第42話 震え

 ユリウスとカタリーナの情熱的な再会の抱擁は、後ろからゆっくりと追いついてきたリランのこれ見よがしの咳払いに邪魔された。

「抱き合うまでは良いとして、いつまでやっておる気だ。もうその辺で良かろう」

 リランは呆れた声を出す。

「先を急ぐ旅だ。抱き合うのはそれくらいにして、話すべきことをきちんと話し合っておいたらどうだ」

 見合わせた顔を赤らめて、二人は身体を離した。

 名残惜しいが、リランの言うことももっともであった。

「カタリーナ殿。どうして、このような場所に」

 ユリウスは尋ねた。カタリーナは目を伏せる。

「どうしても、お会いしたかったのです。ユリウスさまと」

 答える声が、か細く震えた。

「魔王を討つために、ユリウスさまがシエラにお越しになると伺いました。けれど、王都に着いてしまってからでは、通りの数も人の数も多すぎて、お会いできるかどうか不安でございました。まさかお城の門の前でずっとお待ちするわけにもいかず」

 そう言って、カタリーナはユリウスたちが二日前に通過した街の名を挙げた。

「あの街から王都へ来るのであれば、必ずこの道を通ります。それで、リチアとともに今朝からここに」

「ずっと待っていらっしゃったのか」

 ユリウスは目を見張る。

「このような、何もない場所で」

「たった半日のことでございます」

 カタリーナは答えた。

「それでユリウスさまにお会いできるのであれば、この程度の時間、何ほどのこともございませぬ」

「お身体に障る」

 ユリウスはそう言って首を振った。

「無茶をしてはならぬ」

「ご迷惑でしたか」

 自分を見上げるカタリーナの瞳が揺れた。ユリウスはもう一度、今度はゆっくりと首を振る。

「迷惑ならば、あのように抱擁などはすまい」

 その言葉に、カタリーナがまた顔を赤らめる。

「あなたの姿を見ただけで、心が躍った」

 ユリウスはそう言い、それから、口調を改めた。

「兄君の、ラクレウス殿のことは残念でした」

 そう言って、頭を垂れる。

「心中、ご察し申し上げる」

「いいえ」

 カタリーナは小さく首を振った。

「兄は騎士として、立派に役目を果たしました」

 ラクレウスが敗れたとの知らせを受けてからもうだいぶ日にちが経っているせいか、カタリーナの表情は落ち着いていた。

「国を、民を護るためにその命を燃やしたのです。魔王を討つことは叶いませんでしたが、兄と戦った魔王とて、おそらく無傷では」

「無論です」

 ユリウスは言葉に力を込めた。

「あのラクレウス殿と戦ったのだ。魔王などおそらくは、半死半生。このユリウスが役目としてとどめを刺しはするが、そんなものは最後の儀式に過ぎぬ。討ったのはラクレウス殿と言っても過言ではない」

 そう言って、カタリーナに力強く頷く。

「シエラに立ち込める瘴気など、もはや晴れたも同然。カタリーナ殿も安心して私の帰還をお待ちいただきたい」

「ユリウスさまは」

 カタリーナのユリウスを見上げる目が、切なそうに細められた。

「嘘をつくのが下手でございますね」

「何を言われる」

 ユリウスは目を見張る。

「嘘など、ついてはおらぬ」

「いいえ。わたくしもこれでも騎士の妹です。その程度のことは分かります」

 カタリーナはそう言うと、一瞬辛そうに伏せかけた目を上げて、しっかりとユリウスを見た。

「本当に、そのように簡単な任務だとお思いならば、今のユリウスさまのような目はされませぬ」

「目」

 ユリウスは慌てて顔を反らした。

「私は、いつもこのような目ですが」

「兄も今のユリウスさまと同じ目で出ていきました。静かな、強い目で」

 カタリーナはそっと手を伸ばし、ユリウスの手を取った。

 終わりかけとはいえ、まだ季節は夏だというのに、カタリーナの手は冷たかった。

「騎士さまと魔王との戦いに、わたくしなどが口を出せることは何もございませぬ。けれど、これだけは言わせてくださいませ」

 カタリーナは言った。

「ユリウスさま。どうか、死なないでくださいませ」

「死ぬものか」

 ユリウスは答える。

「貴女の兄君の仇は、私が討つ」

「仇、でございますか」

 カタリーナは少し寂しそうに頷く。

「弟のエアルフも、兄上の仇は自分が討つんだ、と息巻いておりました」

「ああ」

 ユリウスは、以前カタリーナから聞いていた、彼女の年の離れた弟のことを思い出す。

「エアルフ殿は、ラクレウス殿に心酔しておいででしたな。悲しみも大きかったことでしょう」

「ええ。知らせを受けた時は、それを信じられぬ様子でした」

 弟のその時の様子を思い起こしたのだろう、カタリーナの顔が曇った。

「ですから、弟の気持ちも分かるのです。兄と互いに認め合っておいでだったユリウスさまのお気持ちも」

 そう言うと、カタリーナは顔を伏せる。

「でも、わたくしの本当の気持ちを言ってしまえば」

 その声が震え、かすれた。

「兄の仇など、誰にも討っていただかなくともよいのです。もちろんわたくしにも魔王が憎い気持ちはございます。けれどたとえ魔王を討ったとて、死んだ兄が帰ってくるわけではございませぬもの。わたくしはユリウスさまが無事ならば、もう他には何も要りませぬ。わたくしにとっては、ユリウスさまにまで置いていかれてしまうことの方がよほど」

