第36話 自分のために


  昨日はなかなか寝付けず、そこまで楽しみにしている自分に驚きもしたが、よく考えればこの星に来てからまともに遊びに出掛けるのは初めてなのだ。唯一、ツェティさんに衣服や雑貨を買ってもらったあの日以来のお出かけになる。あとはお使いに精を出していて私用の買い物もしていない。

 地球にいた頃も遊びに行くなんて許しは出なかった。学校と家の往復と食材の買い出しくらいしか家を出た事は無きに等しい。

 そんなだから楽しみすぎて寝れないなんて事になっても不思議はない。別にベルさんと出かけるから浮かれてるとか、そんな事は断じてない!


 誰に聞かせるでもないのに、言い訳じみた考えばかりが頭を巡る。

 気がつけばもう朝で、カーテン越しにも陽の光が溢れていた。

 いそいそとベッドから抜け出しそっとカーテンを開ける。

 早朝だと言うのに町は既に賑わっていた。


 窓を開け空を見上げれば、白い雲がプカリと浮き、爽やかな風が通り過ぎる。

 文句の付けようもない快晴だった。


 どんな服を着よう。

 踊るような気持ちで足取り軽くクローゼットを開く。

 昨日のドレスもいつの間に用意したのかと驚いたが、ハウゼンの街から先んじて発送していたらしい。全く気付いていなかったので、クローゼットにこんなに服が詰まっているとも思っていなかった。この町を出る時にまた次の街へ送るらしい。

 これも経費だから気にせず好きに使えとベルさんが言ってくれた。

 

 実はハウゼンの街に滞在している間、一日かけて身体中の採寸をされた事がある。

 まだ一からあつらえるには時間がかかるから既製品で我慢してくれと言われたが、わたしには過ぎた申し出だ。既製品と言われたドレスだって十分すぎる代物だったのに。


 しかし、竜皇国は大国だと昨日聞いたばかりだが、たかが小娘一人、役立たずで終わるかもしれない人間にこれだけの物資を経費で済ませるその気っ風の良さがなんだか恐ろしい。後で払って返せと言われても到底無理だろう。


 だからせめてと、できるだけ質素な物を選ぶ。

 ドレスがひしめくクローゼットから白い飾り襟の半袖シャツと赤茶色のフレアスカートを取り出す。裾には花や蔦を象ったラインが刺繍されているそれを鏡の前で体に合わせてみた。


――うん。いい感じ。


 小物入れから白いソックスとかかとの低い靴も選び服装はこれでいいだろうと独り言ちる。

 あとは鞄とハンカチと……。

 そうして一人ゴソゴソと準備をしているとツェティさんが起きてきた。

 寝室から寝巻きのまま現れたツェティさんは子供のわたしが見ても色っぽく綺麗だった。


「おはようございます、セトアさん。お出かけのご準備ですか? わたくしがお見立ていたしましてよ?」


 そう言ってくれるツェティさんだったが、何故か頷く気にはなれなかった。


「いえ、あの自分で選びたいので。その、ごめんなさい」


 何か悪い事をしているようで思わず謝ってしまった。

 そこでようやく、わたしは自分で選ぶという事をした事がなかったのだと気づく。


 今までは全て親に決められてきた。

 着る物。

 食べる物。

 ノートやペン。

 そんな細かい物まで全て。

 

 わたしの生活は姉のためにあったから、必要最低限の物しか与えられなかった。

 着るものは姉の古着。当然寸法が合わずだらしない格好になった。

 食べる物は姉の残した物。当然足りずにいつもお腹を空かせていた。

 ノートやペンも姉が気に入らなかった物だ。


 それなのに。


 今は自分の意思で自分の着る服を選んでいる。

 そんな当たり前の事なのに、わたしにとっては初めての経験なのだと。


 気づけば涙が溢れていた。

 慌てて服を汚さないようにと傍に置き、涙を拭う。


 ツェティさんがわたしのために服を選んでくれた事はあるけれど、自分で着飾ると言う事がこんなに嬉しい物だとは思いもしなかった。

 その初めてがベルさんとのお出かけだということもなんだか嬉しくて涙が止まらない。


「まぁまぁ、どうなされました? 誰も咎めは致しませんわ。泣くのはおよしになって」


 ツェティさんは優しくわたしを抱きしめそっと背を撫でてくれる。


「っ、ツェティさんの所為、じゃありません。っぅぅ、ごめんっ、なさい、急に、泣いたりして。う、嬉しくて。ただ、それだけ、なんです。服を、選ぶのが楽しくて。すごく、楽しくて」


 わたしは止まらない涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、ツェティさんにしがみついた。

 その間もあやすように背を撫でてくれるツェティさんの優しさが心に滲みて、また涙が溢れてくる。

 これから出かけるというのに、これでは酷い顔になってしまう。

 必死に涙を堰き止めようとするが自分の意思に反して涙は止まってくれない。


「セトアさん、そんなに喜んでくださっていたんですのね。わたくし達には何も遠慮する必要はございませんわ。わたくしもセトアさんにお召し物を選ぶのが楽しくてつい口を出しすぎてしまいましたわね。これからはセトアさんのお気に召す物を購入いたしましょう。そのためにも今日はベル兄様に目一杯甘えるとよろしいですわ。ベル兄様もセトアさんとのお出かけは楽しみにしているはずですもの」


 思いがけない言葉に一気に涙が止まった。


「ベルさんが……? そんな事あるわけないじゃないですか」


 さっきまでと打って変わって真顔で返すわたしにツェティさんは吹き出した。


「そんな事ございますのよ。昨夜ヨウ様を訪ねてお部屋にお邪魔しましたらソワソワと落ち着かないご様子でしたもの」


 あのベルさんが?

 いやいや、ないない。

 

 わたしが一人で突っ込んでいるとツェティさんがタオルで顔を拭ってくれる。

 お陰で涙は引っ込んだが、目が腫れぼったく鏡を見ると酷い有様だった。


「これではせっかくのデートが台無しですわ。さ、こちらへ。早く冷やしませんと腫れが引きませんわ」

「デ、デート⁉︎」


 その一言には驚きを隠せなかった。


 デート⁉︎

 いやいやいやいや‼︎

 違う!

 そうじゃない!


 そんなわたしを気にした風もなく、ツェティさんが手を叩くと待機していたのかすかさずメイドさんが部屋に入ってきた。

 そのまま手際良く冷水が用意され、朝食までの間に濡らしたタオルで顔を冷ます。


 心中は穏やかではなかったが早めに目が覚めていて良かったと心底思った朝だった。

 

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