第44話 孤独

 ユリウスとリランは、シエラの宮廷で準備された全てのもてなしを不要と断った。

 長旅で疲れた身体を柔らかいベッドで休めると、翌日には再び旅装をまとって宮廷を出立した。

 二人に付き従うシエラの騎士は、コキアスを含む四人。

 三人の新たな騎士たちのいずれとも、ユリウスは面識がなかった。

 ユリウスの知る、武術大会で顔馴染みの騎士たちは、ラクレウスとともに命を落としたか、そうでなければ負傷などの理由ですでに一線を退いていた。

 国の存亡がかかるこの任務に、この水準の騎士しか派遣することができぬのか。

 ユリウスは改めて、シエラの窮状に思いを馳せた。

 ともあれ、魔騎士を討つ旅は始まった。

 コキアスの先導を受けて、ユリウスたちはひたすらに馬を走らせた。

 ラクレウスが魔騎士となったことを初めて知らされたコキアス以外の三人のシエラの騎士たちは、動揺を表に出すことこそなかったものの、皆、固い表情で言葉少なだった。

 王都を発って二日で、ユリウスたちは馬を下りることとなった。

 すでにすぐそこまで瘴気が迫っていたからだ。

「魔王“北風”討伐に赴いた時は、もう少し先まで馬で行けたのですが」

 コキアスが言った。

「王都のこんな近くまで瘴気が来ているとは」

 それは、魔騎士となったラクレウスが、今や魔王よりも強い瘴気を発しているということなのか。

 そう思ったが、ユリウスは口には出さなかった。

「瘴気の中に踏み込めば、決して朝の来ぬ夜の中を旅することとなる」

 代わりに、ユリウスはシエラの若き騎士たちにそう告げた。

「時の経過の分からぬ旅は、想像以上に心身に堪える。心して行こう」

 三人の騎士は無言で頷く。

 他国の騎士の麾下に入り、尊敬する自国の英雄を討たねばならぬ彼らの気持ちは、いかばかりか。

 だがユリウスは、彼らの気持ちをそれ以上斟酌することはしなかった。

 直接に剣を合わせずとも、彼らの騎士としての力量は、身のこなしを見ればそれだけで分かった。

 貴重な戦力を割いてくれたシエラ王には申し訳ないが、三人とも、ラクレウスに敵するだけの力はとても持ち合わせてはいない。

 それは、魔王との戦いを経験したユリウスの、冷徹な評価だった。

 そして力が及ばないのは、コキアスにしても同様だった。

 おそらく、ラクレウスとの戦いにおいて多少なりとも頼りになるのは、リランのみ。

 そのリランとて、片目を失い全盛期の力はない。

 すでにユリウスは、己一人でラクレウスと対峙する覚悟を固めていた。

 アーガやラザ、テンバーたちがいた“詩人”との戦いとは、状況がまるで異なる。

 こたびの戦いにおいては、仲間を頼るという心が隙を生み、剣を鈍らせるだろう。

 ラクレウスの発する瘴気に引き寄せられた魔人が他にいるのであれば、彼らにはその相手をしてもらう。


 ラクレウスを斬るのは、私だ。


 ユリウスは心の中でそう呟いた後で、すぐに言い直した。


 否。

 ラクレウスを斬れるのは、私だけだ。


 それは孤独な戦いとなるだろう。だが、他に選択肢はない。

 不意に、哀しそうなカタリーナの笑顔が脳裏をよぎったが、ユリウスは目を閉じてそれを振り切った。




 闇は深く、実際の質量を伴うかのような重荷となって心にのしかかってくる。

 経験済みのユリウスであっても、そう感じるのだ。

 未経験の若い騎士たちにはなおさらであった。

 シエラの若い騎士二人がまず脱落し、続いてもう一人も動けなくなった。

 ユリウスは、ナーセリの魔王“詩人”を討つ際に騎士ハードにさせたのと同じように、彼らに元来た道を戻らせた。

 残る騎士は、ユリウスとリラン、そしてコキアスの三人だけであった。

 さすがにコキアスは、若手とはいえラクレウス率いる魔王“北風”討伐隊に選抜されただけあって、ほかの騎士とは違った。

 弱音も愚痴もこぼさず、コキアスは思いつめたような表情で、松明を掲げて先頭を歩き続けた。

「コキアス殿」

 ユリウスは歩調を変えず進むコキアスの背中に、そう声をかけた。

「シエラの騎士が貴公一人になったからといって、貴公が全ての責任を背負い込む必要はない。それはラクレウス殿にもできなかったことだ」

「ユリウスの言う通りだ」

 リランもそれに同調した。

「コキアス殿、貴公はよくやっている。我らは大丈夫だから、肩の力を抜け」

