姫様の使用人

藍依青糸

姫様の使用人

「姫様あああああああ!!」


「キャッチしてー!」


「ああああああああ!!」


 笑顔満開で庭木の枝から落ちてきた少女を、死ぬ気で受け止めた。腰が不穏な音を発したが、歯を食いしばって耐える。死ぬな俺の腰、まだ15年しか生きてないのに今逝ったら今後どうする気だ。

 なんとか腰が耐え抜いた頃に、未だ俺の腕の中でケラケラ笑っている今年7つになった少女、つまりはこの国の末のお姫様を、そっと庭の芝生の上におろした。にっこにこ笑ってこちらを見上げてくる小さな姫様に、出かかったため息を飲み込んで芝に膝をついた。可愛らしいワンピースに着いた枯葉をさっと取り除いてから、踵を踏んでいる靴を履き直させる。たった今木から落ちたはずのお姫様は、いつになくご機嫌だった。


「姫様、庭木に登ってはいけません」


「なんで?」


「落ちたら危ないからです」


「アランがキャッチするのに?」


アランは常時庭木のそばに待機している訳ではないので……」


「じゃあ、アランはずうっとお庭にいれば良いわ!」


アランはお庭の精ではないので……」


「わかったわ! じゃあアラン、あっちを探検しに行きましょう!」


 小さく温かい手が俺の手を取って、走り出す。ぐいぐいと引かれるのに身を任せながら、空を見上げため息をついた。

 ああ、我が人生よ。我が青春よ。輝くはずだったお前達、頼むから帰ってこい。




 3ヶ月前。

 俺、アラン・バトラーは、王都の国立高等学校に首席で合格し、これからの青春を想像し、鼻歌交じりに入学書類に記入をしていた。

 こんなにも学校生活を楽しみにしている理由は単純、高校デビューしてやろうと思ったからだ。俺はこれまでの人生、死ぬほどモテなかった。勉強は真面目にやったし運動も嫌いでは無かったが、死ぬほどモテなかった。モテないどころか女子と話したことすら無かったので、高校に入ったらモテモテパラダイスを作ってやろうと思っていたのだ。デビューの仕方はもう少ししてから考えるが、とりあえずシャツの第二ボタンを開け、身長を15センチ伸ばすのは確定している。


「女の子のこと下の名前で呼んじゃおうかな……」


「息子よ」


「うおお!!」


 突然、背後から耳元に囁かれた男の声に飛び上がる。振り返れば、久しぶりに見る男の顔があった。


「父!!」


「うむ、父だ。2ヶ月ぶりだな息子よ」


「……3ヶ月ぶりだ。息子に興味ないにも程があるだろ、母も草葉の陰で泣いてるぞ」


「う、うむ、忙しくて時間の感覚が狂ってな……。それと、息子に興味津々だぞ父は。忙し過ぎて涙が出た時、お前の小さい頃の写真握りしめて邪教の悪魔召喚の儀を行おうとしたぐらいだからな。仕事無くなんねえかなって」


「それもう息子関係ないだろ」


「ごほん! とにかく、首席合格おめでとう、父の誇りだお前は」


 父は、ジャケットのポケットから1本の万年筆を取り出し、俺の手に握らせてきた。父がずっと仕事で使っている深い藍色のそれは、キャップを開けずとも一目で高級だとわかる代物だった。


「いいのか!? だってこれ、仕事で使ってるやつだろ?」


「いいんだ、いつかお前にやろうと思っていたから」


 貰った万年筆をあらゆる角度から見て、キャップを開けてみる。丁寧に手入れされていて、父が20年以上使ったものとは思えないほど美しかった。


「ありがとう、父!」


「はっはっは、久しぶりに息子の笑顔を見た気がするよ」


「事実3ヶ月ぶりだからな」


「……」


 万年筆をそっとハンカチに包んで、机の引き出しに入れようとしたところで、父に止められる。


「万年筆は常に手元に持っておくものだ」


「ああ、でもこの服ポケットないから」


 父は心底残念そうな顔でため息をついた。やれやれ、と首まで振って。ムカつく。


「息子、これを」


 父が得意気に差し出してきたのは。


「なにこれ、スーツ? 入学式も制服だから必要ないけど」


「父の昔の仕事着だ。お前の丈に合わせて繕ってある。これを着なさい」


「は? なんでわざわざ」


「いいから! 父を助けると思って! 彼シャツ的なアレだよ! そら、息子のちょっといいとこ見てみたい!」


「彼シャツじゃねえ! 意味分かってないなら使うなよおっさん!」


「着ろ」


「ストレートに圧かけてくんなや!」


 顔面距離10センチから瞬きもせずこちらを見てくる父に、仕方なく服を脱いだ。我が父が少々おかしいのは前からだが、今日はいつにも増して酷い。


「ほら、着替えたぞ父!」


 本当にサイズがぴったりだった服に着替え、ポケットに万年筆を突っ込む。父は顎に手をやり、舐めるように俺のつま先からてっぺんまでを見回した。


「ほほう? さすが息子、ほぼ完璧な姿だ」


「満足したかコスプレ強要おじさん」


「いや、まだだ。品良くその万年筆を持て息子よ」


「まだやるのかよ……ごっこ遊びは5歳で卒業しとけよな」


 万年筆のキャップを外し、右手に持つ。父が、さっと机の上に紙を置いた。


「最強にカッコイイサインをくれ息子よ! サインの一つや二つ、考えたことあるだろう!?」


「あるけどさあ!!」


 この際最後まで付き合ってやるか、と3週間考え抜いて作ったサインを書いてやる。万年筆を使ってみたかっただけとも言える。さすがに書き心地が違う。この紙も中々の高級紙っぽいし。


「ありがとう息子おおおお!!」


「うおおおなんだなんだとうとう壊れたか父!」


「そうなんだ父はまさに壊れかけなんだよ!」


 いきなり抱きついてきた父を剥がし、軽く揉み合いになりながらリビングに移動し席についた。なんで俺は反抗期でも無いのに父と取っ組み合いになってるんだよ。


「息子、マジごめん」


「さっきまでの一連の奇行への謝罪なら誠意が足りないんじゃないのか」


「いや、それは親子の円滑なコミニケーションの一部だから謝罪する気はないんだが……。マジごめん、ちょっと学校休学してくれ」


 は?


