第37話 手がかり

 トリーシャは、さほど大きな街ではない。

 どこの田舎の街ともさして変わらぬ人々の営みがそこにもあったはずだった。

 だが、今、無人となったトリーシャは瘴気の闇に閉ざされている。

 この闇を晴らすには、瘴気の源を断つしかない。

 さもなくば、闇はやがてこの国全土を覆うであろう。

 ナーセリ王が選んだ、源を断つための六本の剣が今、暗闇の中をゆっくりと進んでいた。


 視界を遮るこの闇の中から、不意に魔王が姿を現すやもしれぬ。

 六人の騎士は互いを庇い合うように方陣を組み、松明の火で周囲を照らしながら人気のない道を歩いた。

 ところどころに、逃げ遅れて瘴気に巻かれた住民の遺骸が転がっていた。騎士たちはそれを見付けるたびに丹念に検めた。

 遺骸に何か、魔王の能力の手掛かりになるものがあるかもしれぬ。

 その可能性を考えての行為だったが、腐敗した遺骸から得られるものは何もなかった。

「瘴気の最も濃いほうを目指す」

 最年長のアーガはそう言った。

「この瘴気の中心に、魔王はいるのだから」

「正しい提案だ」

 ユリウスは頷く。

「だが、この濃さの中でなお瘴気が濃い方を探せるというのであればの話だ」

 瘴気の闇は、すでに今までユリウスたちが経験したことのない濃さまで高まっている。その中でさらに瘴気の濃い方を目指すというのは、闇夜にさらに暗い場所を求めるかのような難事だった。

