第46話 好敵手

「ラクレウス、騎士はこちらにもいるぞ!」

 コキアスがそう叫びざま、松明を投げ捨てて、ラクレウスの背後に回り込もうとした。

 だが、それに合わせるようにラクレウスは無造作に左手を振った。

 触れられてもいないのに、コキアスは見えない腕に殴られたように弾き飛ばされ、地面に転がった。

 正面に立つユリウスは、はっきりと見た。

 ラクレウスの左の二の腕あたりに、血のように真っ赤な小さな目が瞬くのが。

 あれが、魔騎士ラクレウスの異形か。

「じっとしておれ、コキアス」

 ラクレウスはそう言って口元を歪めた。

「これは私とユリウスとの一対一の勝負だ。未熟な貴様の出る幕などないわ」

「ずいぶんと口が悪くなったな」

 ユリウスの背後で、胸の傷を左手で押さえたまま、リランが剣を構えた。

「シエラ第一の騎士としての誇りはすでに失くしたか」

「そういう貴様は、見覚えがあるぞ」

 ラクレウスは濁った赤い目をリランに向ける。

「その左目はどうした。ネズミにでも齧られたか」

「ふん。まあ、似たようなものよ」

 答えて、リランはユリウスの隣に並ぶ。

「お前こそ、その右腕はどうした。ずいぶんと不便そうではないか」

 リランの言葉通り、ラクレウスの右手は崩れ、剣と一体化してしまっていた。それはラクレウスが倒した魔騎士ブラッドベルと同様の変化であった。

 死してなお剣を手放さなかった証でもあるその変化に、ユリウスは顔をわずかに曇らせる。

「不便など感じぬ」

 ラクレウスは快活に答えた。

「人を殺すためだけに用いる腕だ。このほうがちょうどよい」

「もはや、何も掴む必要はないということか」

 リランは憐れむように笑う。

「それでは、左腕のその目は何だ」

 なおも、リランは尋ねた。

「それの力でコキアス殿を吹き飛ばしたようにも見えたが」

 さすがに歴戦の騎士。

 リランは会話を続けることで、ラクレウスの能力を探ろうとしている。

 それがユリウスにも分かった。

 だが、ラクレウスは声を上げて笑った。

「貴様の名を思い出したぞ、ナーセリの騎士リラン。小細工を弄するな。武術大会の戦いぶりを見た限りでは、戦いにそのような小賢しい真似を持ち込む男には見えなかったが」

「雌雄を決する前に必要な話をしておこうというのだ。何が悪い」

 悪びれもせずにリランは言った。

「何か言い残すことがあれば聞いておいてやろうという、せめてもの情けだ」

「たとえそれが本心であったとしても、無用な気遣い」

 ラクレウスはそう言って肩をすくめた。その仕草は、生前とまるで変わらぬようにも見えた。

「言葉など、人という獣の発する鳴き声に過ぎぬ。そんなものに何の意味もない」

「ラクレウス」

 ユリウスは静かに口を挟んだ。

「それは違う」

「ユリウスよ」

 ラクレウスは己の好敵手に目を戻した。

「こちら側に来て、私の世界は一変した。多くのことが分かるようになった。魔人と呼ばれる存在の記憶が」

 そう言って、穏やかに微笑む。だが口元に浮き上がる血管だけが別の生き物のように痙攣を繰り返していた。

「遥かなる星。我らの故郷」

 詩を口ずさむかのようにラクレウスは言う。

「風と炎。長き旅。沼と瘴気の役目。我ら魔人とは何なのか。なぜに人を喰らわねばならぬのか」

 そこまで口にしてから、ラクレウスは低く笑った。

「だが、全てを知った私の結論は一つだ。くだらぬ」

 吐き捨てるように言うと、ラクレウスはユリウスに凶悪な笑みを向けた。

「我らの来歴など、どうでもよい。語る気もせぬ。そのようなことは全て些事だ。今、私の心を占めているのはただ一つ」

 黙って自分を見つめるユリウスに、ラクレウスは右腕の剣をゆっくりと向けた。

「貴公との決着のみ」

 気の弱い者であればそれだけで命を奪われてしまいそうな鋭い眼光。だが、ユリウスはそれを静かに受け止めた。

 何も答えないユリウスを見て、ラクレウスは表情を緩める。