「本当に、勉学に励む息子の邪魔なんて絶対したくなかったんだ父も! でもな、父若干体壊してな」


「なっ! 大丈夫かよ! 頭は手遅れなんだから体は大事にしろってあれほどいったろ!」


「腰と胃壊しちゃって……医者からしばらくストレスのない環境で安静に、って言われてな。父、妻の分までお前と一緒に元気に長生きしなきゃいけないから……仕事休む事にしたんだ」


「うん、ゆっくり休んでくれよ」


 さすがに俺も唯一の肉親が体を壊したとなれば、学校などいくらでも休学する。


「それでな……父、仕事に穴あけるじゃん?」


「そんなこと気にせず休めよ、体壊してんだから……」


「父の仕事、ちょっと特殊じゃん? 身元調査ちゃんと通った奴じゃないとできないし、仕事とろいと即クビだし……。父の後釜、1ヶ月じゃ決まんなかったんだよね」


「そうか、いいから寝てろ」


「でさ……父は考えた訳だよ。身元がハッキリしていて、父レベルに仕事ができる人間。そう、あなたです息子」


 ぱぴゅー、と父の口元からいつの間に咥えたのか間抜けなホイッスルの音が鳴り響き、手元では間抜けなクラッカーまで弾けた。やっぱり重症みたいだ、頭が。


「父の代わりにちょっと働いてきてください」


「無理だろ。父の仕事って執事だろ、しかも城の」


 ふざっけんなよ。初めての労働で、王族なんて人生で1度も関わったことない人種の世話なんかできるか。


「最近末の姫様の子守りがメインの仕事だから大丈夫だろう。まあ怪我一つでもさせたら大問題になるし姫様お転婆通り越してて心身ともに削られてくけど、息子若いし運動神経いいし大丈夫だろ」


「息子を過信するな」


「ええー、本当!? ありがとう~! 今度スウィーツ奢るね~! 契約書は父が提出しとくから~! 勤務は明後日からね!」


「俺が了承したていで話終わらすな」


 というか、契約書?

 恐る恐る父の手元を見れば、先程俺がサインを書いた紙がいつの間にか額に入れられていた。それはよく見れば、俺の城での雇用契約書だった。


「ハメやがったな父!!」


「ちょっと早めの社会科見学だと思ってくれ! 息子が代わりに行ってくれれば父も安心して休めるから!」


「仕方ねえなしっかりやって来てやるから早く体治して来いよ!」


「えっ、息子優し……惚れる」


「ついでに頭も治して貰え」


「じゃあ父、今からこれ城に提出してくるから。明後日から、頼むな。……あぁ、そうだ」


 椅子から立ち上がった父が、俺を見下ろしながら。


「お前、その髪何とかしてこいよ。長いしボサボサだし、清潔感ゼロだ。せっかく父譲りのスウィートフェイス、将来イケおじになる事が約束された顔なんだから、小綺麗にしろ」


「急にマジになるなよ!」


 あとこれは巷で流行りの無造作ヘアーだ! 金輪際やらんがな!


 そんなこんなで、俺は城で働く事になったのだ。


 美容室に行って清潔感100にしてくださいとオーダーした後向かった城で出会った末の姫様は、父の言う通りお転婆を通り越していた。

 姫様は出会った初日に食堂のテーブルでテーブルクロス引きに挑戦し高級食器を全てひっくり返したり(なんとか全てキャッチし割らずに済んだ)出会って2日でぬいぐるみを失くしたと大泣きし(本棚に突き刺さっているところを発見した)出会って1ヶ月で読み聞かせをしてくれなきゃ寝ないなどと言い出し(東国のお経を取り寄せ読み上げたら3秒で寝た)出会って2ヶ月で城脱走計画の参謀に据えられ(内部からの裏切りが最も恐ろしいと教えて差し上げた)、3ヶ月目の今は、城内冒険の相棒にされた。


「アラン! 肩車して! ミノムシが居たわ! 捕まえるの!」


「ミノムシを捕まえてどうなさるおつもりですか? 成長すれば蛾になりますよ」


「じゃあ肩車だけして! アラン、屈んで、ね? お願い」


 言われたとおりに屈み、姫様を肩に乗せる。これ見つかったら不敬罪になるのかな。


「あっ! 大変アラン! みみ子がいないわ!」


 みみ子とは、ぬいぐるみの名前だ。ネーミングセンスについては言及していない。


「みみ子でしたら先程姫様が登っていた木の下に忘れ去られていました」


「どうしよう、寂しくて泣いてるかも……みみ子、寂しがり屋だから」


 既に涙声の姫様。まずい、こんな頭上であの超音波(泣き声)を出されれば、俺は死ぬ。


「既に回収済みですから! みみ子ならこちらに! ほおら、会いたかったうさー!」


 上着の裏に隠していたうさぎのぬいぐるみを裏声と共に急いで姫様に渡す。ぴたり、と頭上の動きが止まった。


「……アラン、ありがとぉ」


 ぎゅー、と頭に抱きつかれる。ついでに足で挟まれた首も締まっている。ギブギブギブ、死ぬ。


「やっぱりアランは魔法使いなの? いつも何も無い所からみみ子を出すし、お腹が空くとおやつをくれるし、高いとこから落ちても絶対キャッチしてくれるもの」


アランは人間ですよ……」


 ちょっと神経尖らせて働いてるだけの。あと手品は父に習いました。


「アラン、明日は池の方に探検に行きましょう?」


「きちんとお勉強など済ませてからならお付き合いします」


「なんでお勉強しなきゃいけないの?」


「知識が得られるからです」


「知識って大事?」


「大事だと思っています」


「アランが言うなら頑張るわ!」


 次の日、池にみみ子を落として大号泣した姫様の手を引きながら、ランドリー室で桶と洗剤を借りて泣き叫ぶ姫様の目の前でみみ子を洗った。


「みみ子が死んじゃったあああ!!」


「死んでません!」


「泥だらけのびしょびしょおお……!!」


「今日の天気なら夜にはふわふわでいい匂いのみみ子になります! ほら、みみ子も喜んでいますよ! お風呂気持ちいうさー!」


 その後夜まで、姫様は物干し竿にぶら下がったみみ子を見つめていた。大人しくなって楽で良いな、今度からこまめにみみ子を洗濯しよう。


 さらに翌日、今度は姫様が池に落ちかけ、全力で回避しようとした俺が池に落ちてずぶ濡れになった。それにも姫様はギャン泣きだった。父、こりゃ腰と胃を壊すわ。働くって大変なんだな。