「分かるのか、アーガ」

「正直なところ、はっきりとは分からん」

 アーガは率直に認めた。

「だが、騎士の勘のようなものは働く。こっちの方がより瘴気が濃そうだ、と」

 そう言うとアーガは隣に並んだユリウスを見た。

「貴公の意見を聞こう、ユリウス」

「確かに闇雲に進むくらいであれば、騎士としての勘に従うほうがはるかにましであろう」

 ユリウスは答える。

「だがまずは、魔王を最初に目撃したという場所に行ってみてはどうだ」

「ルギウスの死んだ場所か」

 ラザが低い声で、魔王と戦って死んだ同僚の騎士の名を口にした。

「そうだな。そこにまだ魔王もいるかもしれんぞ」

「ルギウスの死から、何日経ったと思っている」

 アーガは首を振った。

「その場に魔王が留まり続けている可能性など、無きに等しい」

「だが何か手がかりが残っているかもしれぬ」

 ユリウスは言った。

「ルギウスは、そこで魔王と戦ったのだ。だから、そこには魔王の能力の痕跡が」

「おう」

 ラザが頷く。

「そうだ。ルギウスの遺骸を検めれば、必ず何かが分かるはずだ」

 仲間の遺骸を検め、魔王の力の痕跡を探す。

 その死を悼むよりも前に、自分たちの勝利の手がかりとする。

 許せ、ルギウス。

 ユリウスは思った。

 だが、貴公が生きていれば、そしてこの場にいれば、きっと同じことをしたであろう。

 貴公と同じ立場になったとしても、恨む者はいない。

 我らは皆、その覚悟を持って生きている。

「ああ、そうか。ルギウスか」

 やはりアーガもそう言って、厳しい顔で頷いた。

「そうだな。ルギウスなら、必ずや我らに手がかりを残してくれているだろう」


 暗闇の中、一行は土地勘のない街を地図を頼りに歩いた。

「……あれか」

 街の中心部を抜け、郊外に入った頃、先頭のアーガが松明を掲げた。

 炎に照らされて、闇の向こうに何の変哲もない石が浮かび上がる。

「あれが、魔王の座っていた石ですか」

 テンバーが目を細める。

「では、この辺りにルギウス殿が」

「うむ」

 六人の騎士はそれぞれが松明を掲げ、周囲を照らした。

 じきに、彼らの探すものは見付かった。

「ルギウスの剣が折れている」

 見覚えのある剣を拾い上げ、ユリウスは言った。

「それも、何かに捩じ切られたような折れ方だ」

「ルギウスはここだ」

 アーガが低い声で言った。その周囲にはすでに五人の騎士が跪いていた。

「良く戦ったな、ルギウス」

 変わり果てた同僚に、ラザが穏やかに声をかけた。

「魔王と、たった一人で。貴公は勇敢であった」

 ユリウスも静かにその輪に加わる。ラザはルギウスの遺骸にそっと手を置いた。

「我らには貴公ほどの勇気はない。ゆえに、六人で来たぞ。必ず仇は取るからな」

 しばしの沈黙の後、テンバーがぽつりと言った。

「魔王の腕力は、すさまじいようですな」

「うむ」

 ユリウスは頷く。

 ルギウスの遺骸の損傷具合を見れば分かる。

 まるで猛獣にでも引き裂かれたような傷跡。

 魔王“詩人”は、かつての魔王“片目”もかくやと思わせるほどの剛力を持っているようであった。

「“詩人”のイメージとはかけ離れていますな」

 ゴーシュが言った。

「これではまるで“野獣”ではないですか。名を変えた方がいい」

「ここを見ろ」

 アーガが、ルギウスの傷口の一つを指差した。

 他の傷と違い、そこはまるで鋭利な刃物で切られたかのようであった。

「魔王も、剣か何かを?」

 ロイドが怪訝そうに言う。

「ですが、確か事前の情報では魔王は素手であったと」

「相手は魔人だ。身体の中に刃物の類を隠し持っているのかもしれぬ」

 アーガは答えた。

「魔王は、やはりその姿とはまるでそぐわぬ力を有しているということは分かった」

 そう言って、顔を上げて他の五人の騎士の顔を見る。

「見た目は、意味をなさぬ。それが分かっただけでも、ここに来たかいがあったというもの」

「うむ」

 ユリウスは頷いて立ち上がった。

「さあ、ルギウスを悼むのは魔王を倒して瘴気が晴れた後、太陽の光の下でだ」

「おう」

 テンバーが真っ先に呼応して立ち上がる。

 それに続いて他の騎士たちが立ち上がったときだった。

 不意に、天から光が差した。

 しばらくぶりに見るその眩さに、一行は思わず目を背けた。

「おや、光から目を背けるなんて」

 涼やかな、若い男の声がした。

 ユリウスは目を細めて、声の方向に必死に目を凝らした。

「剣を抜け」

 仲間に叫ぶ。

「こいつだ」

 その男が歩を進めるたび、瘴気は晴れ、空からは太陽の眩い光が降り注ぐ。

「まるであなたたちの方が悪者みたいじゃないか」

 男はそう言ってくすくすと笑った。

 何の異形もない、痩せた男だった。

 だが、その男が誰であるのか、騎士たちは瞬時に理解していた。

「魔王“詩人”よ」

 アーガが叫んだ。

「我らナーセリの騎士が、貴様を討ち果たしに来たぞ」

「知っているよ。やっと来てくれたんだね、待ちくたびれたよ」

 魔王は微笑んだ。

「あなたたちを殺せば、もうこの国に僕を殺せる人間はいないんでしょ?」

 その通りだ。

 ユリウスは剣を握る手に力を込めた。

 騎士はこの国の人間にとって、最後の希望だ。

 だから、逃げるわけにも敗れるわけにもいかぬのだ。

「その始末だけ付けてから動こうと思ってね」

「貴様に我らは殺せぬ」

 ユリウスは言った。

「我らには負けられぬ理由がある」

「へえ」

 魔王は目を見張る。だが、その口元の笑みは消えない。

「楽しみだな」

 魔王は言った。

「負けられない人が、負けるところ。見てみたいな」




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