第44話 決意と予感


 昨夜、あれから今後の方針が取りまとめられた。

 

 わたしは万が一来訪者と出会でくわした時に備え、できるだけ誰かと行動を共にする事。

 晶術を中心に知識を深めていく事。

 スキルはタイムラグを考慮してあまり頼りすぎないように自力で能力アップに努める事。

 ドーピングも残り五回、体の成長を見ながら投薬する機会を窺う事。

 

 まだまだ無力なわたしだけど、少しずつ展望が開けてきた。

 スキルやドーピングが無ければ至極真っ当な鍛錬方法なんだ。やってできない事はない。


 わたしは決意も新たに早速今日から訓練へと乗り出した。


 まだ体の傷が治りきっていないから、大事をとって座学と座ってできる肺活量のトレーニングから。

 

 今日はベルさんが訓練に付き合ってくれるそうだ。

 ヨウさんとツェティさんは昨日のデートの仕切り直しに町へ繰り出している。

 ベルさんと二人っきりで過ごす事に少しの緊張と胸の高鳴りを覚えながら訓練に挑む。


 まずは午前中の座学。元から学んでいた物より更に濃く掘り下げていく。

 手元にあるのはハウゼンの屋敷から持ち出した基礎的な書物だけだったから、新たにフォウの町でも書物を購入し知識を得る。晶素や晶力の関係、晶術を維持し殺傷能力を上げる手法など、難しい表現も多くなり読み解くにも苦労したがベルさんが親身に付き合ってくれた。


 書物の購入に関してユウザから取り上げたお金があるから自分で払うと申し出たが、「いざと言う時のために取っておけ」と頑として受け取ってくれなかった。

 

 午後は昼食を取った後、軽装に着替え軽く柔軟をしてトレーニング開始。

 椅子に浅く腰掛け背を伸ばし、ゆっくりと深く深く、ギリギリまで深く呼吸を繰り返す事で肺活量を鍛える。こうする事で取り込める晶素の量を増やし、普段から体内の晶素に余裕を持たせ備蓄しておく事ができるらしい。

 体が癒えれば宿の中庭などでジョギングしたり、筋トレを取り入れていくのもいいかもしれない。


 一時間ほどトレーニングに精を出し軽く汗をかいた頃休憩を挟む。

 ただ深呼吸を繰り返しただけなのに意外と体力を消耗した事に驚いた。


 テーブルにお茶と焼き菓子が並べられ、向かいのソファーにベルさんが腰掛ける。

 わたしもカウチに腰掛けカップを手に取ると紅茶の香りが鼻をくすぐりホッと息を吐く。

 

 向かいに視線を移せば、長い足を組んでじっとわたしを見るベルさんと目がかち合った。

 すると、途端に目線を逸らしソワソワと落ち着かないように耳を触る。


「どうしたんですか? さっきの訓練でおかしな所があったとか、何かご指摘があったら教えてください。直しますから」


 まずわたしはさっきまでの訓練で不備があったのかと思いそう聞いた。

 しかし、ベルさんは珍しく口籠もり視線を彷徨わせている。


「ベルさん?」


 そのあまりにベルさんらしくない様子にわたしは首を傾げ、ベルさんの顔を覗き込み強引に視線を合わせればサッとその頬に色が差す。

 そして観念したのかひとつ息を吸うと組んでいた足を解き、テーブルに手をつくと徐に頭を下げる。土下座に近いその行動にわたしは意表を突かれ、危うくカップをひっくり返す所だった。


「え、ベルさん? いきなりどうしたんですか!?」


 わたしはその行動の意味がわからず軽く混乱した。

 ベルさんは頭を下げたまま、ゆっくり、しかし歯切れ悪く話し出す。


「あー……、昨日はその、悪かった。気分を害したろう。何というか、ああいう状況には不慣れで、柄にもなくはしゃいだというか……。本当に、すまなかった」


 心なしか項垂れるベルさんの後頭部を見ながら、わたしには何の事だかサッパリ分からず首を捻るばかりだ。

 とりあえずカップを机上のソーサーに戻してテーブル越しにベルさんの肩を叩く。


「ベルさん、何のことですか? 気分を害するなんてそんな事何もありませんでしたよ? あの、顔をあげてください」


 それでもベルさんは項垂れたまま、なおも言い募る。


「その、食べさせたり、食べさせてもらったりだとか、そういうのは、良くないとヨウに言われた。親しい間柄なら当たり前だとばかり思っていて、俺はお前が……」


 耳まで真っ赤になって、どんどん尻すぼみになっていくベルさんの声にわたしはおかしくなって思わず吹き出した。そんなわたしの反応が意外だったのかベルさんは顔を上げ、ぽけっとした表情を晒している。