「アランがドロドロのびしゃびしゃぁああ!! 死んじゃやあああ!!」


「死にません! お風呂に入れれば治ります! お風呂入りたいうさー! あ、やべ間違えた」


 姫様が目をまん丸にして固まってしまった。


「……すみません、少々着替えて参りますので、姫様はお部屋にお戻りください」


「やっ、やだ。アラン、待って」


 手を握ろうとしてくる姫様の手を、ひょいと躱す。謎の水草が手についたままだし、ドロドロのびしゃびしゃだからだ。姫様を汚したら大問題になる。汚い手であちこち触られても困るし。

 しかし、何を勘違いしたのか姫様は真っ青になり震えだした。


「アランごめんなさ、ごめんなさぁい! 嫌わないでぇ……!!」


「あぁあ、嫌いませんから! ドロドロのびしゃびしゃですがよろしいんですね!? 後で迅速かつ丁寧に手を洗ってくださいよ」


 小さな手を取って風呂に直行する。姫様はまだグズグズと泣きやまない。やめろ、既に罪悪感がとんでもないことになってるんだ。


「あ、アラっ、んっ、わ、私っ、のこ、と、嫌い?」


「嫌いじゃないですよ、嫌いなら一緒に冒険しません」


「嘘おおおおお!!」


「うおお言葉の力信じらんねえなもう!」


「みんな、みんな私のこと嫌いになるもん! 遊んでくれなくなるもん! 私が姫様だから遊んでるだけだもん!」


「思春期早えな女の子は……」


「うあああん!!」


 結局その日は姫様が泣き止まず、疲れたのか夕方には泣き寝入りしてしまった。次の日にはケロッと元通りだったので一安心だ。


 それから、1年経った。


 この1年は壮絶なものだった。まず1ヶ月目、みみ子失踪事件Part2が勃発し(廊下に落ちてた)3ヶ月目に姫様が社交ダンスがうまく出来ないと泣き叫び(日夜練習に付き合った)6ヶ月目に父から、「胃が回復して5キロ太った。近くのパン屋が美味い。復帰までの道は遠そう」というメッセージカードが入ったびっくり箱が送られてきた。復帰する気無くしはじめてんじゃねえか。

 8ヶ月目には姫様に俺の城での寝室がバレ、昼夜を問わず突撃訪問されるようになり(マジで助けて欲しい)12ヶ月目に、姫様から似顔絵を貰った(額に飾った)。


 そして、やっと。


「1年ぶりだな息子よ!」


「1年3ヶ月ぶりだ父。俺に興味関心を持て」


「言っておくが父にとっては息子が世界一の宝物、ラブの結晶」


 執事服を着た父が、早朝の城の入り口でポーズとウィンクを決めていた。ぶっ飛ばしてえ。


「いや、腰と胃は半年ほど前に治ってたんだが、たるんだ体を鍛え直すのに時間がかかってな。またあの姫様の子守りで体を壊さないよう、入念に鍛え直したんだ」


「それで見たことないほど筋肉膨れ上がってんのか」


「父、筋トレハマったかも。最近ササミとブロッコリーばっかり食べてる」


 どこからともなくブロッコリーを取り出し両手に持つ父。ああ、頭は治してもらえなかったんだな。


「息子、姫様とこの一年どうだった?」


「普通に疲れた」


「そうだろうな。だがお前なら絶対に逃げ出さないと信じていたぞ!」


「そりゃあ父の代わりに来てるのに父が戻る前に逃げちゃダメだろ」


「やはり息子に頼んで正解だったな」


 ブロッコリーを口にしまいながら頷く父。そんな未調理のブロッコリーでいいんだ。


「じゃあ息子、復学するか?」


「……そりゃあ」


「手続きはもうほとんど終わってる。あとはここにサインするだけだ、この書類も父が出してこよう」


 渡された書類を手に取って。


「……父」


「なんだ息子」


「姫様は読み聞かせしないと寝ないんだけど、お経に耐性がついてきたから今は物理学の専門書を読んでるんだ、ちゃんと抑揚つけて読んでやってくれ」


「ああ」


「あと姫様はよく木から落ちるんだけど、キャッチしてもらえるって信じきってるから、絶対受け止めてやってくれ。あとみみ子はよくなくすけど、本当に大事にしてるからちゃんと見つけてやってくれ。洗濯は月一くらいでいい」


「わかった」


「あと夜中寂しくて起きることがあるから、ホットミルクに蜂蜜入れて飲ませてやってくれ。歯磨きは忘れんなよ。あと俺の寝室に毛布で秘密基地作ってるから、壊すなよ」


「ああ」


「それから……」


 ぐ、と唇を噛んだ。


「姫様、城じゃ除け者にされてるから、絶対に目を離すなよ。飯はひとりぼっちで食わすな、絶対隣に座れよ。それから、嫌がらせしてくる奴がいるから、絶対に姫様に近づけんなよ。ランドリー室のエマって女の子は信じて大丈夫だけど、その他は信用すんなよ」


 我が国の末の姫様は、正室の子ではない。きちんとした側室の子ではあったのだが、その母は美しいだけで学がないと5年前に他の側室たちに虐め殺された。

 この1年は壮絶なものだった。

 まず2ヶ月目、姫様に食事が用意されない日があった(姫様と一緒に料理を作って誤魔化した)4ヶ月目に姫様の誕生日用のドレスが切り裂かれ(姫様にバレる前に新たに手配し直した)5ヶ月目に側室の従者が姫様を階段から突き落とそうとした(代わりにソイツと俺が階段を転がり落ち、頭を切った俺を見て姫様は泣いた)。普通に傷害事件として訴えてやった。裁判所で会おうぜ。

 6ヶ月目には姫様はずっと俺の手を握って離さなくなったし、7ヶ月目には2人だけの誕生日パーティーを過ごした(みみ子を入れれば3人だった)。10ヶ月目に側室の1人が直接姫様に悪口を言いにきて(その部屋で鳩を大量に出すマジックをやったので側室も姫様もそれどころではなくなっていた)11ヶ月目に俺が側室の1人から引き抜きにあった(内部からの裏切りが最も恐ろしいと教えて差し上げた)。


「あいつら、別に本当に姫様が嫌いなんじゃないんだ。ただ暇だから、こんな狭い城の中で暇なことにイライラしてるから、姫様がやり返せないからやってるんだ」


「息子、1人で任せて悪かったな。お前なら絶対逃げ出さずに、絶対姫様の味方になると思ったんだ。父がいない間、あの子をひとりぼっちにしては何が起きるかわからないから」


