第41話 シエラにて

 国境の検問所で、ユリウスとリランが身分を明かし、シエラ王からの要請を受けて入国する旨を告げると、兵士は丁寧に感謝の言葉を口にしたが、その顔にちらりと複雑そうな表情を覗かせた。

「連中、嬉しそうじゃなかったな」

 検問所を後にして、でこぼこの坂道を馬で下っていく途中、目敏いリランがそうぼやいた。

「こっちは、貴様らの王に請われてやって来たんだというのに」

「そう言うな、リラン」

 ユリウスは答える。

「私にも、彼らの気持ちは分かる」

「ほう」

 リランは目を剥いた。

「お聞かせ願おうか。どう分かるのだ」

「男ならば、自分の国の危機は自分たちの手で救いたいと願うものであろう」

 ユリウスは答えた。

「よしんば、己にその力がなくとも、その願いは自分と同じ国の男に託すのが自然であろう。だが、国一番の男は敗れ、危機の解決を隣国の男に託すことになってしまった」

 そう言って、まるで自分が恥辱を受けたかのように目を伏せる。

「さぞかし無念であろう」

「よくそこまで気が回るものよ」

 リランは鼻を鳴らした。

「俺には分からぬ。自ら戦わぬ男の気持ちなど、斟酌に値するとも思わぬ」

「リラン」

 ユリウスは首を振る。

「皆が皆、貴公のように強いわけではないのだ」

「俺が強いだと」

 リランは自嘲気味に笑い、馬上から唾を吐いた。

「俺が本当に強い男ならば、“詩人”が現れた時すぐに王城に馳せ参じていたわ」

 そう言うと、リランは隻眼を空に向ける。

「踏ん切りがつかなかったのだ。アーガやラザやテンバーが死んでしまうまでな。仲間の死にようやく背中を押された。こんな男が強いというのか、ユリウス」

 リランは空を見上げたまま、唸るように低い声で呟いた。

「俺は弱い男だ」

「だが、貴公は間に合ってくれた。私の家の門を叩いてくれた」

 ユリウスは穏やかな声で言った。

「そうして今、この異国で私の隣に並んでいる。弱い男にできることではない」

 リランは、はっ、と声を上げて笑った。

「ナーセリ第一の騎士殿にそう言っていただくのは光栄だがな。評価は魔王と戦うまでは保留しておいた方が良いぞ。尻尾を巻いて逃げるかもしれんからな」

 だがユリウスは、その言葉を言下に否定する。

「心配はしておらぬ。貴公が私の知る騎士リランであれば、万に一つもそのようなことはあり得ぬゆえ」

「人をその気にさせるのがうまい」

 リランはそう言うと、笑みを含んだ眼差しをユリウスに向けた。

「だが、ユリウス。貴公、いつからあんなに筆まめになったのだ。夜ごと夜ごと、熱心に書き綴っているあれは、出発前に約束した妹御への手紙か」

「妹とは、魔王を倒したら手紙を書くと約束した」

 ユリウスはそう言って微笑む。

「約束は守るが、ルイサへの手紙を書くのは、今ではない」

「ではあれは」

「出せる当てはないのだ」

 ユリウスは言った。

「こちらの郵便の方式がよく分からぬゆえ。だが、今の私の気持ちをどうしてもきちんと書き残しておきたかった。それをお伝えしたい相手がいるのだ」

「ああ」

 リランは苦笑する。

「妹は妹でも、ラクレウスの妹の方か」

「うむ」

 ユリウスは頷いた。

「カタリーナ殿だ」

「気を落としているであろうな」

 乱暴な物言いをするが、心根の優しいリランは、低い声で言った。

「自慢の兄が亡くなったのだ」

「カタリーナ殿とて、騎士の妹。いざというときの覚悟はあったであろうが」

「それは甘えだ、ユリウス」

 リランはユリウスの言葉を一蹴した。

「家族とて覚悟ができていることゆえそこまで悲しむことはなかろう、などと言うのは我ら死に急ぐ者の、都合のいい甘えよ。口でいかに覚悟はできているなどと言ったところで、本当の意味で肉親の死を受け入れる覚悟のできている者などいるわけがない」

「そうか」

 リランの言葉に、ユリウスはルイサの涙を思い出し、それからカタリーナの顔をもう一度思い出した。

「そうだな」

 ユリウスは認めた。

「リラン。貴公の言う通りだ」

「だから我らは死なぬのだ」

 リランはそう言って笑った。

「何と戦おうが、元気に生きて帰るのだ。貴公が教えてくれたことではないか」

「うむ」

 ユリウスは、愛馬の手綱を持つ手に力を込め、頷いた。

「元気に生きて帰ろう」



「シエラの夏は、短いな」

 シエラに入って数日、王都に間もなく到着という頃、小さな雑木林を抜けたところで不意にリランが言った。

「もう秋の風が吹いておるわ」

「そうだな」

 ユリウスは頷く。

 さっきまでは気付かなかったが、こうして林を抜けると分かる。ひやりとした冷たい風が吹いていた。

 ユリウスの髪が風に揺れる。

 ナーセリを出る頃には、ちょうど夏の盛りになろうとしていた。

 だが、シエラではもう夏は終わりかけていた。

「寒くなるまでには、ナーセリに戻ろう」

 リランが言った。

 寒くなるまで。

 ユリウスはふと、カタリーナの体調を心配した。心労に、この冷気までが祟って、身体を壊さねば良いのだが。

 ナーセリはシエラよりも温暖で、カタリーナにも過ごしやすいはずだが、当分は彼女をナーセリに迎え入れることはできないであろう、とユリウスは思った。

 兄を亡くしたばかりのカタリーナを、すぐに呼び寄せることなどできるわけがない。

 結婚は、少なくとも来春以降のことになりそうだ。

 その時には、ナーセリで武術大会も開かれる。今はもういないラクレウスとの再戦を約束した、武術大会が。

 ラクレウスだけではない。先年の大会でともに腕を競った多くの騎士が、もうこの世にいない。

 魔王を始めとする魔人たちと戦い、命を落としたからだ。


 厳しい時代を生きている。

 人の命とは儚いものだ。


 愛馬の進むに任せながらそんなことを考えていたユリウスの耳に、訝し気なリランの声が聞こえた。

「なんだ、あんなところに誰か立っておるぞ」

「なに」

 ユリウスは顔を上げた。リランは道のずいぶん先を顎でしゃくってみせた。

「ほら、あそこだ。あれは貴族の女だな、侍女を連れている」

 リランは言った。

「きれいな女だぞ。む、こちらを見ておらぬか。おい、あれはまさか」

 そうリランが言いかけた時にはもう、ユリウスは馬を走らせていた。

 一瞬、少年のように胸がときめいた。だがすぐにそれは、締め付けられるような切なさに変わった。

 一体どのような気持ちで、ここに立っていたのか。どのような気持ちで、私を待っていたのか。

「カタリーナ殿!」

 ユリウスは叫んだ。

「ユリウスさま!」

 カタリーナが駆け寄ってくるのを見て、ユリウスは自分も馬を飛び降りた。

 まるで水の中を漕ぐかのように、もどかしい気持ちで走り寄る。

「よくぞ、よくぞご無事で」

 そう言いながら飛び込んできたカタリーナの華奢な身体を、ユリウスはしっかりと抱きとめた。

「会いたかった」

 知らず、ユリウスの本心がこぼれ出た。

「カタリーナ殿。貴女に会いたかった」

「わたくしもです」

 ユリウスの腕の中で、カタリーナの肩が震えた。




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