してるのに、余裕でズルい。



「きょ、今日は、いい天気ですね」


「そうだね、花見日和だ」


「ずっと寒かったのに、散らなくてよかったですよね」


「うん、そう思うよ」


「こんな日は、会社なんて行きたくないですよね」



 差し当たって、私の恋を成就させる上での最大の問題は、お兄さんの好みや恋人の有無ではなく、モラルによる壁だ。



 私が気にしようがしまいが、お兄さんには失う立場がある。私みたいな子供と深く関われば、社会的になにか良くない事が起きてしまう。



 何が起きるのかは分からないけど、何かが起きるのは分かる。



「はは、そうだねぇ」



 つまり、お兄さんは初めから私を一歩引いた場所で見てしまう。最初から、恋愛対象として見てくれないんだと思う。



 これが、一番に乗り越えなければいけない障害じゃないかな。



 ……さて、どうやって乗り越えよっか。



「それじゃ、私も勉強頑張るので、お兄さんもお仕事頑張ってください!」


「ん、ありがとう」



 信号が、青になってしまった。今日のお話はおしまいだ。



 なんで、こんなに早いんだろ。これじゃ、私の事を知ってもらうのも無理だよ。



「いや、逆によかったんじゃないですか?」



 そう否定したのは、友達のユミちゃん。三編みで、眼鏡のおさげで、目がくりくりのかわいい子。



 たくさんの本を読んでる、とても頭のいい子。



 私の、一番の友達。



「なんで?」


「『スリーセット効果』、というのがあります。人は、3回目に出会った時に、相手の印象を決定付けるっていう心理現象です」



 確かに、担任の先生とか最初の挨拶よりその後の方が好き嫌いが分かれる気がする。



「それで?」


「このまま落とし方を調べずに3回目を使って、小学生だって思われちゃったら、それだけで付き合ってもらえなくなる可能性が凄く高くなると思います」


「た、たしかに」


「だから、ちゃんと礼儀正しい、少しくらい大人っぽい子だって思ってくれるくらいの会話が、今日はちょうどよかったんじゃないでしょうか」


「なるほど、ユミちゃんはなんでも知ってるね」


「えへへ」



 つまり、私は残された一回で何とかお兄さんに小学生以外の印象を付けなければいけない、ということになるんだろうか。



 大変だ。



「何か、いい方法はないかな」


「『好意の返報性』と、『ゲイン・ロス効果』を使って告白するのがいいですよ。なにはともあれ、カナちゃんが本気で恋してるって知ってもらわないと」



 好意の返報性は、貰ったものへのお返し。ゲイン・ロス効果は、いわゆるギャップということみたい。



 因みに、カナというのは私の名前。



「じゃあ、明日はあんまり小学生っぽくない格好をして、助けてもらったお礼をしながら告白する」


「頑張ってくださいね」



 ということで、放課後になけなしのお小遣いを使って髪を切り、ユミちゃんと感謝の印のネクタイを選んだ。



 ……翌日の学校。



「どうだった?」



 私は、授業が始まっても顔を挙げられなかった。はっきり言って、死んじゃいたいくらい悲しい。



「頭を撫でられた」


「あらら」



 これは、かなりマズイ状況なんだと思う。



 お兄さんは、私を完全に子供扱いしている。しゃがんで目線まで合わせて、パパと似ている優しい笑い方をしたから。



 あんなこと、大人の女の人には絶対にしないハズだから。



「ぐすん」


「ごめんなさい、もう少しちゃんと考えればよかった」


「ゆ、ユミちゃんのせいじゃないよ」



 けど、どうして心理テクニックが通用しないんだろう。



 こういうのって、決定打にならなくても、少なくともいい方向に向かうと思ってたのに。



「そりゃ、お前。その兄ちゃんは大人で、カナが子供だからだろ?」

「へ? どういう意味?」



 隣の席のシンが、勝手に話に入ってきた。彼は、サッカーをやってる爽やか君だ。



「ユミが言ってるテクニックって、大人が大人にやるモンだろ。俺たちみたいなクソガキがやったって、ただのガキが背伸びしてるガキにしかならねぇよ」



 あと、口が悪い。



「ちょっと男子、イジワル言ってないで何かいい方法を考えてください」



 ユミちゃんが怒った。いつもは優しいから、少し珍しいと思った。



「最初からそのつもりだっつーの」



 どうやら、そういうことらしい。いいとこあるじゃん。



「……そうだな。本人がアピールするより、周りがアピールしたほうが好印象だって、うちの姉ちゃんが言ってた気がするな」


「『ウィンザー効果』ですね。口コミと同じ要領です。同性からだと、更に嫉妬も煽れたりして効果的です」



 ユミちゃんはなんでも知ってるなぁ。



「でも、誰がそんなアピールしてくれるの?」


「任せろ。おーい、来てくれ〜」



 そして、シンと同じサッカー部のカズヤとリョウがやってきた。彼らは、クラスでいつもは一緒にいる仲良し三人組。



 関西弁のショートカットがカズヤ、語尾が間延びしているおっとりがリョウだ。



「なんやなんや」


「おはよ〜」


「カナに大人の彼氏を作るから、協力してくれ」


「ええよ」


「うん〜」



 というわけで、三人がお兄さんにカナの話をしてくれることになった。



「ま、また、私の生徒が小学生っぽくない話してる……」



 教室に入ってきた先生は、何故か涙を流していた。なんでだろう。



 ……翌日。



「頭を撫でられた」


「三人とも撫でられたで」


「優しい兄ちゃんだった〜」



 横断歩道の先の角で待ち伏せをして、何か芝居をうってくれたけど。早く学校に行くよう説得されて、しまいには今度サッカーを教わる約束をしてしまったらしい。



 ズルい。



「なんで私より先にデートの約束してるの?」


「まぁ、お前のことも誘ってやるから怒るなよ」


「まったく、見てられないわね」


「あ、サラちゃん」



 サラちゃんは、お家がお金持ちで、大人っぽい金髪ハーフの子だ。



 もう一人の、一番の友達。



「答えを急ぎ過ぎよ」


「なに?」


「昨日、そのお兄様にカナが好きな事を伝えたばかりなのに、もう惚れさせるテクニックを使うだなんて。好きだって言われたから好きになるなんて、大人はそんなインスタントな恋愛はしないわ」