「……息子を過信するな」


 この1年、城の中でずっとすました顔をしていた反動か、父を前に喉が震え目の奥が茹だった。でも、今は目の前に姫様も居ないし、悪趣味な城の連中も居ないし、ちょっとくらい良いだろう。


「アラン!!」


「げえっ!? 姫様!!」


 全力で走ってこちらに突っ込んできた小さな塊に、慌てて涙を引っ込める。この時間になんで起きてるんだ。


「アラン!! アラン!!」


「はい、アランですよ……」


 地面に膝をついて、姫様と目線を合わせる。その瞬間きつく頭を抱きしめられ、おかしな方向に伸びた首の筋が不穏な痛みを発した。耐えろ、まだ16年しか生きてないのに首が回らなくなったらどうする。


「アラン大丈夫よ! 私が守るから!」


「はい?」


「泣かないで、泣かないでアラン。みみ子を貸してあげるし、おやつも全部あげる。ご本も読んであげるし、秘密基地にも入れてあげるわ。それに、ずうっと一緒にいるから、」


 泣かないで、と言いきれなかった姫様はギャン泣きし始めた。そんな超音波発生姫様を抱き上げる。


「姫様、アランは泣きません」


「嘘おおお!!」


「本当です」


「なんでぇ! なんで泣かないのおおお!!」


「姫様を泣き止ませなければいけないので」


 手首に隠してあったチョコレートをぱっと指の間に出して、びっくりして固まった姫様に握らせる。その後ろで、心底残念そうな顔をした父が首を振っていた。はっ倒すぞ。


「息子、チョコ1個て。もっと面白おかしいもの出してこそだろう」


 チョコレートをしげしげと見つめていた姫様は、急にはっとして父を睨みつけた。顔が元々可愛らしい上に今は涙でびしょびしょなので全く怖くない。


「アランを泣かせたら許さないから!」


「息子は父の超えられぬ背中を見て涙するものですので……」


 父は全ての指のあいだからブロッコリーを生やした。絶対チョコレートの方が姫様喜ぶだろ。


「……オーズディン?」


 ぽかん、と姫様が父の名前を呟く。


「はい、アランの父のオーズディン・バトラーでございます。長らくお暇を頂戴し、大変ご迷惑をおかけしました」


「……なんで? 私のこと、嫌いになったから、もう遊ばないってお義母様が……」


「姫様のことが大好きなので鍛え直して遊びに来ました。そして姫様、不詳オーズディン、城の至る所にブーブークッションを設置する例の計画、完成させて参りました」


「……そお」


 急に俺の肩に顔を押し付け隠れてしまった姫様。足をブンブンふっているので、喜んではいるのだろう。


「では息子よ、ここからは父が引き継ごう。青春楽しんでこいよ」


「……ああ」


 父が姫様を抱きあげようとした所で、不安そうな濡れた目に見上げられる。


「どうした息子よ、お前のモテモテパラダイス高校デビュー計画を発動する時だぞ」


「うおお黙れ黙れ直接的な計画名を付けるな作戦コード001とか言え」


「今の清潔感溢れるお前ならモテモテ間違いなしだ。ただし背は小さいから年上のお姉さんタイプを狙うといい。国立高校も6年生だろ? 4、5年生なんて狙い目」


「身長の件は触れるな! けど甘やかしてくれるお姉さんとかドタイプだよ4、5年狙うわありがとうな!!」


 父に姫様を渡す。姫様はびっくりしたように目をまん丸にして、父の腕の中から俺の顔を見つめていた。


「……アラン、どこ行くの?」


「寝室に姫様を寝かしつけに」


「……アラン、いなくなっちゃうの?」


 みし、と自分の全身から軋んだ音がして、動きが止まる。


「……学校行くの?」


「はい、息子アランは去年国立高等学校に首席合格しまして。休学中だったのですよ」


「そお」


 姫様は途端興味を無くしたようにそっぽを向き。


「……みみ子がいなあああああい!! うわあああん!! アラぁーーーン!!」


「みみ子おおーーー!! どこだーー!! 出てこおおい!!」


 みみ子はベッドの下に落ちていた。




「父よ」


 姫様を寝かしつけた後、姫様の寝室の扉の前で。


「どうした息子」


「俺、学校辞めようかな」


「息子、身長は確かにモテ要素の1つだが、全てでは無い。小柄なモテ男だってこの世にはわんさかいるぞ」


「モテないことを悟って学校生活諦めたんじゃねえよ!」


 ズボンのポケットに両手を突っ込み、はあ、とため息をつく。父が、執事の態度悪~、と指さして笑ってきた。ジャケット裏に隠し持った鏡を取り出し見せてやる。すかさず父も鏡を取り出し合わせ鏡にしてきた。やめろ。


「……姫様、俺が居ないと寂しがるから」


「1年会わないうちに息子が自意識過剰のロリコンになってた件についてっていう本書こうかな」


「焚書」


 指を鳴らすと同時に火花を起こす。顔面を父がいつの間にか取り出した水鉄砲で撃たれた。


「はあー。冗談抜きで、姫様泣くから、俺が居ないと。別に勉強は学校じゃなくてもできるし、いいかなって。それにほら、ランドリー室のエマとちょっといい感じだし俺、モテなくたっていいからもう」


