第32話 誓い
領主の館に戻ったユリウスとカタリーナは、その日からもそれまでと変わらぬ風情で振る舞ったが、その実、二人ともそれぞれの手紙を書くことに大わらわとなった。
ユリウスは、国元の家族と王城の官吏に向けて、カタリーナとの結婚についての連絡を。
王にはさすがに直接謁見して報告し、裁可を仰ぐ必要があったが、その前に家族や官吏に手紙を書いて態勢を整えておかなければならなかった。
カタリーナも侍女のリチアに相談し、自身の実家にユリウスとの結婚についての手紙をしたためた。
文章の巧拙も、筆跡も筆圧もまるで違う二人だったが、手紙に込めた思いは共通していた。
どうか、私たち二人の結婚に理解を。
祈るような気持ちとともに、それぞれの手紙を送り出す。
そしてそれとはまるで関わりなく、ユリウス自身の身体は日々順調に回復し、じきに剣を力強く振れるまでになった。
ユリウスは、いよいよ自分が騎士としてナーセリに帰る時が来たことを悟った。
「明日、この街を発ちます」
ある日のこと。
庭での剣の素振りを終えたユリウスは、傍らでそれを見守っていたカタリーナに言った。
「剣の振りに、魔人を斬る力が戻りました」
そう言って、少し陰のある笑みを浮かべる。
「この街に留まる理由がなくなってしまいました」
「ええ」
驚く様子もなく、カタリーナは頷いた。
「分かっております。ユリウスさまの剣が風を切る音が、今日は一段と鋭かったですもの」
その顔に、隠しようのない寂しさと切なさが滲む。だがカタリーナは感傷に身を委ねはしなかった。
「ユリウスさまはナーセリの騎士でいらっしゃいますもの。そのお力を、多くの人が待ち望んでいるのでございましょう」
そう言って、カタリーナは気丈に微笑んだ。
「これだけの時間をユリウスさまと一緒に過ごすことができただけでも、わたくしは幸せでございました」
「長き別れにするつもりはありません」
ユリウスはカタリーナの細い両肩を優しく掴んだ。
「貴女を迎えに参ります。近いうちに、必ず」
「嬉しゅうございます」
カタリーナはユリウスを見上げた。
「お待ち申しております。けれどユリウスさま」
そう言って、ユリウスの手に自分の手を重ねる。
「わたくし、きっと寂しくて寂しくて、ユリウスさまのことばかり考えてしまうと思います。だから」
カタリーナは微笑んだ。
「また手紙を書きますわ」
手紙。
その言葉は、ユリウスの耳にも特別な感情を伴って響いた。
それはこれから離れる二人を繋ぐ、最も確かなものであるように思えた。
「ああ」
それで、ユリウスも笑顔で頷いた。
「そうであった。私も書こう。貴女に手紙を」
「はい」
カタリーナが頷く。その目には涙が滲む。
けれど、カタリーナは明るい笑顔を決して崩さなかった。
その表情を、ユリウスは美しいと思った。
初めてユリウスと出会ったときと変わらぬ美しさ。だが、今はその中にユリウスはさらにいくつもの、あの時は気付かなかった美しさを見付けることができた。
「今からもう楽しみでならぬ」
ユリウスは言った。
「貴女からいただく手紙を読むのが」
「わたくしも、ユリウスさまのお手紙が楽しみでございます」
カタリーナが頷いた拍子に、その目から涙がこぼれた。
二人はどちらからともなく身体を寄せ合い、そっと口づけをした。
翌日、長きにわたる逗留の感謝を領主に伝え、ユリウスはドルメラの館を辞した。
見送りに集った館の者たちは、皆ここでの療養生活の中でユリウスとはすっかり顔なじみになっていた。
「ユリウスさま、どうかお元気で」
「ご武運をお祈りしております」
門までの両脇にずらりと並んで立つ彼らから口々に贈られる別れの言葉に、ユリウスは笑顔で応え、時に握手を交わし、ゆっくりと門へと近付いていく。
門に最も近いところに、侍女のリチアを連れたカタリーナが待っていた。
「カタリーナ殿。いずれ、また」
「はい」
笑顔で頷くカタリーナの目はやはり潤んでいた。
「ユリウスさま、どうか道中お気を付けて」
「ええ」
ユリウスが頷くと、カタリーナはそっと彼に近付き、小さな声で囁く。
「最後に、どうか呼んでいただきたいのです」
