第41話 甘い時間


 いまだにざわめく雑踏を抜け、こじんまりとしたカフェへと足を踏み入れる。

 そこは可愛らしい動物の小物や、レースのテーブル掛けなど一目見て女性をターゲットにした店だとわかる。


 チラとベルさんを見れば、あまりにファンシーな店内に居心地の悪そうな顔をしていた。悪いとは思いながらもどこか可愛くて笑みが溢れてしまう。

 そんなわたしに気づいたのかベルさんは口を尖らせ悪態をついた。


「笑うな。ここはヨウに聞いたんだよ。女の子が好きそうな店だからって……」


 照れ臭そうに耳を触りながらブツブツと言い訳をするベルさんに更に笑みは深くなる。

 わたしを町に連れ出すのにヨウさんに相談してくれたんだ。

 いつもは素っ気ないベルさんの優しさに心が暖かくなる。


 入り口でじゃれていると店員さんが声をかけてきた。


「いらっしゃいませ〜。お好きなお席へどうぞ」


 ベルさんと顔を見合わせいそいそと2人がけのテーブルに着く。

 メニューをめくれば予想以上に豊富なラインナップだった。宿の料理は豪華だったけれど、外食は初めてで町の様子や人々の装いなどを見ているともう少し文明の遅れた世界だと思っていたから、サンドイッチやパンケーキ、パフェ等の文字に驚かされた。野営でもごくシンプルな食事だったし気付かなかった。異星だから地球の中世なんかとは食文化が違うのだろうか。

 

 色とりどりのイラストで溢れるメニューに目を輝かせていると店員さんが木のカップに入った水を持って注文を取りに来た。わたしは紅茶とパンケーキ。ベルさんはブラックコーヒーにポークステーキとパンのセットを注文して暫し待つ。


 その間、手持ち無沙汰に水をちびちびと飲む。

 正面のベルさんに目をやれば、どうした事かわたしをじっと見つめていた。

 一瞬目が合い、ふわりとベルさんが微笑んだ。

 ベルさんのそんな顔見た事もなくて慌てて目を逸らす。


――え、何。今の。ベルさんが笑った!?


 あまりに甘いその笑みにじわじわと顔が熱くなってくる。

 一体どうしたというのだろう。

 今までわたしに笑いかけた事などなかったのに。


 そういえば訓練では一緒だったけど、こんな風にベルさんと2人きりになるのは初めてだと気づき、妙な照れ臭さにソワソワと落ち着きなく店内に目をやりながら何を話すべきかと頭を回転させる。

 わたしが会話の糸口を見出す前にベルさんが囁いた。


「しかし、とんだ騒動に巻き込まれた物だ。お前に怪我がなくて幸いしたが、これからも同じような輩が出てくる可能性はあるんだな?」


 先ほどの柔和な雰囲気を収め、苦々しげにベルさんは言う。

 わたしも先の騒動を思い返して静かに答えた。


「はい……。どうやら他の星の国々でこの星を狙っているみたいです。その行く末が来訪者の勝負にかかっているらしくて。なんの関係もないベルさんを巻き込んだ事、本当にすみません」


 項垂れるわたしの頭をベルさんは優しく撫でてくれた。

 まるで子供をあやすように。


 あぁ、そうだ。

 わたしはまだほんの子供で、ベルさんの役に立つ事すらもできない。

 どうしたらベルさんの役に立てるだろう。どうしたらベルさんを笑顔にできるのか。

 わたしはさっき垣間見たベルさんの笑顔を思い出しながら、考えを巡らせる。


「そうしょぼくれるな。あの程度の来訪者なんて片手間で事足りる。お前はなんの心配もしなくていい。今回も俺が相手して問題は無かったんだ。これからも俺がお前の代わりに出る」


 そう言うベルさんの優しげな眼差しにまた顔が火照ってくる。

 ドキドキと胸が鳴り知らず瞳が潤む。


――何これ。胸が痛い。


 初めての感覚に戸惑いを覚え恥ずかしいのにベルさんから目が離せなかった。

 それでも、ベルさんに迷惑はかけられない。

 そう言い募ろうとした所にタイミング悪く料理が運ばれてきた。


 料理がテーブルに並べられるとベルさんは一息ついて。


「まぁ、細かい事はまたヨウ達を交えてからでいい。今は料理を楽しもう」

 