「どうしてこんな清く正しい精神の息子が産まれたんだ。父が清く正しく美しいからか」


「美しさはどこに落としてきたんだよ俺は」


 先程受け取った復学書類を取り出す。さらば我がモテモテパラダイス。


「アラン」


「姫様、今日は眠くない日ですか」


 扉を少し開けてこちらを見上げる、先程寝かしつけたはずの姫様の前に膝をつく。あと2時間は寝て欲しかった。


「アラン、学校行って」


「は?」


「お勉強は大事だから、行って。私、お姉さんだからアランが居なくても泣かないから、行って」


 フリーズした。脳も体も。


「アラン、ばいばい」


 小さな手を振られて、やっと硬直が解けた。


「姫様! アランはもういりませんか!? オーズディンの手品の方がお好きですか!? アランもブロッコリー出せますよ、ほら!」


 耳からブロッコリーを出してみせる。しかし姫様はくすりとも笑わない。


「ばいばいアラン」


「ぬえええええ!! 頑なにばいばい!!」


「息子が現在進行形でフラれている。貴重な瞬間に立ち会ってしまった」


 逆立ちバク宙円周率の暗唱までやったが、姫様は頑として俺にばいばいと言い続けた。

 くら、と目眩がして思わず壁に手をつく。


「い、1年3ヶ月の友情が……父に、負けた……」


「すまんな息子よ、これが実力差というものだ。それ、書類にサインだサイン~」


 父に腕を持たれ復学の書類にサインさせられる。放心状態の俺は、もうどうでもよかった。


「じゃあ息子、学校明日からだから。制服はサイズ合わせて部屋に置いといたからな、寝坊せず行けよ」


「はえ」


「作戦コード001の成功を祈る!」


 父はキメ顔で敬礼し、姫様と手を繋いで寝室に入っていった。


「アラン、私お姉さんだからね! アラン、アラン——!」


 茫然自失、姫様の言葉も最後の方は脳を経由せずすり抜けていき、気がつけばぱたん、と扉がしまっていた。その後約2時間は放心状態のままそこに立ち尽くし。

 翌日より、我がモテモテパラダイスが幕を開けた。


「アラン先輩~!」


「アラン君~!」


 講義室の机の上で虚空を見つめていたら、お弁当を持った女子達が15人ほどやってきた。


「これ、良かったら食べて! 私が作ったの!」


「ねえアラン君、お昼休みお勉強教えてくれない? アラン君より頭良い人他にいないんだもーん!」


 にっこり笑顔を作って、頷く。黄色い悲鳴が響いた。

 復学して1ヶ月目、ただぼーっとしていたらミステリアスで素敵と勝手にモテた。2ヶ月目に学校の番長だという男の先輩(6年生)に呼び出され喧嘩を売られ、謎にむしゃくしゃしていた俺は本気で殴り合いに応えてしまった。そこから俺は男にも1目置かれるようになった。3ヶ月目に後輩にもモテだし、6ヶ月目に学校の番長は俺になった。1年経てば他校からもモテだし、2年経てば成績優秀だからと留学生に選ばれ国外でもモテた。3年経って男にもモテはじめ、5年半経ち最高学年になった今はもう手のつけようがないモテ方だった。


「作戦コード001は大成功だ、父よ……」


「え? アラン君何か言った?」


「なーんにも言ってないよ! それよりミカちゃん前髪切った? 似合ってる、可愛いね」


「「「きゃーーー!!」」」


「あ、そうだ今日の放課後みんなで映画でも見に行かない? 面白そうな映画でさ、誰かと一緒に見たいなと思ってたんだ」


「「「きゃーーー!!」」」


 放課後、大勢の生徒を引き連れ映画館に向かう。1つのスクリーン埋めちゃうかなこれ。モテ男は辛いねえ!


「……アランさん?」


 はっ、と振り返れば、そこに居たのは見知った顔だった。


「……エマ」


 ランドリー室のエマだった。あの城の中で、唯一こっそりとではあるが姫様の味方をしてくれた、出稼ぎにきていたエマだ。5年半ぶりに会うが、あまり変わっていない。


「アランくーーん?」


「ごめんみんな、先行ってて。後で追いつくから」


「えーっ! わかった、早く来てねー!」


 ぞろぞろと生徒達が消え、道には俺とエマだけが残った。


「……立ち話もなんだし、どこか入る?」


「ごめんなさい、すぐお城に戻らないと」


「そっか、そうだよな。……久しぶりエマ、元気だった?」


「ええ」


「全然変わってなくて驚いたよ! はは、は……」


 しん、と沈黙が降りた。おかしい、俺はモテ男だ。女子と話してこんな沈黙久しく経験していないのに。


「……アランさん、大丈夫ですか?」


「頭がってこと?」


 父の血が流れているからなんとも言えない。


「いえ、そうじゃなくて……」


 エマはさっと目を伏せ、手を胸にやった。


「お顔が、寂しそうでしたから」


「は?」


 俺のスウィートフェイスが寂しい? 黙れば凛々しい笑えば愛らしいと話題のこの顔が?


「ごめんなさい、そろそろ戻らないと。アランさん、お元気で」


 エマが去った道で、呆然と立ち尽くす。


「アランせーんぱいっ! 映画始まっちゃいましたよ?」


 いきなり腕に引っ付いてきた後輩女子に目を向ける。


「えへ、抜けてきちゃいました! アラン先輩、映画館戻りますか? それとも別のとこ、2人で行っちゃいますか? 私、おすすめのパン屋さんがあって」


 ぺらぺらぺらぺら、甲高い声は止まらない。先程エマとの会話の中で経験した沈黙が訪れる気配は微塵もなかった。なんだったんださっきの、時間軸のバグか。

 そこで、ふと気がついた。


 あれ、俺この5年間、1度も手品だなんだってやってないな。


 種も仕掛けもきちんと制服の至る所に仕込んである。それなのに、1度も使わないなんてことあるのか。間が持たない時とか、泣かれた時とか、暇そうな時とか、そういう時は必ず使っていた俺の必殺技だったのに。さっきこそ使えばよかったのに、なぜ気が付かなかったんだ。

