第45話 その名を呼ぶのは


 一日を訓練に費やしたものの、体の傷はだいぶ癒え動きに支障が無くなったのを確認して、今日からまた馬車での移動に戻る。

 首都までの行程はまだまだ序盤なのに、わたしの都合で遅れてしまった事に罪悪感を抱きつつも、新たな荷の積み込みに精を出し少しでも貢献できるよう努める。


 次の町までは五日かかるそうで、乾燥野菜やハーブ、乾パンに香辛料などを多めに積み込む。

 それでも今回は少し長めの移動なので保存食だけでは足りないため、所々にある森で野草や獲物を狩りつつ食を確保するらしい。訓練の合間に食用の野草についても勉強したので多少なりと役に立てる事を期待しよう。


「これで全部ですか?」


 商人と荷のリストを突き合わせるツェティさんに聞くと、最終確認をしながら頷いた。

 書類にサインをすると商人に渡し取引は終了だ。宿屋もそうだったけれどツェティさん達は大きな支払いは基本つけ払いのようで、請求は後日まとめて竜皇国から支払われるとの事だ。

 こういう所がセレブだなと育ちの違いを思い知らされる。


 宿の部屋も忘れ物がないかチェックしていよいよ旅の再開だ。


 今日はヨウさんとツェティさんが御者台に座り、馬車の中にはわたしとベルさんの二人きり。


 以前は男性と二人になるのは避けてくれていたのに、最近はベルさんともよく話すようになったからだろうかこうして二人になることも増えた。ベルさんも少しは信頼してくれるようになったのかも。

 そんな事を思いながらベルさんの隣にクッションを敷き座ると、いつもよりも距離が近くて心臓が跳ねた。


 先日、ベルさんに頭を抱かれた事が嫌でも思い出されて、瞬く間に顔が熱を帯びる。

 あの時のベルさんの心情はいまだにわからない。きっとただ慰めてくれたのだろう。そう思うけれどじっとわたしを見つめる深い緑の瞳に、心がさざめき締め付けられるような感覚になる。ギュッと胸元を握れば少し早い鼓動が伝わってきた。


――これって、何だろう。落ち着かないけど心地いい。


 その揺らぎに少しばかり浸っているとベルさんが訝しげにわたしを覗き込んできた。


「どうした? 気分でも悪いのか? それならもう一泊……」


 そう言ってヨウさんに声をかけようとするベルさんを慌てて押し留める。


「ち、違います! 大丈夫ですから! 問題ありません!」


 わたしのあまりの勢いに若干引きながらも納得してくれたベルさんはあぐらをかいてクッションに座り直すと、「酔ったりしたらすぐ言えよ」と一言呟き幌に背を預けた。


 わたしはホッと息を吐くと胸を撫で下ろす。馬車の中が薄暗くて顔の火照りがバレないのが救いだった。

 

「じゃ、出るぞ」

 

 御者台からヨウさんの声が聞こえ、馬車はゆっくりと走り出す。

 たった二日間の滞在だったけど、来訪者との初遭遇やベルさんとのお出かけ、なんやかんやで濃い時間だった。今度はもっとゆっくりベルさんと町を見てまわれたら良いなと、荷台から流れていく町並みを眺めた。


 それから数刻。移動の時間も勿体ないので勉強に当てようと本をインベントリ・リングから取り出して復習していると不意にベルさんが呟いた。


「そういえば……」


 その声に顔を上げると「今更だが」と前置きして話し出した。


「お前は元はここの人間じゃないんだよな? て事は名前も、もしかして違うのか?」


 そう言われてわたしも伝えていない事に今更ながらに気づいた。

 はじめて会った時に生い立ちは話したけれどセトアの名前しか言ってなかったから。


「はい。そういえば言ってませんでしたね。わたしの本名は佐伯花子と言います。こちら風にいえばハナコ・サエキです。家族からはハナって呼ばれてました」


 あまり良い記憶のある名前では無いけれどわたしの名前である事には違いないし、何故かベルさんには知って欲しいと思った。


「ハナ……。どういう意味だ?」


 ベルさんは首を傾げ興味深そうに聞いてきた。


「意味ですか? そう深い意味はありませんよ。その辺の道端に咲く花の事です。両親にとってわたしはその程度の価値しかなかったんです」

 

