第29話 広場

 住民たちの姿が戻り、すっかり活気を取り戻したドルメラの街。

 その中心街へと続く道を、長身の騎士と華奢な令嬢が並んでゆっくりと歩く。

 通りがかった人は道を開け、居合わせた人々は仕事の手を止め、その二人を見送った。貴族におもねったからではない。その美しさに彼らも打たれたのだ。

 二人の姿はまるで、一幅の絵画のようであった。

「こんなに長い距離を歩くのは、久しぶりのことではございませぬか」

 そう言ってカタリーナが気遣わし気にユリウスを見上げる。

「お体の具合はいかがですか、ユリウスさま」

「やはり騎士は身体を動かしながら傷を癒すもの」

 ユリウスは答える。

「太陽の下でこうして動いていた方が、己の身体と会話できますな」

「それはよろしゅうございました」

 カタリーナは安心したように微笑む。

「でも、もし具合が悪くおなりになったらすぐに教えてくださいませ」

 二人は領主の館から丘を下りて、街の中心部に向かってゆっくりと歩いていた。

 二人の後ろからは、主人だけを街へ行かせるわけにはいかぬと、カタリーナの忠実な侍女がそっと付き従っている。

「どこまで行くおつもりですか」

 カタリーナが尋ねる。

「この先は確か街の広場だったと記憶しておりますが」

「ええ。その広場を越えた先に、小さな滝があるのだそうです」

 ユリウスは答えながらゆっくりと歩を進める。

「館を守っていた兵士たちの一人が教えてくれました。小さいがとても美しい滝だそうです。魔人との戦いが終わったら是非見ていってほしい、と」

「その滝を見に」

「はい」

「それではその兵士に今日の案内を頼めばよかったですわね」

 カタリーナは残念そうに言った。

「名前を教えていただければ、手配できたかもしれません」

「いえ、それはできません」

 ユリウスは首を振る。

「その兵士はもういないのです」

「え?」

 カタリーナが目を見張る。

 最後まで街に残った勇敢な兵士たちの一人だった彼は、魔人たちとの戦いにおいて、地中から現れた“亀”の爪に切り裂かれて命を落としていた。

 それを聞くとカタリーナは、まあ、と言ったきり、言葉を失った。

「私は、彼との約束を守らねばなりません」

 ユリウスは言った。

「だからこの街を去る前に、滝を見に行きたかったのです」

「それは、騎士としてでございますか」

 カタリーナは、穏やかに前方を見つめるユリウスの横顔を見上げた。

「ユリウスさまは騎士として、その兵士との約束をお守りになるのですか」

「命を懸けた者同士の約束として、です」

 ユリウスは言った。

「騎士であれ、兵士であれ、持つ命は一つ。そこに違いはありません。あの兵士はそれをこの街を守ることに捧げた。その意味で、私も彼も立場に違いはないのです」

 二人の前方に、人々で賑わう広場が見えてきた。今日は市場が立つ日だった。

「もしも私が死ぬ前に誰かと約束をかわして、それをその相手が果たしてくれたならば、きっと私は嬉しいだろうと思ったのです。だから私が彼との約束を果たせば、彼もきっと喜んでくれるでしょう」

 それから、真剣な顔で頷くカタリーナを見て微笑む。

「彼は、とてもきれいな滝だと言っていました。小さいが、美しいと。それを聞いたときに私は、貴女と見たいと思ったのです」

「わたくしと」

「ええ。その時はただそう思っただけでしたが、今こうして貴女と歩いている。望みが叶ってよかった」

 静かに頷くユリウスと頬を染めるカタリーナが並んで広場に足を踏み入れると、騎士と令嬢という珍しい二人に、市場の人々は一斉に振り返った。

 仲睦まじく歩を進める二人に最初は誰も声を掛けなかったが、しばらく歩いたところに立っていた威勢のいい果物売りが、ついに思い切ったようにユリウスに声をかけた。

「ナーセリの騎士様、シエラの果物はどれもうまいですぜ、ぜひ手に取って見ていってくださいまし」

 他国の騎士にかける言葉としてはあまりに馴れ馴れしく無礼であった。聞いていた人々は、騎士が怒りだすのではと思った。

 一瞬、広場にぴりっとした空気が漂う。

「そうか」

 だが長身のナーセリの騎士は、穏やかな笑顔を浮かべて果物売りを見た。

「まずは滝を見てからだ。そなたの自慢の果物は帰りに見させてもらおうか」

「へ、へい」

 果物売りは揉み手をして頷く。

 ユリウスのその態度を見て安心したのか、他の店からも次々に声がかかった。

「うちも。騎士様、うちも見ていってくだせえ」

「いや、うちのほうが先です。どうぞ、騎士様」

「騎士様はこの街の恩人だ、こっちはお代は要らねえ。どうか見ていってくれ」

「おい、てめえら」

 最初にユリウスに声をかけた果物売りが唾を飛ばして叫んだ。

「騎士様に最初に声をかけたのは俺だぞ。お前らは引っ込んでろ」

「けんかはせぬ方がいい」

 ユリウスは静かにそれを制した。

「約束は守る。帰りに必ず寄る。安心せよ」

 果物売りはきょとんとした顔でユリウスの顔を見た後で、へへ、と照れ笑いを浮かべた。

「約束は守るだなんて、そんなことを騎士様に言っていただけるたあ……もうなんてお答えすりゃいいのか分からねえ」

 いくつもの声を背に賑やかな広場を抜けると、ユリウスの隣で緊張したように息をひそめていたカタリーナがほっと息をついた。

「ユリウスさまは、本当に約束を大事になさる方なのですね」

 カタリーナは言った。

「わたくしもよく存じておりますが、今日またそれを実感いたしました。ユリウスさまにとっては、兵士との約束も、今の果物売りとの約束も同じ約束なのですね」

「魔人を倒して民の命を守ること、それ自体が国民との約束のようなものですからな」

 ユリウスは答える。

「約束を守らぬ騎士は、魔人との戦いで民を守ることもできぬでしょう」

 そう言ってから、ユリウスはカタリーナを見た。

「だがカタリーナ殿。貴女との約束は別だ」

「え?」

「貴女との約束は、どう守ればよいのか私には分からなかった。あの夜の続きを話すという約束を果たしたかったが、その方法が」

「約束を破ったのはわたくしです」

 カタリーナは恥じたように顔を伏せた。

「見送りに行きますなどと申し上げましたのに、寝込んでしまい」

「だが貴女は、手紙という素晴らしい手段を私に示してくれた」

 ユリウスは言った。

「そのおかげで私たちの関係は途切れず、こうして貴女とまた出会うことができた」

「そう言っていただけると」

 カタリーナは頬を染めてユリウスを見上げた。

「あの日振り絞った勇気も、無駄ではなかったのだと本当に思えます」

「勇気とは、振り絞ることそれ自体に価値があるもの」

 ユリウスは微笑む。

「貴女の勇気は、私にとっても無二の価値を持つものをもたらしてくださった」

 二人の耳に、滝の水音が微かに聞こえてきた。




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