「おそらくそれだけは、つまらぬ人間であったころの私も同じ気持ちなのであろうな」

 ラクレウスは、左の拳で乱暴に己の胸を叩いた。

「ゆえに、このように胸が高鳴っておるわ。貴公の剣を受け止めただけで」

「そうか」

 ユリウスはぽつりと一言、そう答えた。

 隣に立つリランの肩を叩くと、一歩前に出る。

 ようやく立ち上がったコキアスにちらりと目を向け、ユリウスは言った。

「この戦い、私とラクレウスの二人だけでさせてもらおう」

「ユリウス」

「ユリウス殿」

 二人が同時に声を上げるが、ユリウスは構わずもう一歩前に出た。

「二人は見届けてくれ」

 ゆっくりと歩み寄るユリウスに、ラクレウスも剣を構えた。

「来るか、我が義弟となるはずであった男よ」

 そう言うと、にやりと笑う。

「貴公に私が斬れるか」

「私は貴様の義弟などではない」

 ユリウスは静かに答えた。

「ラクレウス殿は誰よりも勇敢に戦い、その命を落とした。私は彼の義弟だ。今、私の前にいるのはただの魔騎士に過ぎぬ」

「もしや、そう伝えておるのか、カタリーナにも」

 ラクレウスは楽しそうに顔を歪める。

「涙ぐましいその偽りにどのような意味があるというのか。カタリーナをずっと騙し続ける気か」

 ラクレウスが妹の名を口にするたびに、ユリウスの表情は険しくなっていく。

「万一私に勝ったところで、貴様がカタリーナの兄を殺した男であるという事実は変わらぬ。その血に濡れた腕で、どのようにカタリーナを抱く気だ」

 嘲笑うようなラクレウスの言葉。

「下品な挑発だ」

 リランが言った。

「ユリウス。耳を貸す必要はない」

「その通り」

 コキアスも声を上げた。

「本物のラクレウス殿であれば、決してそのようなことは言いませぬ」

「二人とも、心配は無用」

 ラクレウスから目を離すことなく、ユリウスは言った。

「ラクレウスよ、魔騎士という輩は、剣ではなく舌で勝利を得ようとするのか」

「なに」

「我ら騎士とはずいぶんと違うものよ。言葉は不要と言いながら、言葉に頼る」

「ふん。口の減らぬ男よ」

 ラクレウスは自分の胸をもう一度拳で叩いた。

「まあいい。こいつが治まらぬ。やるか」

 その言葉と同時だった。

 ラクレウスの剣が突風のようにユリウスを襲った。

「うおっ」

 百戦錬磨のリランが思わず声を漏らすほどの強烈な一撃だった。

 だが、ユリウスはそれをしなやかに受け流した。

 勢い余って地面を抉ったラクレウスの剣が、ユリウスが攻撃に転じるよりも速く再度跳ね上がった。

 だがユリウスはそれも身をかわしながら受け流す。

 鍛えた金属同士がこすれ合い、火花が散った。

「水だ」

 コキアスが感嘆したように呟く。

「ユリウス殿の剣は、まるで水」

「また腕を上げておるわ」

 リランはそう言いながら、自らの剣を下ろして松明を握り直す。

「あの豪剣を受け流せる者など他におらぬだろう」

 更に数度の斬撃を受け流したユリウスに、ラクレウスは笑顔を見せた。

「さすがに良き剣を使う。我が好敵手にふさわしい」

「貴様などが私の好敵手なものか」

「なに」

 吐き捨てるようなユリウスの答えに、ラクレウスは目を見張る。

「私とラクレウス殿の名誉のために言おう」

 ユリウスは言った。

「真の騎士ラクレウスの剣ならば、ここまで余裕をもって受け流すことなどできはしなかった」

 そう言いざま、今度はユリウスが前に出た。先ほどまでのしなやかな剣とは一変した、ラクレウスもかくやというほどの一撃に、受けた魔騎士の表情が変わる。

「魔騎士よ、貴様の剣など我が好敵手の足元にも及ばぬ」

 とっさに距離を取ったラクレウスに、ユリウスは言った。

「私が見上げ、カタリーナ殿が心の支えとしたラクレウス殿の剣は、こんなものではなかった」




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