 それがまた可愛く見えて声を上げて笑ってしまった。


 一頻り笑った後、涙を拭いながら微笑みかける。


「なんだ、そんな事気にしてたんですか? 確かにちょっと恥ずかしかったですけど、わたしの事を親しい者だと思ってくれたのなら嬉しいです。短い時間でしたけどベルさんとのお出かけ、わたしはとても楽しかったですよ。また一緒に出かけましょう?」

 

 そう返すと、ベルさんは二、三度瞬き「そうか」と短く言いながら気恥ずかしさを紛らわすためなのか、また耳を触った。


――照れた時の癖なのかな?


 そういえばあのカフェに入った時もやっていた仕草だ。

 些細な事だけど、こうやって少しずつベルさんの素顔が見れるようになってきて、とても嬉しく思う。心がじんわりと暖かくなっていくのがくすぐったくもあり、この上なく心地いい。


 たった一ヶ月一緒にいるだけなのに、わたしの中がベルさんで満たされている気がしていた。ほんのちょっとした態度や表情の変化に心が揺れ動く。


 もっともっとベルさんの事が知りたい。

 何を思い、何に喜び、何を好むのか。

 できるならわたしがベルさんを笑顔にしたい。

 そしてその笑顔をわたしに向けてほしい。


 カフェで見たあの柔らかな笑顔が忘れられず、またもう一度と願わずにはいられなかった。


 でも、あれ。

 これって……。


 思考がある一点に辿り着こうとした時、ベルさんが咳払いをして居住まいを正した。

 その頬はまだ赤みを帯びているがいつもと変わらず表情の薄い面持ちだ。

 若干の緊張を孕んだ空気にまとまりかけていた思考は霧散する。

 

「何はともあれ、以降は気をつける。お前も俺が何かしでかしたら遠慮せず言ってくれ。ヨウが言うには、身近に親しい者が身内しかいなくて、それを見て育ったからか、どうにも距離感がおかしいらしくてな……。俺はともかく、お前が恥をかくのは忍びない。殴ってでもいいからどうか頼む」


 そう言いながらまた頭を下げるその様子にわたしは慌てて首を振った。


「ベルさん、そんなに頭を下げないでください。わたしは恥なんて思いませんから。わたしみたいに身元の不確かな者にこんなによくしてくださっているのに、恥だなんて思う訳がありません。むしろ嬉しいというか……、いや、その満足に役にも立てない不束者ですがこれからもよろしくお願いします」

 

 ついこぼれた言葉に勝手に照れながら、我ながら意味不明な言動で締めくくり頭を下げると、ベルさんもようやく顔を上げ薄く笑い頷いた。


「お前は役立たずなんかじゃ無い。間違いなく俺の……、俺達の仲間だ。力ならこれからいくらでもついてくる。俺達が教えるんだからな。本星とやらも、来訪者供も見返してやれ」


 力強く断言してベルさんはわたしの頭を撫でる。

 その優しく大きい手にまた心がほわほわと暖かくなり、俄然やる気も出てきた。


「はい……!」


 わたしも頷き、ベルさんの期待に応えるべく訓練に戻った。


 明日からはまた馬車での移動だ。

 この呼吸法を早くマスターして移動時にも持続して訓練できるようにしなくては。

 大量の書物もインベントリ・リングに収納しているし復習も容易だ。紙は貴重品なのでノートは取れないから何度も読み返し頭に叩き込む。そして時折実習で成果を試す。それを繰り返し、実力をつけていく算段になっている。

 地道だが堅実な方法だろう。


 せめて来訪者相手にもベルさん達に頼りきらず、援護射撃ができるくらいにはなりたい。

 そのためにも勉強に訓練にと一層励もうと心に誓った。

 

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