「マジ〜? ウチの兄貴、知りもしなかった女にいきなり惚れて、ツボ買わされそうになってたよ〜」


「チョロ過ぎやろ」


「草」



 笑う男子を見て、サラちゃんは髪を掻き上げて腕を組んだ。かわいい。



「でも、ならどうすればいいの?」


「今、カズヤが答えを言ったわ。つまり、ハニートラップよ。そのお兄様に、抱き着いてしまえばいいのよ」


「それ意味ある?」


「私やユミにはないかもしれない。けど、カナならチャンスはある」


「あぁ、確かにおっぱい大きいもんね〜」



 男子ってほんとエッチ。



「待ってください、その作戦は危険です。信号を待ってるのは、お兄さんとカナちゃんだけじゃないんです。最悪、お兄さんが捕まっちゃう可能性もあります」


「そしたら、一生恨まれるだろうな。まさか、命救ったガキに人生を潰されるだなんて思いもしないだろうし」


「悲し過ぎるやろ」


「でも、そんなに大きいかな」



 寄せて上げると、男子が鼻血を吹き出して倒れた。



「バカばっかね」


「どうしますか? カナちゃん」


「使えるなら、使ったほうがいいかも。ねぇ、サッカーの約束したんでしょ?」



 言うと、シンがムクリと立ち上がった。



「あ、あぁ。次の日曜日だ」


「なら、そこで使う。ちょっとくらい大胆になったほうが、きっとうまくいくと思うし」


「わかった、俺らも協力してやるぜ」



 ……ということで、日曜日。



「よぉ、兄ちゃん。友達も連れてきたぜ」


「よろしくおねがいします」


「うん、よろしくね」



 お兄さんは、前日にわざわざシンたちのママに挨拶を言って、それから青空公園の芝生の上で時間を決めて遊んでくれるようだった。



「しっかりした人ね」


「モテそうやんな」


「もしかして、彼女いるんじゃないですか?」


「いや、それはない。俺が確認した。彼女無し歴2年だって」



 シンは、私たちが合流するより前にお兄さんに色々と聞いてくれていたらしい。



「他に、何かわかった?」


「名前はナリさん。年齢は25歳。次に付き合う人と結婚したいから、恋人選びはちゃんとしたいって」


「誠実ね、カナが好きになるのも無理ないわ」


「でも、それって事実上の交際不可能宣言とちゃうの?」


「そうでもありません。期限が設けられていない以上、カナちゃんと恋人同士になることは可能です。秘密の関係です」


「興奮するわね、それ」



 そんな話を後ろでしていると、お兄さんと話していたリョウがやたら仲良さそうに笑っているのが見えた。



 なにあれ、ムカつく。



「落ち着け、リョウはお前の魅力を遠回しに伝えてくれてるし、そもそも男だ」


「いや、ズルいよあれ。私だって、お兄さんとお話したいのに」



 あんなの、嫉妬する。



「ただいま〜、兄ちゃんがそろそろサッカーしようって〜」


「あたしたちは、ハニトラのタイミングを図ります。男子は、なるべく子供っぽく振る舞ってください」


「振る舞わなくても、俺ら子供やん」



 そして、三人はお兄さんとサッカーを始めた。



「お弁当、自分で作ったんですか?」


「うん。あんまり上手じゃないけど、ママに教えてもらった。下手でも、私らしいかなって」


「賢明ね、心を打つのは味じゃなくて心だもの」