カタリーナは、恥ずかしそうにユリウスを見上げた。
「カタリーナ、と」
ユリウスは驚いてカタリーナを見返したが、すぐに穏やかな笑顔を浮かべて彼女の肩に手を置いた。
「すぐに会える。待っていてくれ、カタリーナ」
「……はい」
頷いたカタリーナの目から、また一粒涙がこぼれる。
カタリーナから離れると、隣に控えていた侍女のリチアがユリウスを見上げる。
「カタリーナさまがナーセリへ行かれるのであれば、私も同道いたします。どうぞよろしくお願いいたします」
「そうか。そなたがいればカタリーナ殿も心強いであろう」
ユリウスは真剣な顔で頷いた。
「よろしく頼む」
忠実な侍女は黙って頭を下げる。
ユリウスは門の前までたどり着くと、そこでもう一度見送る人々を振り返った。
「まことに世話になり申した。騎士ユリウス、ここで受けた恩は決して忘れぬ」
ユリウスの言葉に、人々から歓声が上がる。
ユリウスは彼らに手を振って、門の外で待つ愛馬に跨った。
「では、これにて」
愛馬を進めようとして、ユリウスは彼方から猛然と駆けてくる一騎の騎馬に気付いた。
「む、あれは」
ユリウスはその馬上の意外な人物に目を見張った。
「ユリウス殿、まだ行かれるな」
大声でそう叫びながら、一直線に馬を馳せてくるのは、カタリーナの兄、シエラ第一の騎士ラクレウスであった。
「お兄様」
カタリーナが驚きの声を上げる。
「おう、よかった。ぎりぎりで間に合ったようだ」
ユリウスの馬の脇まで寄せたところで、ラクレウスは馬を止めた。
「ラクレウス殿」
ユリウスは、汗を拭って満面の笑みを浮かべたラクレウスに尋ねる。
「どうしてここに」
「当然ではないか」
ラクレウスが答える。
「命の恩人である貴公が帰国されるというのに、私が見送りに来ぬわけがなかろう」
「とはいえ、この街は王都からではあまりに遠い」
「騎士の友情に距離など関係あるまい」
ラクレウスは言った。
「現に我らはここにこうしているではないか」
その言葉に、ユリウスも思わず微笑む。
「確かに。貴公の言葉に異論はない」
「そうであろう」
二人は馬上で並び、笑い合った。
「気を付けて行かれよ」
屈強な騎士同士のしばしの会話の後、ラクレウスはそう言ってユリウスを見た。
「カタリーナのことを、どうかよろしく頼む」
「貴公とはその話を、きちんとした場でせねばならぬと思っていた」
ユリウスは表情を改める。
「このようなところではなく」
「いいではないか」
ラクレウスは快活に笑う。
「我らは騎士だ。騎士が語らうのに馬上よりもふさわしい場所があろうか」
まるでそれに同意するかのように、ラクレウスの愛馬がいなないた。
「確かにな」
ユリウスは頷く。
「ラクレウス殿。今日は貴公の言葉に唸らされてばかりだ」
「私はいずれ貴公の義兄となる身。多少は立派なことも言わねばなるまいて」
ラクレウスの言葉に、二人はまた顔を見合わせて笑う。
しばらく笑った後、ラクレウスは不意に真剣な顔をした。
「ユリウス殿。カタリーナは、貴公に出会うために生まれてきた女だ。どうか、その気持ちを裏切らんでやってくれ」
「誓おう」
ユリウスもまた、真剣な表情で答える。
「我が剣に。騎士ユリウスの誇りと名誉にかけて、カタリーナ殿を幸せにすることを」
「そうか。よし、これで安心した」
ラクレウスは破顔した。
「これでもう、いつ死んでも構わぬ」
「貴公にはまだ生きていてもらわねばならぬ」
ユリウスも微笑んで応える。
「先年の武術大会での借りを返しておらぬゆえ。次の大会で、決着を」
「おう。そうであった」
ラクレウスはユリウスに太い腕を差し出した。
「ユリウス殿。次にまみえるときは武術大会の決勝、両王の御前で」
「うむ。必ずや」
二人の騎士は、馬上でしっかりと手を握り合った。
こうして、ユリウスはカタリーナたちと別れ、ナーセリへと帰国の途に就いたのであった。
ちょうどその頃、ナーセリとシエラ両国で不穏な噂が囁かれ始めていた。
すなわち。
ついに、魔王と呼ばれる魔人が現れたのではないか、と。
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