永遠の微笑

二枚貝

第1話

 恋した時にはすでに亡くなっていた、俺の運命。うつくしいひと。彼女は実家の城の画廊ギャラリーに並ぶ額縁のなかで永遠の時を生きる。


 いたずらっぽく微笑む黒い目に薔薇のつぼみのごときくちびる。古風で清楚なドレスと白真珠の髪飾り。百五十年ほど前に描かれたということだが、モデルの名も、描かせた者の名も伝わっていない。彼女はいったい誰なのだろう。俺の一族は代々金髪で、黒髪の者などひとりもいないはずなのに。


 幼い頃、眠りにつく前、ベッドのなかで彼女にふさわしい名前を考えた。上品な名前? しとやかそうな名? 慈愛に満ちた名、芯の強そうな名、女神のように華やかな名――どれもふさわしそうで、どこかしっくりこなかった。だから俺は、いまだに彼女を呼ぶ名を持たない。


 画廊ギャラリーへの立ち入りを禁止された時、俺は泣いた。それはもう、父が驚くくらい盛大に。理由はもちろん、彼女に会えなくなるからだ。俺が絵のなかの彼女に恋をして、昼間のほとんどの時間を彼女の前で過ごしていることはとうに家族の耳にも入っていた。

 絵に恋をするなんて、どうかしている。奇矯な子供だと噂されたら家名にも傷がつく。父はそう言って、俺の恋したひとを部屋ごと封鎖して、鍵をかけてしまった。それがもう十年も昔のことだ。


 俺が恋したひとはもういない。遠い時の向こうに姿を隠している。

 俺はそのことに安堵してもいる。自分の理性をめちゃくちゃにするような、鮮烈で強引で抗えない存在とはもう出会ってしまった。だからこの先、これ以上に俺の心を乱す存在とは、もう出会うこともない。

 うつくしくなにも語らない、俺のこころのなかだけに住むひと。夢のようなそのひとの面差しの記憶を抱いて、俺は死ぬまで生き続ける。幼い日に、低い背丈で懸命に伸びをして彼女を見上げた時の、どうしようもないさびしさと悲しさを、一生忘れられずに生きていく。そのつもりだ。

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永遠の微笑 二枚貝 @ShijimiH

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