 そこまで言ってから、カタリーナははっとしたように口をつぐんだ。

 激情が口をついて溢れたが、それはこれから戦いに赴く騎士に対して言ってはならぬ言葉だと、最後の最後に自制心が働いたようであった。

「どうかお忘れください、わたくしが今言ったことは」

 カタリーナは言った。

 それから、青白い哀しそうな顔で、微笑んでみせた。

「どうか、ご武運を。きっと魔王を討ち果たしてくださいませ」

 騎士に務めがあるように、騎士を送り出す者にもまた務めがある。

 その武運を祈り、帰りを待つという辛く厳しい務めが。

 カタリーナがユリウスにそっと差し出したのは、黄色い羽根飾りだった。

「これは」

 ユリウスも見たことがあった。

 それは、シエラに伝わる武運長久のお守りであった。

 先年のシエラでの武術大会から帰国する折、知り合ったシエラの令嬢からこれを贈られたテンバーが有頂天になっていたのを覚えている。

 そのテンバーも、もういない。

「これをどうしてもお渡しいたしたく、お待ち申し上げておりました」

 カタリーナの差し出す羽根飾りは、小刻みに震えていた。

 カタリーナが、唇をぎゅっと引き結んでユリウスを見上げる。その凛々しい表情を見ただけで、ユリウスはたまらなくなった。

 今すぐに、もう一度抱き締めたい。

 そんな激情が沸き上がった。

 目の前のこの華奢な身体を、壊れるくらいに力強く抱きしめて、愛を伝えたい。

 それは本能から来る衝動にも似ていた。

 だが、彼の双肩に乗せられた重い使命と、仲間たちの死は、彼がその激情に身を委ねることを許さなかった。

 この震えは、カタリーナ殿ひとりの震えではない。

 こみ上げてくるカタリーナへの気持ちを抑え、ユリウスは震える羽根飾りを見つめた。

 これはシエラの民の震えだ。

 魔王によってもたらされた恐怖にじっと耐える、無数の民の悲しみの震え。

 この震えを止めることが、私に課せられた使命なのだ。

 そしてそれは今や、私にしか果たせ得ぬ。

「私は、忘れなどしない」

 ユリウスは言った。

「ラクレウス殿の無念も、あなたの先ほどの言葉も」

 そう言いながら、手を伸ばし、羽根飾りを受け取る。

「ありがとう、カタリーナ殿。この羽根飾りを胸に携え、貴女の言葉を心に抱き、私は魔王を討ち、そして帰ってくる」

 ユリウスは微笑んだ。

「約束しよう」

 その言葉に、カタリーナの顔が歪んだ。けれど彼女も唇を噛みしめて、その気持ちをこらえた。

「はい、ユリウスさま。約束でございます」

 カタリーナはそう言い、それからもう一度、微笑んでみせた。

「どうかご無事で。カタリーナはいつまでもお帰りをお待ちしておりますゆえ」



 カタリーナとその忠実な侍女リチアと別れたユリウスとリランは、馬を走らせ、その日のうちに王都の門をくぐると、旅装も解かぬままで、シエラ王に謁見した。

「騎士ユリウス。騎士リラン。感謝する。よくぞシエラに来てくださった」

 そう言って二人を歓迎したシエラ王は、武術大会の折に会ったときよりもずいぶんとやつれていた。

 それも無理はない、とユリウスは思った。

 ラクレウスが敗れ、国にもう魔王に当たり得る騎士がいなくなってしまったのだから。

 ナーセリ王に援助を願うことは、尚武の国シエラの王としては苦渋の決断であっただろう。

「だが、騎士ユリウスよ」

 シエラ王は言った。

「魔王の討手として貴公が来るとナーセリ王から伺ったときは、余もためらった。そんなことをさせて良いものかと。しかし、この国を、民を護るためには貴公に来てもらうほかなかった」

 王の言っていることがよく分からず、ユリウスは少し眉を寄せて王を見た。

「余の言うことが掴めぬであろう。無理もない」

 シエラ王はそう言って頷いた。その顔に刻まれた皺が、さらに深くなったように見えた。

「これは余と、たった一人生き残った騎士しか知らぬことだ。ラクレウスの家族も知らぬ」

 王は、そう前置きした。

「ラクレウスは、敗れておらぬ」

「は?」

 ユリウスは思わず声を上げた。

「ラクレウス殿が、敗れておらぬと」

「うむ」

 王は頷く。

「シエラ第一の騎士ラクレウスは、魔王“北風”を討ち果たしたのだ」

 その言葉に、ユリウスはリランと顔を見合わせた。

「それでは」

 一体なぜ、我々は呼ばれたのか。そう尋ねようとして、ユリウスはもう一つの恐ろしい可能性に思い当たった。

「まさか」

「そのまさかよ」

 王は苦しそうに答えた。

「ラクレウスは魔王を討った。だが、その勇敢さゆえに、瘴気に呑まれ、魔人に堕ちたのだ」

「そのようなこと、あり得ませぬ」

 それが無礼と知りつつ、ユリウスは王の言葉を否定しようとした。だが、王の表情は変わらなかった。

「聞け、誇り高きナーセリの騎士よ。今、このシエラを覆わんとしている瘴気の源にいるのは」

 王は苦しそうに、だがはっきりと告げた。

「魔騎士ラクレウスだ」




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