「いいこと言うね、サラちゃん」


「まぁね!」


「なら、食べさせてあげて、同時に腕に抱きつくのはどうですか?」


「いいね、自然に出来るように頑張るよ」



 そんなこんなで、お弁当。私は手はず通りにお兄さんの隣を陣取って、ご飯を食べることとなった。



「お、おおお、お兄さん」


「ん?」


「お、お弁当作ってきたので、よかったら味見してもらえまそんか?」


「ありがと、もらうよ」



 よし、自然に出来た。



 重要なのは、足を滑らせるタイミング。



 そう。重要なのは、足を滑らせるタイミングだ。あくまで自然に、腕に抱き着くように。



「うん、おいしい。上手に出来てるね」


「ありがとうございます、よかったらこっちも」



 言いながら、ウィンナーを箸でつまんでお兄さんの口に運んだ。



 よし、いま――。



「ん、危ないっ」



 瞬間、お兄さんは私を抱き抱えて反対側へ強引に動かして。



「え……っ?」



 スパン!と、空中に手を叩き落とした。



 みんなも、何が起きたのかわからない様子で私を見ている。しかし、ユミちゃんの照れた顔でようやく状況を理解した私は、体中の血が沸騰したみたいに熱くなってしまった。



「おおおおお兄さん!?」


「ほら、蜂だ。刺されたら痛いんだよね」



 何事もなかったかのように、静かに答えるお兄さん。シートの外を見ると、確かに蜂が落ちている。



「悪いな」



 そう呟きながら、お兄さんは蜂をハンカチでつまみ、草むらに捨てた。蜂に謝るなんて、変な人だ。



「す、すげぇ。あんなデカい蜂を手で……」


「かっけぇ……」


「兄ちゃん、只者やないやん……」



 戻ってきたお兄さんは、使命を忘れた男子たちに囲まれてしまった。一躍、みんなのヒーローになってしまったようだ。



「……想定外でしたね」


「まさか、向こうから抱き締められるなんて」


「はわわ」



 マズい、考えが声にならない。幸せ過ぎて死んじゃう。



「しかし、これはどうでしょうか」


「このお兄様なら、大人の女の人にも同じような事をする気がするわね」


「セ、セ、セーフですか? セーフなのですか?」



 あ、声が出た。



「カナちゃん、落ち着いてください。取り乱すと、子供っぽいですよ。深呼吸しましょう。時間は、男子が稼いでくれてます」



 大きく吸って、吐く。大きく吸って、吐く。



「う、うん、頑張る」


「ネバーギブアップよ、カナ。ハニトラ作戦、続行しましょう」



 それから、また蜂が来ないように場所を動いてからお弁当を再開。



 しかし、どうにも頭がポワポワしてしまって、全然ハニトラを仕掛けるタイミングを掴むことが出来なくなってしまった。



 そのまま、お別れの時間。まだ14時くらいだけど、お兄さんはこのあと用事があるらしい。



「わ、私たちは、もう少し遊んでいきます」


「兄ちゃん、ありがとうな。またサッカー教えてよ」


「いいよ、それじゃあね」



 シンたちのママに電話で連絡して、お兄さんは帰っていった。



「まぁ、完全に子供扱いやったな」


「つーか、みんなで遊びに来たのが間違ってたんじゃねぇの? カナも、俺らと同じ小学生にカテゴライズされちまっただろ」



 それ、誘ったシンが言う?