「ええ」

 二人を振り向き、コキアスは微笑んだ。

「分かっています、ユリウス殿。リラン殿。お心遣い感謝いたします」

 だがそう言うと、すぐにまた厳しい表情で前を向いてしまう。

「ですが私も、シエラの騎士の端くれなのです」

 その言葉にユリウスとリランは顔を見合わせ、それ以上は何も言わずコキアスの後に続いた。

 シエラの騎士。

 もはや人の世の存亡にかかわるとも言えるこの時になお、シエラの騎士だ、ナーセリの騎士だ、などとこだわるのは愚かなことだろうか。

 いや。

 ユリウスは黙々と歩き続けるコキアスの背中を見つめ、心の中で首を振る。

 たとえ傍目には愚かに見えようとも、それこそが騎士の背骨だ。それを捨てることは、己の生き方を捨てることと同義なのだ。

 魔人と戦うためには、強くなければならぬ。

 ユリウスは思った。

 剣の腕前のことではない。

 騎士の強さとは、その誇りの強さだ。

 シエラの、ナーセリの、それぞれの国の民を護るのは自分なのだという誇り。強烈な自負。

 どんなに身体が頑丈であろうが、いかに剣が上手かろうが、それなくして人のために命を懸けることができようか。

 誇りこそが、騎士を立ち上がらせ、その身体を前へ前へと進める原動力なのだ。

 他国の騎士であるユリウスとリランが、シエラの騎士に誇りを捨てろと言うことはできなかった。

 コキアスは一人、シエラの騎士の誇りを背負い、歩き続ける。

 私だけではない。ここにも、孤独な戦いをする者がいる。

 ユリウスは、一歩一歩踏みしめるように歩き続けるコキアスの背中を追った。



「魔王“北風”は」

 どれくらい歩いただろうか。

 小休止のために、暗闇の中に腰を下ろしたとき、コキアスが言った。

「常に、激しい冷気を伴う暴風とともにいました。ですので、この辺りは真冬のような寒さだったのです」

「瘴気だけでなく、冷気まであったのか」

 ユリウスは暗闇を見回した。

 光は届かないが、気温は決して低くはない。

 夏の終わりと感じたシエラ入国の時の温度と、今も体感は変わらなかった。

「ええ。ですが今、冷気はない。それゆえ、ラクレウス殿は」

 コキアスはわずかに言い淀んだ。

 そこに、リランが口を挟んだ。

「“北風”のような能力は持っていないということか」

「はい」

 コキアスは頷く。

「魔王の瘴気にあてられたからといって、魔王と似た能力を得るというわけではないのですね」

「そのあたり、何かの法則があるのかどうかは私も知らぬ」

 ユリウスは言った。

「戦った魔人と似た能力を発現する者もいれば、全く関係のない能力を持った者もいた。ラクレウス殿がどのような力を得たのかは分からぬな」

「それが分かれば、多少はこちらに有利に働くのでしょうが」

 コキアスは目を伏せる。

「やはりラクレウス殿とまみえるまでは分からぬということですね」

「その、ラクレウス殿という呼び方だが」

 リランがぼそりと言った。

「もう、やめにせんか。今のラクレウスは生前のラクレウス殿ではなく、魔騎士だ。それをいつまでもラクレウス殿などと呼んでいては、向ける剣も鈍ろうというもの」

 そう言って二人の顔を見る。

「王の前でも述べたであろう。魔騎士ラクレウスを討つのだと」

「そうだな」

 ユリウスは頷いた。

「貴公の言う通りだ。ラクレウス殿とて、今の姿を生前通りに呼ばれることは望んではいまい」

「おっしゃる通りですね」

 コキアスも同意した。

「それでは、魔騎士ラクレウス、と」

「うむ」

 ユリウスは頷く。

「魔騎士ラクレウス」

 自分でも口に出してみる。

 心の中で思うのと、実際にそう決めて口に出すのとでは、やはり違った。

 また一歩、騎士ラクレウスの面影が遠ざかる。

「私の感覚では、魔騎士のもとまではあと半日」

 コキアスは言った。

「早ければ、次の小休止を待たずして、戦いになろうかと」

「瘴気の源に近付いてきているのは分かる」

 ユリウスは答えた。

「長く瘴気に身を晒すのが危険なのは、我らとて同じ。遭遇が早ければ、それに越したことはあるまい」

 魔騎士と化した好敵手との戦いが目前に迫る。

「魔騎士ラクレウスを討ち、全てを終わらせよう」




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