第43話 責務

 魔騎士ラクレウス。

 その残酷な響きは、ユリウスの胸に重くのしかかった。

 ばかな。

 あのラクレウスが。

 ユリウスにはまだ信じがたい気持ちがあった。

 彼の心を代弁するかのように、隣のリランが言葉を発した。

「シエラ王よ。それでは我らが対峙せねばならぬ敵は、魔王ではなくラクレウス殿ということになりましょうか」

「うむ」

 王は頷いた。

「魔王“北風”はラクレウスの剣で滅びた。そして今は魔騎士となったラクレウスが魔王と同等かそれ以上の瘴気を放っておる」

「なんと」

 リランは嘆息した。

「そこまでの瘴気を」

「詳しくは、シエラの騎士であるこの……」

 王は傍らに目を向ける。

 そちらの柱の陰に控えていた青年が、静かにユリウスたちの前に進み出た。

「コキアスから説明させよう」

「コキアス殿ではないか」

 ユリウスは目を見張った。その青年を、ユリウスは知っていた。

 ナーセリとシエラ両国の国境に複数の魔人が現れ、ラクレウスたちシエラの騎士と共闘することになったとき、ユリウスとともに旅をした二人の騎士のうちの一人が、このコキアスであった。

 魔人“のっぽ”との戦いで負傷した彼らとドルメラまで同道できなかったことは、今でもユリウスの中では痛恨事として記憶に残っていた。

「お久しぶりです、ユリウス殿」

 シエラの騎士コキアスは、ユリウスを見て微笑んだ。

 だが、それは以前の快活な彼らしくない、暗い笑みであった。

 それを見て、ユリウスには直感するものがあった。

「まさか、コキアス殿。魔王“北風”との戦いの唯一の生き残りというのは」

「ええ」

 コキアスは頷く。

「私です」

「……そうか」

 ユリウスは目を伏せた。

 敗戦の唯一の生き残り。

 親しい仲間を全て失い、吉報を待つ王都に絶望的な報告をもたらさねばならない役目。誰がそんな役割を望むであろうか。

 だが任務に失敗した以上、誰かがせねばならぬ役割でもあった。

 若い彼の肩にのしかかった無念さ、無力さ、それはいかばかりであったか。

 その絶望が、この青年の笑顔に拭えぬ暗い影を落としていたのだ。

「ロサムも死にました」

 コキアスは、当時ともに旅をしたもう一人の騎士の名を挙げる。

「私たちシエラの騎士はラクレウス殿をリーダーとして、八人で魔王討伐に赴きました」

 そのときのことを、コキアスは淡々と語りだした。

「しかし、魔王の発する強い瘴気に三人が脱落し、魔王と相対できたのは五人だけでした」

 五人か。

 ユリウスはその数に小さく嘆息した。

 魔王“詩人”との戦いにナーセリの騎士は六人で挑み、その結果三人が命を落とした。

 アーガやラザら一流のベテラン騎士を擁して、その結果だ。

 シエラの騎士五人では、ラクレウスにかかる負担があまりにも大きい。

「魔王“北風”は本当に強かった」

 コキアスは言った。

「今まで戦った魔人とは、あらゆる意味で格が違いました。氷の刃と凍えるような風でラクレウス殿を除く騎士は皆、打ち倒され、二人が命を落としました」

 さもありなん。

 ユリウスは瞑目する。アーガやラザ、テンバーの凄絶な最期がまた目の奥に蘇った。

「けれど、ラクレウス殿だけは違いました」

 その言葉に、ユリウスは目を開く。

「何度打ち倒されようともそのたびに立ち上がり、まるで武神が乗り移ったかのような凄まじい剣技で、魔王の氷の刃を打ち払って、ついにその身体を切り刻んだのです」

 コキアスの言葉に、ユリウスはラクレウスのその戦いを想像しようとした。

 記憶に残る豪剣。

 ラクレウスはそこに、祖国への想いと騎士としての責任感の全てを乗せたに違いない。

 それはラクレウスの生命全てをぶつけられたようなものだ。魔王とて受けきれるはずがない。

「魔王が滅び、ロサムが歓声を上げてラクレウス殿に駆け寄ったのです。私も駆け寄ろうとしました。しかし、その時でした」

 コキアスの顔が辛そうに歪んだ。

「ラクレウス殿の剣が、ロサムの胸を貫いたのは」

 ユリウスの隣でリランが、むう、と低く呻いた。

「魔人と化したのか」

 言うまでもないことであったが、その声に無念さが滲んだ。

 ユリウスにもリランの気持ちは分かった。

 敢えて口に出さなければ、やりきれなかったのだ。

 魔王との対峙。頼れる仲間もいない中での絶望的な戦い。

 それでもラクレウスは負けるわけにはいかなかった。

 限界を超えて何度も立ち上がるたび、ラクレウスの身体は瘴気に侵されていったのであろう。そして、魔王を討ち果たしたその瞬間の解放感。責務から解き放たれたラクレウスの心と身体を、瘴気が乗っ取ったのだ。

