第38話 言葉

 六人の騎士はそれぞれの剣を手に、魔王を取り囲むように素早く散開した。

 魔王の背後を若手の三人が、正面をベテランの三人が。

 真正面、最も危険な位置を受け持つのは、ユリウスの役目だ。

「テンバー、ゴーシュ、ロイド」

 ユリウスの右隣、一行のリーダーであるアーガが魔王を見据えながら鋭い声を発した。

「ぬかるなよ」

「おう」

 テンバーが吼えるように呼応した。

 光にようやく目が慣れたユリウスは改めて魔王“詩人”を見た。

 薄い布切れを身にまとってはいるが、半裸に近い。

 やせ細った、けれど染み一つない作り物めいた身体が、太陽の下で白く輝いていた。

 対するユリウスたち六人の騎士は、煤煙のような瘴気の中をずっと歩んできたために、誰も彼もが薄汚れ、本来は光に反射して輝くはずの鎧もくすんでいた。

 皆、久々の日光に眩しそうに、目を細めている。

 この男の言う通り、確かにこれではどちらが魔なのか分からぬ。

 ユリウスは頭の片隅でそんなことを思いながら、アーガの号令を待つ。

 だが、騎士たちの持つ剣だけは、まるでそれが誇りの象徴でもあるかのごとく太陽の光に反射して煌めいていた。

 魔王がふと空を見上げた。

 無防備ともいえるその動作を、歴戦のアーガが見逃すはずもなかった。

「今だ!」

 その声と同時。

 雄叫びを上げながら、六人の騎士があらゆる方向から魔王に殺到した。

 だが魔王は慌てなかった。

「麗しき光の輪、天より」

 ぼそりと魔王が口にした。

 次の瞬間、空から魔王を包むように光が降り注ぐ。

 ただの光ではない。それは、身を切り裂くようなすさまじい殺傷力を秘めた光だった。

 魔王を討たんと突進していた騎士たちはひとたまりもなかった。

 全身をズタズタに切り裂かれて、ロイドとゴーシュが倒れる。

 危険を感じてとっさにぎりぎりで身を退いた残りの四人も、それぞれに手傷を負った。

 だが魔王は畳みかけるように次の言葉を口にした。

「逞しき岩のかいな、地より」

 歌を口ずさむように魔王が言うと、地面から巨大な岩がせり上がった。

 それをまともに受けたラザが嫌な音とともに弾き飛ばされ、地面に叩きつけられる。

 ユリウスたち、残る三人の騎士はとっさに魔王から距離を取った。

「天から言葉が降ってくるんだ」

 騎士たちを追うでもなく、魔王はそう言うとまっすぐに空を指差した。

「僕はそれを口にするだけ。あなたたちには聞こえないんだろ? この言葉が」

 魔王はユリウスたち三人に微笑みかける。

「天が守るのは、僕さ。あなたたちは、愛されていない」

 戯れ言に反応してやる義理はなかった。

 言葉もなくユリウスが踏み込んだ。

 低い体勢から身体ごと叩きつけるような、必殺の斬撃。

「わが身、空にして虚ろ」

 魔王はそう口にした。かわす素振りすらなく、ユリウスの剣をその身に受ける。

 屈強な魔人でも一撃で屠るであろうユリウスの斬撃は、魔王が実体のない幻ででもあるかのように空を切った。

 その時にはすでにアーガが踏み込んでいた。

 水も漏らさぬ連携攻撃。それは決して訓練して身に付けた動きではない。だが、熟練の騎士同士、お互いの呼吸を完璧に読んでいた。

 目にも止まらない斬撃が、魔王を捉えた。

 だが、浅い。

 青い血が舞う。

「良き剣」

 魔王は笑う。

「矢にて応えよ」

 その声とともにいずこからか飛来した光の矢を、アーガを庇うようにしてユリウスが剣で叩き落とした。

 今だ。

 ユリウスの磨き抜かれた勘がそう告げていた。それと呼応するようにテンバーが突っ込んできた。

 遅い。

 ユリウスは歯を食いしばる。

 やはりテンバーはまだ若かった。熟練の二人ほどに呼吸を読み合えていなかった。

 それは瞬き程のわずかな遅れ。だが、魔王と戦う騎士にとっては致命的な遅れだった。

 もう魔王は態勢を整えていた。

かしずけ、刃」

 テンバーの剣は届かなかった。

 魔王の言葉とともに湧き起こった無数の刃が、逆にテンバーを切り裂いた。

 声もなくテンバーが倒れるその横から、ユリウスは魔王に体当たりでもするかのごとく踏み込んだ。

 斬る。

 ただ、その一念。

 雷速の一刀を、魔王に浴びせる。