 花子という名前の人が皆そうだとは思わないが、わたしに限っていえば取るに足らない道端の名も無い草としての意味しか無かった。家族からも滅多に呼んでもらえなかった名前だ。最後に呼ばれたのはいつだったか。いつも「お前」としか呼ばれていなかったから。


「花か……、セトアという名も花を指す言葉だ。偶然かもしれないが、縁があるのだろうな」


 ここでも花か。セトアも同じような境遇っだったのだろうか。最初の持ち物がアレだったからな。知らず俯くわたしの頭上からベルさんの優しい声が降ってくる。

 そして。


「……それに花は美しい物だろう。お前には合ってると思う」


 囁くような小さなその言葉に顔を上げると、ベルさんは明後日の方を向いていた。

 また照れているのかな。そう思うと自然と笑みと共に涙がこぼれる。

 そんな事言ってくれたのはベルさんが初めてだ。


「ありがとう、ございます。本当に……本当に」


 初めて自分を見つけて貰えたように感じて嬉しくて涙が止まらず、ボヤける視界を何度も拭いながら感謝を伝える。


 この気持ち、ちゃんと伝わってるかな。

 伝わってると良いな。

 

 グスグスと鼻を啜りながら泣き笑いするわたしを、ベルさんは溜息まじりに薄く微笑むとそっと涙を拭ってくれた。


「そんなに喜ぶような事か?」


 そう言いながらベルさんはまるで幼い子供をあやすように、頭を撫でながら手布を渡してくれる。

 その行動に少しの不満を感じつつも、涙でぐしゃぐしゃになった顔をどうにか落ち着けると改めて伝えた。


「嬉しいです! 家族でさえ呼んでくれなかった名前を、そんな風に思ってもらえるなんて。こんなに嬉しい事はありません」


 油断するとまた込み上げてくる涙を押しとどめて、満面の笑みで応えると、ベルさんが躊躇いがちに口を開いた。


「……なら、俺が……」


 そう言いかけた時、馬車が大きく傾いた。

 馬の嘶きが響き、どうやらヨウさんが急ブレーキをかけた事が窺い知れた。


 馬車内に緊張が走り、ベルさんが御者台側の小窓に駆け寄る。


「どうした? 賊か?」


 その問いにヨウさんの焦った声が重なった。


「いや、火事だ! どこかで家が燃えてる! それに血の匂いも……」


 その言葉を聞き、わたし達も慌てて外へ飛び出すと辺りを見回す。

 そして街道の右手に見える森から黒い煙が上がっているのをみつけた。


「ベルさん! あれ!」


 その方角を指差すと、皆が集まり俄かに騒然とする。


「この辺りに村なんかあったか!?」

「いや、地図には無いはずだ。お前が村と言うからには血の匂いは多数なんだな?」

「あぁ、あと鬼族供のくっせぇ匂いだ。まさか襲われてんのか?」


 ヨウさんはその長い鼻をひくつかせながら風の匂いを追っている。


 二人の会話を聞きながら、鬼族という言葉に身震いした。

 鬼族は人族に敵対する種族で、ゴブリンやオーク、オーガといった好戦的で残虐な性格を持つ危険な存在。野生動物とは違い、明確に人を狙って襲ってくるのが特徴だ。しかも集団で。

 わたしはまだ知識として知っているに過ぎず、その恐ろしさは想像するしか無いがベルさん達の様子からもその厄介さは見て取れた。


「行くぞ」


 ベルさんは短く言い放つと御者台に飛び乗り、それにヨウさんが続く。

 わたしとツェティさんは荷台に乗り込み、武器を手にして身構えた。


 街道から外れ、道無き道を行く馬車は大きく揺れる。


 初めて一人で狼に対峙したのはまだ一昨日の事だ。その時も体は強張りうまく動かなかったが、その時とは比べ物にならないほどの緊張感に、手はじっとりと汗ばみ呼吸も荒くなる。

 そんなわたしにツェティさんは優しく声をかけてくれた。


「セトアさん、大丈夫。わたくし達がついております。セトアさんは後方から晶術で援護してくださいませ。わたくしが何人たりとも近づけはさせませんわ」


 ツェティさんの力強い励ましに、力んでいた手は解れ汗も引いた気がした。


 そうだ、わたしは一人じゃ無い。

 ゆっくり深呼吸をして心を落ち着ける。


 学んできた事を実践する良い機会だ。

 絶対足手まといになんかなるものか。


 皆さんの役に立つ。

 それだけを胸に揺れる馬車の中、手順を繰り返し反芻した。

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