第6話 山猫
皆さんはご存知だろうか?
猫は獣だということを。
見たことはあるだろうか?
猫の野生を。
わたしは見た事がある。
今よりも幼かったある日、学校帰りの路地で見つけたキジ猫をからかい過ぎて怒らせてしまい、猛攻撃を受けたのだ。あれでも本気ではなかったのかもしれない。しかしそれは猫パンチなんて可愛げのあるものではなく、わたしは本気で殺されると感じた。体勢を低くし、耳を倒し目と鼻は三角に、唸り声は上げずにじり寄り、奴らは確実に顔や喉を狙ってくる。テレビでライオンやトラの狩りを見たことがある人は想像できるだろう。無数の切り傷を作りながら、わたしはその場から這々の体で逃げ出した。泣きながら家に着けば、手当もされず帰りが遅いと折檻されたが、あの猫に比べれば可愛いもので。
それ以来、犬や鳥、沢山の動物が集まる動物園も恐怖の対象になってしまった。人間なんて亀が逃げ出しただけで大騒動するのに、檻に入れて安心しているのが到底信じられなかった。
そんな猛獣が、今まさに目の前にいる。
見た目は猫そのものだが大きさが尋常じゃ無い。大型犬ほどの巨大な猫が、木の上からわたしを獲物として見据えているのだ。以前は普通の小さな猫だったから助かったけど、この大きさ相手で生き延びる自信なんてない。だけど食い殺されるはごめんだ。
とにかく今は逃げることを考えよう。確かこの手の動物は走って逃げると余計に追いかけるらしい。早鐘のように鳴り続ける心臓に焦るなゆっくりと言い聞かせ後退る。
が、体は正直なもので足が絡まり数歩もしないうちに尻餅をついてしう。腰は抜け、立ち上がろうにも力が入らず、全身が面白いほどガクガクと震えてまるで下手な操り人形のようだ。それでもなんとか逃げようと這いずるように後退れば、木の硬い感触にぶつかりもう後がないことを否が応でも思い知らされる。
そんな無様なわたしを見て、野ネズミほどの脅威もないと悟ったのか悠々と木から降り立ち、ゆっくりと近づいてくる。一気に襲いかからないのはおもちゃ代わりにでもするつもりなのかもしれない。
――どうしようやばいやばいやばいやばい! 何か! 何か武器になるもの!!
冗談じゃない!
猫が鼻を鳴らした一瞬後、わたしは数メートル先の木に叩きつけられていた。身体中の骨が軋み、何が起きたのか分からず混乱する頭をワンテンポ遅れて激痛が襲った。たまらず呻き声を漏らし、額に手を当てると生温い液体が髪を伝って滴り落ちる。起き上がれず痛みにもがいていると、喜び勇んで駆けてくる猫が霞む視界の端に見えた。
――晶術! はお金が足りない! 短剣どころか棒すら無い! 何かないか何かダメだいやだよわたしこんなんで死ぬのいやだイコナ見てんじゃないの助けろよふざけんなバカ!!
痛みと恐怖でまとまらない頭でせめてもの抵抗と、咄嗟に鞄で顔を守るように構え身を縮ませ衝撃に怯えた。
そして森に悲鳴が轟いた。
しかしそれはわたしではなく、猫の悲鳴だ。
恐る恐る顔を上げると、大きな背中の大きな手が猫の顎を鷲掴みにしていた。巨大な猫を片手で軽々と持ち上げ、腕に爪を立てられているのに微動だにしない。鷲掴みのまま無造作に放り投げると猫は腰も砕けんばかりに逃げて行った。
大きな背中が振り返り何か言っているが意識が朦朧としてきてよく聞こえない。
危機一髪で助けが来るなんてどんな少女漫画だよとツッコミを入れながら、わたしは意識を手放したのだった。
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