「いえ、そうとも言い切れません。本気の告白をしてきた女を抱き締めるなんて、いくら子供相手でも残酷な事です。自己嫌悪に陥るでしょう」


「まぁ、兄ちゃんならそうだろうね〜」


「でも、だからなんやねん」


「つまり、お兄さんはカナちゃんの事を考える理由が出来たんです。所謂、『カリギュラ効果』の応用です」



 カリギュラ効果とは、触ってはいけないモノに触ってしまいたくなる心理らしい。



「ユミはなんでも知ってるわね」


「えへへ」


「つまり、ロリ巨乳のカナに触れてしまったことで、普通以上に意識せざるを得ないということやな」


「ロリ巨乳って言い方、やめてね? 胸が大きいの、ホントは凄く恥ずかしいんだから」



 抑えて、男子に見えないようにちょっと後ろを向いた。



「まぁ、いいじゃん。そのお陰で、兄ちゃんに爪痕残せたんだから」


「特別であることは、間違いありませんね」


「でも、それだと返って問題が生まれるわ」



 サラちゃんが、神妙な顔をして言う。



「なに?」


「お兄様が、物理的に距離を取る可能性がある、ということよ。具体的に言えば、出勤の時間をズラしてカナと会わなくなるかもしれない」


「え……」



 また、声が出ない。今度は、絶望のせいだ。



「お兄様は、まず間違いなくカナの成長や教育に自分の存在が不健全であると考えるに違いないわ。そうなれば、カナの為に出来ることって、会わないようにして忘れさせる事だもの」


「ねぇ、これ言おうか迷ったんだけどさ〜」



 しゃがんでいたリョウが、呟くように口を開く。



「なに?」


「兄ちゃん、実は結構カナの事を気にしてたんだよ〜。俺、いっぱい聞かれたんだ〜」


「え? そ、それで?」


「本気で好きみたいだって、フォローしておいたけどさ〜。なんか、それが良くなかったみたいでさ〜。凄く、申し訳ないって言ってたよ〜」


「申し訳ないって、なんで?」


「好きにさせちゃって、ごめんって〜。また好きだって言われたら、下手に誤魔化さないで、しっかり真面目に断るって〜。だから、みんなで元気づけてあげてって〜。今日も、まさかいるとは思わなかったんだって〜」



 ……。



「カナちゃん、大丈夫?」



 大丈夫じゃなくて、何も言えない。



 どうしよう、涙をこらえるので精一杯だ。



 サラちゃんが、手を握って私の前に立った。顔を、隠してくれてるのかもしれない。



「真面目にって、どういう意味だ?」


「大人の女を相手にするのと、同じようにって事だと思います」


「キズは浅い方が残らなくて済む、ってことか。まだ、一週間くらいだし」


「兄ちゃん、ちょっと優しすぎるで」



 それは、私なんかが想像するより、遥かに不可逆的な理由だった。



 大人と子供の壁は、ありえないくらいに分厚く険しいモノだったらしい。立場やモラルじゃなくて、私への心配だなんて。



 こんなの、覆そうとするほどお兄さんを裏切る事になってしまう。



 ……イヤだ。



「多分、全部バレてたんだろうな。俺らが探り入れてるの。だから、俺に恋愛の事を教えてくれたんだと思う」


「確かに、言われてみればそうやんな」



 イヤだよ。せっかく、こんなに好きになったのに。



「諦めるしか――」


「あの、ちょっといいですか?」



 ずっと考えていたユミちゃんも、私の前に来た。



「それって裏を返せば、告白さえしなければ隣にいられる、ということになるんじゃないですか?」


「……どういうことだ?」


「言葉通りの意味です。リョウ君の話から察するに、お兄さんから告白の件を掘り返せようなマネはしないでしょう?」


「せやろな」


「ですから、あくまで『命を救ってもらったお礼』という体で、常に関わり続けるんです。その為の布石を、カナちゃんは既に打っています」


「……あ、お弁当」



 無意識に、軽くなった鞄に目を落とした。



「そうです。お料理の練習と称して、お弁当を渡すためにお兄さんと会い続けるんです。これならば、断る理由も作り辛いでしょう。なんと言ったって、精一杯の命への対価なんですから」