 ぽん、と掌いっぱいに花を出してみたら、後輩女子は甲高い悲鳴を上げ、さらに密着して胸を俺に押し当ててきた。


「すごいすごい! アラン先輩手品までできるんですか!? かっこいー! すごーい!」


「……」


 しばらくやってないからなまったのか、あまり納得いかない。心做しか指の動きが重いし、迫力にかけるし、なんだか、そう。面白くない。


「……ごめん、帰るよ」


「え?」


 その日はぼーっとして寝た。

 次の日、学校で一言も話さないでいたのに、俺の周りで痛い沈黙が降りることはなかったし、皆いつもと変わらない笑顔だった。


「……あれー?」


 家で一人、日中の謎現象について考えていると。


「久しぶりだな息子よ」


「本当にな父」


「5年ぶりか?」


「5年半ぶりだ。せめて息子に会う前に確認してから来い」


 執事服の父が背後に立っていて、思わずため息が出た。相変わらずか父よ。


「まさか父もここまで時間がかかるとは思ってなくてな。ところで息子、あと少しで学生生活も終わりだが、就職は決まったのか?」


「国立高校万年首席舐めんな、国立研究所の研究員のポストと有名企業各社、それに女の子達のヒモの中から選び放題だ。なんなら今あみだくじで決めてやるよ」


「おお、さすがモテてるな息子」


「残念モテモテだ」


「順調に頭が壊れかけている息子よ、お前に頼みがある」


「これ経過順調だったんだ。俺はてっきりもうダメなのかと思ってたよ」


 父は、どこからともなく執事服と高級紙を取り出しこちらに差し出してきた。


「これを着て、その胸の万年筆でサインさえしてくれればいい。なあに、たった1日だけのアルバイトだ、頼むよ息子」


「……」


「第一王子の誕生祭でパレードをやるんだが、どうにも人手が足りなくてな。身元が知れていて仕事ができる人間なんて、息子しかいなかった」


 父の手から紙吹雪が舞い、上着の中から鳩が出てきて俺の頭の上に止まった。ずっと制服の胸ポケットに差しっぱなしだった万年筆が、急にずしりと重くなる。


「……すまん、無理だ父」


「なぜだ、息子」


 これ以上ないほど優しい父の声と眼差しに。


「その日就職面接だから。アルバイトで潰せんわ将来。別日なら行くけど」


「はっはっは! マジかよ!」


 父は笑いながら出て行った。待て、鳩を回収していけ。俺だって既に15羽も飼ってんだからこれ以上は無理だ。


 結局、面接日になっても父は現れず、鳩は俺が飼った。


「父め、生き物は最後まで面倒見ろ。あの鳩もう絶対父の手品に協力しないからな」


 スーツを着て、履歴書を持って、ぶつくさ言いながら道を行く。大通りの方はパレードで賑わっているので、それを避けて細い路地を通った。


「きゃあああ!!」


「待てええええ!!!」


 脇の建物、2階から大声が聞こえる。こんな日に痴話喧嘩か、そう思って上を見上げて。


「キャッチしてーーー!!」


「はああああああ!?」


 ふわりと降ってきた少女の声と水色のドレス。それらを脳が処理する前に、体が勝手に全力で走っていた。


「姫様ああああああ!!!」


 間に合え間に合え走れ走れ! 

 だって信じてるんだ! 絶対に受け止めてもらえると、絶対に味方がいると! 


 あなたは、愛されているのだと!


 歯を食いしばって腕を伸ばし、地面を蹴って。

 2階の窓から落ちてきた、小さな頭にティアラが輝く少女を、死ぬ気で受け止めた。


 腰から不穏な音がしたが、なんとか耐え抜く。大丈夫だ俺の腰、まだ21年しか生きてないのにここで終わってどうする。


「……姫様」


 ぽかん、と口を開け、さっきまで硬く瞑っていた目を見開いて。我が国の末の姫様は、ふうとゆっくりと息をはく俺を見上げていた。


「窓から飛び降りてはいけません」


 そっと姫様を地面に下ろし、ドレスの乱れを整える。地面に膝をついて脱げかけていた靴を履かせ、そっと顔を見れば。


「あ、アランが、キャッチ、するのに?」


アランは常時窓のそばに待機しているわけではないので」


「アラン!!!」


 涙だらけの笑顔で飛びついてきた姫様は、はしたなくもドレスのスカートなどお構い無しに両足で俺の胴を挟み込み、せっかくセットした髪が崩れるのも気にせず俺に頭を擦り寄せてきた。


「すごい! すごいすごいやっぱりアランは魔法使いだわ! 会いに行く前に会いに来ちゃった! すごい! すごいすごい大好き!」


 ああ、と。そこで、俺は理解した。

 この5年間、モテにモテてモテまくって生きてきたが、きっと。誰一人として、この小さなお姫様のように、まっすぐな愛を俺に向けてくれる人はいなかった。そして、それは俺も同じだろう。スウィートフェイスで将来有望、超絶モテ男のアラン君を好きなあの人達に、少しだって愛を分けなかった。

 ああ、なんて滑稽な話だ! まさか恋より先に、愛だ父性だを自覚するなんて。まあモテて楽しかったのは否定しないから、全くもって悪い時間という訳じゃなかったけど。


「見つけたぞお姫様! 大人しくしてりゃあ悪いようにはしねえから、身代金が手に入るまでおじさん達と一緒に来てもらおうか」


 いつの間にか路地は大勢のオッサンで溢れていた。どう見ても姫様を誘拐して身代金を手に入れようとしている輩だ。


「姫様、どうしてこのような状況になったのですか? ほかの使用人……オーズディンはどうしたのです?」


「全員パレード脱走計画の幹部に任命したの。それで、最後の最後で私だけ別のルートを使って抜け出したの! 内部からの裏切りが最も恐ろしいって、教えてあげたのよ!」


「逞しいことですが、1人で出歩いてはいけません」


「なんで?」


「このように危険だからです」


 男達が、一斉に飛びかかってきた。それぞれ鉄パイプやスコップなど、微妙な武器を持っている。


「きゃーーー!! アラン助けてえええ!!!」


「もちろんでございます、姫様」


 履歴書の入ったカバンを、ばっと宙に放る。

 一気に膝を曲げ、体制を低くする。ふう、小柄で助かったぜ。全然負け惜しみとかじゃなく。


 空中でくるりと回ったカバンは、次の瞬間、ぱあぁんっ、と鼓膜を揺らす音と目を突く光を撒き散らし、爆発した。男達はみなどよめき、頭を抱えたたらを踏む。その横を、さっと走り抜けた。


「ぶはは! 火薬3倍だざまあみろ! 迫力不足を解消しようと血迷った結果誰にも使えなくなった手品だが、役に立ったぜ!」


「きゃーーー!! アラン助けて爆発したあああ!!」


「姫様、大丈夫です。ほぼ音と光だけの偽爆発です。本当に燃えたのは俺の履歴書ぐらいでしょう」


 ぽかん、と俺を見上げる姫様。その顔は相変わらずあどけなく、思わず笑ってしまう。


「そ、そうだアラン! アラン学校終わった!?」


 突然俺の胸ぐらを掴みながら聞いてくる姫様。


「学校ですか? 卒業は3ヶ月後ですが……今は自由登校期間なので、実質終わっていますね」


「な、なら!」


 とある横道に入ったところで、小さなパン屋から出てくる見慣れた制服の女子達が見えた。モテモテパラダイスの後輩だ。


「えっ!? アラン先輩!?」


「じゃあね君たち! 今まで楽しかった、ありがとう!」


 父直伝、スウィート笑顔とウィンクを贈って、あの子達とはサヨナラだ。さっさと横を走り抜け、後ろは振り返らなかった。


「アラン、今の誰」


「恋する乙女でしょうか」


「へえ」


 いきなり不機嫌そうにぶすくれた姫様。


「アラン」


「はい姫様」


「私、ちゃんと待ってたんだよ」


「はい?」


「言ったじゃない! 5年前、私お姉さんだから、アランが学校終わるまで待ってるって言ったじゃない! ちゃんと、お勉強もダンスも練習して、待ってたんだから! な、なのに、アランはほかの女の子と結婚しちゃうの!?」