 ユリウスは厳しい顔で頷くことで、コキアスの話の続きを促した。

「ロサムは何が起きたのか分からぬままに死にました。ラクレウス殿は、呆然とする私に叫びました。コキアス、私はもうだめだ。私から離れよ、と。そして」

 コキアスは唇を噛みしめて何かをこらえるように押し黙った。

 しばらくの沈黙ののち、コキアスは真っ赤に充血した目でユリウスを見た。

「そして、最後に言いました。ナーセリの騎士を、と。ナーセリから私を討てる騎士を呼べ、と。晴れかけていたはずの瘴気がまた辺りを覆い始めて、あとはもう何も分かりませんでした」

 私を討てる騎士。

 ラクレウスが言い遺した言葉。

 自分を討てる騎士を呼べと叫ばねばならぬ状況。それも、他国の騎士をだ。

 どれほど無念であっただろう。その瞬間のラクレウスの気持ちを考えると、ユリウスの胸は詰まった。

「ありがとう、コキアス殿」

 ユリウスは言った。

「よく分かった。思い出すのも辛かったであろうに、よくぞ話してくださった」

 いえ、と首を振って、コキアスはまた柱の陰に控えた。

「王よ、事情は理解いたしました」

 ユリウスは言った。

「魔騎士ラクレウスは、我らの手で討ちます」

「やってくれるか」

 シエラ王は、ユリウスを見た。

「もはや、貴公らに頼むしかないのだ」

「シエラ第一の騎士の相手は、ほかの誰でもなく、ナーセリ第一の騎士である私がすべきでしょう」

 ユリウスはきっぱりと言った。

「止めてみせます。必ずや」

「シエラの騎士も、このコキアスを含めた四名が同行する」

 王は言った。

「頼む、ナーセリの騎士よ」

 そう言って、王は頭を垂れた。

「どうかこの国を救ってくれ」



「大きく出たな、ユリウス」

 王との謁見を終えた後、リランがユリウスの肩を叩いた。

「シエラ第一の騎士の相手は、ナーセリ第一の騎士が、とは」

「あれは、本気だ」

 ユリウスは答える。

「そのくらいの気概がなければ、魔人となったラクレウスの相手は務まらぬ」

「そうかもしれんな」

 リランは頷いた。

「及ばずながら、力を貸そう」

「うむ。頼りにしている」

 控え室で案内の者を待っていると、先ほど会ったばかりの騎士コキアスが姿を見せた。

「ユリウス殿、リラン殿。先ほど王が仰せになった通り、私も同道いたします」

 コキアスの言葉に、ユリウスは頷く。

「辛い旅路をまた辿ることになるな、コキアス殿」

「それも騎士の務めと心得ております」

 コキアスは微かに笑ってみせる。

「それでは、また明日」

 そう言って離れようとしたコキアスを、ユリウスは呼び止めた。

「コキアス殿、手紙を出したいのだが」

「手紙ですか」

 コキアスは少し考えた。

「城内に集積所がございます。案内の者に渡せば出しておいてくれるでしょう」

「分かった。そうしよう」

「これから出すのか、例の手紙を」

 コキアスが去ると、リランが言った。

「毎晩一生懸命綴っていたあれは、カタリーナ嬢にあてた手紙であろう。それならば直接渡せばよかったではないか。さっき会ったときになぜ渡さなかった」

「手紙には、魔王を討つまでの己の気持ちを全て書き留めておこうと考えていた」

 ユリウスは答えた。

「だから、まだ渡すべきではないと思ったのだ。だが、今日からはもう書けぬ」

 懐に忍ばせたカタリーナへの手紙を、今はまるで鉛のように重く感じていた。

 敵は魔王ではなくなってしまった。

 倒すべき相手は、カタリーナの愛してやまない兄ラクレウスなのだ。

 そんなことを、カタリーナへの手紙にどう書けばよいというのか。

「それゆえ、カタリーナ殿には私の昨日までの気持ちを伝えておく」

「そうか」

 リランは頷いた。

「それがいいかもしれんな。もう明日からは、手紙を書く余裕もあるまい」

 その通りだ。

 ユリウスは頷く。

 もう明日からは、人ではなく剣となるのだ。

 ユリウスは自分に言い聞かせた。

 剣は、相手が誰であろうと切れ味を変えたりはしない。

 たとえそれが好敵手であろうと、婚約者の兄であろうと。

 最後に折れてしまおうとも、相手の命を奪うまで、剣は剣であることをやめぬ。

 見ていてくれ。アーガ。

 私はナーセリ第一の騎士の責務を果たす。




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