「優しさを逆手に取るワケやな」


「ダーティーだね〜」


「うるせぇです。恋愛は、綺麗事じゃないんですよ。あたしは、カナちゃんが好きになった人と絶対に幸せになって欲しいんです」


「こういう時、女ってやべぇわ」



 そんな事を言われても、私は覚悟を決める準備をしていた。



 すぐに決められなかったのは、きっとこの年から同じ人を好きでい続けるには、もの凄い量のエネルギーが必要になると思うからだ。



「もし、お兄様に恋人が出来たとしたら、カナはそれを一番近くで見る事になるわ」


「はい、このやり方の問題はそこです。その時の苦しさを想像するだけで、本気で胸の奥が痛くなります」



 だから、すぐに言えなかった。そう、ユミちゃんの表情が語っていた。



「なぁ、カナ。お前、やれんのか?」


「やれるよ」



 覚悟は、想像した痛みに耐えた、今この瞬間に決まった。



「……即答ね。私たちが生きてきた年月の、倍以上思い続けなきゃいけないのよ?」


「うん」


「兄ちゃん、きっとモテるぜ? 予感があるたびに、お前はずっと心配しっぱなしになる」


「おまけに、それでも叶う可能性の方が薄いよ〜」



 わかってる。



「でも、頑張る。私がいないと、まともなご飯を食べれないくらい、おいしいのを作れるように。ずっと、たくさん頑張るよ」



 それに、もしかしたらあの時、終わっていたかもしれない命だもん。



 全て捧げだって、惜しくない。



「ええやん、俺らも協力したるわ」


「当然です。差し当たって、何をすべきか考えましょう」


「そうね。幸い、私たちは小学生だし、お兄様より使える時間があるもの。お弁当を作る以外に、お兄様に会う理由を模索しましょう」


「そんなにたくさん会うの〜?」


「当然です。『単純接触効果』は、会わない期間が短いほど効果的ですから。可能なら、毎日がいいでしょう」



 単純接触効果とは、繰り返し接すると好感度が高まることを言うらしい。



「ユミはなんでも知ってるな」


「えへへ」


「でも、毎日会う理由って難しくないか?」


「そんな事ないよ」



 そして、私は前を向いた。



「あの横断歩道に、いつも来てくれるから」



 × × ×



「お兄さん、今日のお弁当です」


「ありがとう。でも、お兄さんはやめてくれって」


「いいじゃないですか。お兄さんは、お兄さんです」



 あれから、10年。



 私は、毎日お兄さんにお弁当を作り続けていた。



 今思えば、転勤の可能性だってあったかもしれないのに、我ながらよく信じ続けられたと思う。



「ちくわの磯辺揚げ、入れておきました」


「じゃあ、今日も仕事頑張れるかもしれない」


「またそんなこと言って」



 サラちゃんの言った通り、お兄さんはあの日の次の日の出勤時間をズラした。



 けれど、毎日続けていた習慣というモノはなかなか忘れられないようで。一週間が経った頃には、また同じ時間に信号を待つ姿を見つけられた。



 その時、安心し過ぎて泣いたのを、今でも昨日の事のように思い出せる。



「ところで、今日はずいぶん凝った髪型をしてるね」


「はい、高校の卒業式ですから」



 言った時、信号が青になった。



 しかし、お兄さんはそこから動かない。



 私も、動けない。



「……そっか」



 信号は、再び赤になった。



「私、ずっと隠してたことがあるんですよ」


「隠してたこと?」


「はい。実は、お弁当は命のお礼ってだけじゃなかったんです」



 今更過ぎる、絶対に知っている理由。



 何度も口から飛び出しそうで、けれど一度も口にしなかった理由。



「へぇ、気が付かなかったよ」


「ふふ、そうですよね」



 見上げると、彼はずっと前を見ている。まるで、感傷に浸っているみたい。



「それでは、また」



 卒業なのに、『また』。



「うん、また」



 お兄さんは、とぼける事も、誤魔化す事もしなかった。隠すことを止めたのに、また、ここに来てくれるのだ。



 ……信号は、青だ。



 ようやく、前に進める。



「お弁当、楽しみにしていてくださいね」



 そして、私の方がお兄さんより一歩だけ、横断歩道の向こうへ早く辿り着いた。



 本当に長かった、最後の一日。



 明日はきっと、いいことが起きる。そんな予感があった。

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【短編】サラリーマンにガチ恋したロリのやり方 夏目くちびる @kuchiviru

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