 ずっと棒立ちだった魔王が、その瞬間初めて後ろに飛んだ。

 何の手応えもなく、ユリウスの剣が空を切る。そこにアーガが切り込んだが、それよりも早く魔王が言葉を発した。

「留まるは闇、喰らいつきて」

 アーガを不定形な闇が襲う。それと同時にその骨を噛み砕く音が響いた。

「ぐううっ」

 闇に骨身を砕かれて、それでもなおアーガは踏み込もうとしたが、魔王はふわりと身を退き、距離を取った。

 闇が消えると、たまらずアーガが倒れ伏した。

「さあ」

 胸に一筋、アーガに斬られた傷から微かに血を滲ませながら、魔王はユリウスに微笑んだ。

「後はあなた一人だ」

「言葉か」

 ユリウスは言った。

「汝の言葉が、力を呼び起こしているのか」

「そうだよ」

 魔王は頷く。

「僕は天からの言葉に従うだけさ。あなたたちは、その言葉通りに傷つき、倒れる」

「そうか」

 ユリウスは静かに息を吐いた。

 最初の光の一撃で、ユリウスも傷ついていた。だが、深手でははない。身体はまだ動く。

「くだらぬ」

 ユリウスは言った。

「え?」

 魔王が片眉を上げる。

「なんだって?」

「くだらぬ、と言ったのだ」

 ユリウスはそう答えて、薄く笑った。

「言葉とは、人を傷つけるために吐くものではない。言葉とは」

 ユリウスの耳に、可憐な声が蘇る。


 幸せです。ユリウスさま。


「人に己の気持ちを伝えるため。分かり合うため。大事なものを共有するためにこそ使うものだ」

 ユリウスは剣先を真っ直ぐに魔王に突き付けた。

「魔王“詩人”よ。汝の言葉などでは、騎士は倒せぬ」

「倒せぬとか負けられぬとか」

 魔王は薄笑いで応じた。

「現に、倒れているし負けているじゃないか。虚しい言葉はあなたたちの方だ」

 そう言って、両腕を広げる。

「あなたたち六人がかりで、僕に付けられたのはこのたった一筋の傷だけだ」

「言葉で騎士は倒せぬ」

 ユリウスはもう一度言った。

「そう言ったはずだ」

 その瞬間、五人の騎士が立ち上がった。

 アーガ、ラザ、テンバー、ロイド、ゴーシュ。

 血を滴らせながら、魔王を取り囲むように。

 全ての騎士が剣を構える。

「え」

 魔王がわずかに狼狽した。

 その時には、ユリウスは地面を蹴っていた。

 仲間のうち幾人かはすでに致命傷を受けている。それでも、彼らは立った。

 剣を構えた。

 それはなぜだ。


 騎士だからだ。


「魔王、好きな者の命を絶つがいい」

 猛然と魔王に突進しながら、ユリウスは叫んだ。

「残りの騎士が汝を討つ」

「あなたに決まってるだろ」

 魔王はすでに冷静さを取り戻していた。

「ほかはみんな、死にぞこないじゃないか」

 魔王がユリウスを指差す。

 そのとき、魔王の背後から剣が閃いた。

 テンバーだった。

 けれどあれほど生気に溢れていた騎士の剣にもすでに力はなかった。魔王の肩に食い込んだところで、虚しく剣は止まる。

「うるさいな」

 魔王が苛立った表情でテンバーを払いのけたときには、ユリウスはもうその目の前にいた。

「光り、貫く槍を」

 魔王が叫ぶ。


 ユリウスさま。どうか。


 ユリウスは身をよじった。閃光がユリウスをかすめ、鎧の胸当てがまるで紙きれのように弾け飛んだ。胸に鋭い痛みが走る。

 だが、それだけだった。魔王の言葉は騎士を遮ることはできなかった。

 肩口から、斜めに。

 ユリウスの全霊を込めた剣が、魔王の身体を切り裂いた。

「言葉が」

 魔王は呻いた。

「聞こえないじゃないか、こんなことをしたら」

「傷つけるための言葉になど、耳を傾ける必要はない」

 ユリウスはもう一度剣を振り上げた。

「同じじゃないか」

 魔王は嗤った。

「あなただって、剣で僕らを傷つける」

 その首が、横から斬り飛ばされた。

 アーガの一刀だった。

 すでに左腕の半ばまで失ったアーガは、ユリウスを見て凄絶な笑顔を浮かべた。

「よくぞ、ユリウス」

「アーガ、貴公」

 ユリウスは剣を落とし、崩れ落ちるアーガを両腕で支えた。

 その頭上で、黒い瘴気が晴れ始めていた。





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