 ぼろ、と姫様の目から涙が零れた。まずい、女の子はませてるなとか以前に、超音波攻撃が始まるぞ。


「まっ、待ってたんだからあああああああ!! うわあああん!!」


「うおお分かった分かったごめんうさー! あ、やべ今みみ子いなかった」


 びっくりした顔で固まった姫様を抱いたまま、よっと塀を飛び越える。俺しか知らない近道をこえた先に見える我が校の校門前に、全員顔が殺し屋よりガンギマッている執事服の男達がいた。そのうちの1人に。


「父ーー!! 何やってんだ目離すなつったろーが!!」


「息子ぉー!! 信じてたぞおお!!」


 その日は姫様を無事執事達に受渡し、無事俺の就活は失敗した。






「父、なんか姫様色の使用人増えてないか? メイド合わせれば5人はいるだろ」


 鏡に向かって執事服のタイを調整しながら、鏡を持つ父に問いかける。今度は俺が隠し持っていた鏡を取り出し父に向けて持った。父はウィンクの練習だけして終わった。


「ふっ、父がここ数年ただ姫様の子守りに奔走し家に帰らなかったと思うか?」


「ああ」


「これでも父、息子より仕事できるんでな。この数年で身元が知れていて信頼できる大人を集めて、仕事まで教えちゃった。……まあ、そのためには側室方のお力を少ーし削がなきゃいけなかったんでね」


 2人で姫様の寝室に向かい廊下を歩く。


「奥方様達に、内部からの裏切りが最も恐ろしいと教えて差し上げたのだ、息子よ」


 父が何をしたのかは知らないが、王子王女様方が全員父のファンになったとだけ聞いている。側室方の実子、つまりは将来王になり得る存在達が、末の姫様の使用人に熱を上げているのだ。マジで何した父。


「息子も似たようなことをしたんだろう? しかしさすがに奥方様そのものに手を出すのは父も引いた。年上好きって言っても人妻、というか王妻はダメだろう」


 また父から鳩が出て俺の頭の上に止まった。色々言いたいことはあるがまず鳩を回収しろ。俺も今日は2匹仕込んでんだよ、もうスペースが無い。


「アラーーーン!!!」


 低いタックル。腰から不穏な気配を感じたが、耐えろ腰。今日が仕事始めなのに今逝ってどうする。それに俺の背には今鳩が3匹もいるんだ、耐えぬけ命を守れ。


「アランアラン、どお、今日のお洋服はお姉さんかしら!」


「素敵なお召し物ですが、お姉さんは人にタックルをしません」


「アランが好きでも?」


「好きでもです」


 姫様はこの5年で随分ませて、みみ子を四六時中持たなくとも泣きわめかなくなったし、俺のことが好きだと四六時中言うようになった。はいはい保護者への愛情と恋愛感情の区別がつかないお年頃~。


「息子、モテモテだな」


「残念だがモテモテパラダイスは閉園した」


「オーズディンばいばい! アラン行こ!」


 父が現在進行形でフラれている貴重な瞬間を目撃し、姫様に手を引かれて庭に出た。



 5年経って。


「姫様あああああ!!」


「キャッチしてー!」


「ああああああ!!」


 笑顔満開、こちらに手を広げながら木の上から落ちてきた女の子を、死ぬ気で受け止めた。同時に首に細く白い腕が回され、ぎゅー、と抱きしめられる。

 腰への負担を最低限にする受け止め方は数年前に編み出したため、今零れたのはただの安堵のため息だ。もうデカいんだから落ちないでくれ。


「姫様、木に登って落ちてはいけません」


「なんで?」


 眩しい微笑みが、顔面距離10センチからこちらに向けられる。これまた美しく育っちゃって。傾国だ傾国。嫁がせたらダメだこんな子を。


「落ちたら危ないからです」


「アランの上にしか落ちないから危なくないわ!」


アランにはクッション性能がついていませんので……」


「だって大好きなんだもの! ねえアラン、私がお姉さんになったら私たち結婚するのよね?」


「しません」


「なんで!? アランはお姉さんが好きなんでしょう!? なら私がお姉さんになったら結婚すればいいじゃない!」


アランは見境なくお姉さんが好きなわけではありませんので」


 俺はちょっとむちむちボディの極限まで甘やかしてくれるお姉さんがタイプです。心当たりのある方、至急俺の部屋に来てください。


 姫様を横抱きにしたまま室内に戻る。姫様はぐずぐず泣き出していた。やめろ、罪悪感が俺を殺す前に。


「アランが私のこと好きじゃない~! うわあああん!!」


「この世で1番大好きで世界一愛してますよ。 ……恋愛感情じゃあないけど」


「なんで恋愛じゃないのおおお!! 結婚するのおおお!!」


「おままごとはそろそろ卒業しないと、またオーズディンに馬鹿にされますよ」


 袖口から鳩を3羽出せば、姫様は目をまん丸にしてぽかんと鳩を抱いていた。音を聞き付けすぐに書類仕事を放り出してきた父がやって来て鳩10羽を室内に放った。馬鹿野郎自分で捕まえろよ。


 さらに3年経って。


「姫様ああああああ!!!」


「アラン!」


「ご自身の誕生日パーティをバックれてはいけません! 姫様のお相手すべき殿方が大勢お待ちですよ!」


 しんと静かな夜のバルコニーに、ティアラをつけ美しく着飾った、とても美しい女性が佇んでいた。姫様の美しさは国を超え広がり、今では求婚者が絶えないほどだった。

 いやそんなことより国賓めっちゃ待たせてるからお願いだからぐずらないで、な、アランからのお願い。あとでチョコレートあげるから。


「ね、アラン」


「姫様、今回は本当にまずいです。そろそろ大人になってください」


「もう充分大人よ」


 する、と白く細い手が俺の胸に当てられる。ええいもう手を引いて戻るか。


「ねえ、覚えてる? 昔、私たち二人きりで誕生日パーティをしたの」


「……それは」


 もちろん覚えている。まだ俺が父の代わりに来たへっぽこアルバイト執事で、姫様へのいじめがずっと酷かった頃。二人きりのダンスホールでのパーティは、俺が人生で最も悔いていることの一つだ。あの時は未熟すぎて、突然のことに対応しきれなかった。