 気を使ってくれたのかそう切り出してカトラリーを手に取る。


 わたしは自分の前に置かれた一皿を見下ろす。

 そこにはクロテッドクリームが盛り付けられ蜂蜜がたっぷりかかったフカフカのパンケーキがあり、それまで高鳴っていた胸も一気に引き付けられた。

 こんなに可愛いパンケーキなんて今まで見た事も無い。いや、見たことはある。自分で姉のために作っていたから。そんなパンケーキが今は自分のために目の前にある。否応にもテンションが上がるというものだ。


 キラキラとした瞳でパンケーキを凝視しているとベルさんがまたくすりと笑った。

 ついさっきベルさんを笑顔にしたいと確かに思ったがこれは何か違う気がする。

 

 つい不貞腐れると、ベルさんは「すまん」と言いながら咳払いをした。心なしか耳が赤い。


 ベルさんの前には香草焼きにされたポークステーキが鎮座している。

 そちらも美味しそうで、行儀が悪いが思わず見入っていると「食ってみるか?」と小さく切り分けたステーキ肉をフォークに刺し差し出してきた。

 

 所謂、「お口あーん」である。

 思いがけない行動にキョトンとしていると急かされ、慌ててかぶり付いた。

 ステーキは香草が効いていて臭みもなくジューシーでとても美味しかったが、恥ずかしさからモゴモゴと口を動かすので精一杯だった。


 しかし、ベルさんは更に突飛な行動に出る。


「それも旨そうだな。少しくれ」


 わたしのパンケーキを指差しそう言い放ったのだ。

 え、え、と挙動不審に陥るわたしを無視して口を開けちょいちょいと指で催促する。


 慌てながらもパンケーキを切り分けおずおずとベルさんの口に運ぶと、ベルさんはなんの躊躇もなくパクッと食いついた。


「甘いな」


 そう言いながらパンケーキを味わうベルさんにわたしは戸惑うばかりで。


「美味いぞ。早く食え。冷めると勿体ない」


――え、何これ!?ベルさんってこんなことする人じゃないよね!? 一体何が起こってるの!?


 わたしはあまりに普段と違うベルさんの態度に軽くパニクるが、当の本人は自分のステーキにナイフを入れながら何事もなかったかのように振る舞い、次々と口に運んでいく。


 ジッと固まるわたしにベルさんは小首を傾げて「どうした」と言わんばかりの落ち着きようだ。

 いやきっとベルさんなりの冗談なのだろうと気を取り直したわたしもパンケーキを切り分け口に運ぼうとしてはたと気付いた。

 もしやこれって間接キスなのでは!?


 それに気づくと途端に顔が紅潮する。

 ベルさんを覗き見るがそんな事特に気にした風もなく普通にフォークを使っていた。


――気にしすぎ!


 頭を振り邪な考えを脇に退かすと、えいやっとばかりにパンケーキを頬張る。

 甘い蜂蜜と濃厚なクロテッドクリームが混ざり合い、パンケーキはフワフワで得も言えぬ美味しさだった。今まで作るだけだった料理がこれほど美味しいものだったとは。

 わたしは恥じらっていた事も忘れて夢中でパンケーキにかじりつく。


 先に食べ終わったベルさんが微笑みながらわたしを見ていた事にも気付かずに。


 ひとしきり食べ終え満足感にお腹を撫でると不意にベルさんのしなやかな親指が唇をかすめ口元を拭った。


「クリームがついてるぞ」


 そう言いながらペロッと指を舐めるベルさん。

 その色気たるや子供のわたしには刺激が強すぎた。

 顔から湯気が出そうな程赤面して硬直すると、ベルさんが首を傾げた。


――無自覚か!


 一人胸中でツッコミを入れるとコーヒーを飲むベルさんと目があった。

 また胸が高鳴り出してもじもじとする。

 今日はなんだかこればかりだなと自嘲しながら紅茶を口にして気を落ち着ける。

 

 今のわたし達は周りから見たらどう映るのだろう。

 恋人はあり得ないから、兄妹? 年の離れた友人? ただの知り合い?

 ふと頭を過った考えに胸がチクリと痛む。


 本当に今日はどうしたんだろう。

 胸が高鳴ったり、傷んだり……。

 ベルさんの行動に一喜一憂している。


 自分でも把握できない感情に揺れ動く心がもどかしくもあり、少し嬉しい気もした。


 わたしが紅茶を飲み終えるのを見計らってベルさんが席を立つ。


「行くか。ヨウ達もそろそろ帰る頃合いだろう」


 スマートに会計を済ませたベルさんの後を追い帰路についた。

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