「……申し訳ありません、私が未熟だったばかりに、姫様に辛い思い出を」


 ぽかん、とこちらを見てくる姫様。なんだ、まだ手品はしてないが。


「……私、あの誕生日パーティが生きてきた中で1番大好き」


「はあ?」


 うちの子壊れちゃったんですか。


「アランがちゃんとタキシードを着て、ドレスを着た私と踊ってくれて。ずうっと私のそばにいて、ずうっと私を女の子扱いしてくれたんだもの。お姫様になった気分だった」


「姫様は正真正銘我が国の王女ですが……」


「ねえ、アラン」


 そっと姫様に手を取られる。そのまま、ほんの少し頬を染めた姫様は。


「一曲踊ってくださらない? そしたら、そしたら、私、ちゃんと諦めるから」


 目にいっぱい涙を溜めて、ドレスの裾を持ってお辞儀した。


「……謹んで、お受けいたします」


 曲はかからなかったので、姫様が鼻歌を歌った。何度も何度も初めに戻って終わらなくて、何度も何度も嗚咽でリズムが乱れた。やっと曲が終わった頃に、姫様は俺の胸でわんわん泣いた。ああ、化粧が落ちてしまう、これからパーティに戻らなければいけないのに。


「あ、アっランっ! わた、私っのっ、こと、嫌い?」


「この世で1番大好きで、世界一愛してますよ」


「うそ!」


「嘘ではありません。言葉の力を信じてください」


「だってさっきから表情ひとつ変わらないじゃない! 私ばっかり泣いて、馬鹿みたい……!!」


「それは……アランが泣いては、姫様を泣き止ませられませんので」


「アランのせいで泣いてるのおおお!!」


 どの手品をしよう。どの手品をすればこの子は泣き止んでくれるだろう。どの手品をすれば、この子は満開笑顔で木に登ってくれるだろう。どの手品をすれば、今この子の背に回そうとするこの手をふさげるだろう。父、来てくれ。来て一発殴ってくれりゃあ、俺はすぐにでも執事のアランに戻れるんだ。スウィートフェイスで仕事は完璧、イケおじ街道一直線の、我が姫様1番の使用人に。


「アラぁン……!!」


「はい、姫様」


「私、私アランが好きなの! 愛してる、愛してるけどそれだけじゃないの! アランを見るとドキドキして、お姉さんになりたくて、ずうっと一緒に生きていきたいと思うの!」


 もうやめてくれ。罪悪感と、それに打ち勝ちそうなバカな感情が俺を殺そうとしてくるんだ。


「でも、私、姫様だから……アランは、執事だから……! だから今日で全部諦めるから!」


「……」


「……名前で呼んで、アラン」


 ああもうダメだ、再就職先探さないと。


「俺の可愛いエレノア、俺も君が好きだったよ。……俺のとこには、愛に遅れて恋がやって来たんだ」


 ぐ、と両頬を薄い手のひらに挟まれ下を向かされる。そのまま、燃えるように熱い唇が、俺の唇に押し当てられた。閉じるどころか見開いてしまった目で、幸せそうな顔で頬を染め目を瞑る、眼前の顔を見る。


 もう、これで充分じゃあないか。この先の人生、どんな地獄が待っていようと、笑って生きられるだけの幸福を貰ったんだ。

 さあ、そろそろ執事業に戻って、姫様の化粧を手早く直してパーティ会場へ戻さなけれ、


「ばあああああ!!!??」


 いきなり姫様のドレスの胸元から鳩が5羽飛び出した。しかも全羽一目散に俺に向かってつついてくる。やめろやめろ何すんだお前達、お前達のご主人は俺だろう! お腹空いたのか、今日ちゃんと餌やったのに!


「ってなんで勝手に外に、って言うかなんで姫様の服の中から!?」


「てってれー」


 バルコニーに、執事服を着た、白髪の目立つようになった男が入ってきた。


「父!」


「大成功~~」


「はあ!?」


 父が何か紙を掲げている。そこには。


「『姫様&アラン、両想いおめでとう!』って、はあ!?」


「息子よ」


 俺をつつき回していた鳩たちが、一斉に父の肩に飛んでいった。あれ、そう言えばアイツら、全員元父の鳩じゃあ。


「内部からの裏切りが最も恐ろしいのだと、教えてやらねばと思ってな!」


 思わずばっと下を見れば、俺に抱きついている姫様が、ぺろ、と可愛らしく舌を出した。


「……ハメやがったな、このジジいいいい!!」


「はっはっは! あんまり姫様が泣くんでな! イケおじ、頑張っちゃった」


「ぬがああああ!! 息子の人生えええ!!」


「おいおい、さっきまで、「もう、これで充分じゃあないか。この先の人生、どんな地獄が待っていようと、笑って生きられるだけの幸福を貰ったんだ。」みたいな顔して姫様とチューしてたのに、王族とお付き合いする程度で音を挙げられてもねえ。地獄舐めすぎ~」


「ぎいいいいい!!」


 死ぬ、まず何より先に羞恥心から死ぬ。


「じゃあ父はこれからちょっとパーティ会場で一芸披露して時間を稼ぐから、姫様のお色直しは頼んだぞ息子ー! はっはっは!」


 父は鳩を仕舞いながら去っていった。マジで、あの男、いつか負かす。


「……アラン」


「……はあ。なんですか、姫様」


「アランは私が好きで、私はアランが大好きなのよね? な、なら、これからいつだってキスしても良くて、いつだって、落ちなくたって抱きしめてもらえ」


 興奮したように両手を握り話し続ける姫様を、片手を上げて制した。姫様は、ぐ、と押し黙って。


「……やっぱり、ダメ? お姉さんじゃないから?」


「いいえ、姫様。こういった物事には順序があるのです」


「え?」


 上着から、ばさりと真っ赤なバラの花束を取り出し、その場に跪いた。ああ、今日の手品を仕込んだ昨日の俺、本当にグッジョブ。


「エレノア、俺と付き合ってくれないか? ……できれば、ずうっと先まで」


「ええ、喜んで!」


 笑顔満開で飛びついてきた姫様は、もちろん。

 アランが、この先もずうっとキャッチし続けましたとさ。






【終】

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姫様の使用人 藍依青糸 @aonanishio

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