第28話 語らい
だが、待ちに待ったユリウスとカタリーナの語り合いは、始まる前に終わってしまった。
館の侍女がユリウスの食事を持って現れたからだ。
それでもユリウスはカタリーナと話すことを望んだが、カタリーナの方が遠慮した。
十日以上も眠っていて、起きてすぐにこうして元気に喋っていること自体がそもそも異常なのだ。
騎士として鍛えぬかれた心と身体があってのことだったが、とはいえ、深手を負い衰弱していることは紛れもない事実だ。栄養を補給することは何よりも優先すべき事項だった。
養生を怠って魔人と戦うことが叶わなくなれば、それは騎士の助けを待つ多くの民の期待を裏切ることになる。
さすがにユリウスにも、ここでわがままを言って侍女を困らせるわけにはいかぬ、とそう判断する程度の分別はあった。
「それではカタリーナ殿、また後で」
名残惜しさを隠しもせずにユリウスがそう言うと、カタリーナは頬を染めて頷いた。
だが食事を終えた頃には今度は領主が顔を見せ、カタリーナと語らうどころではなくなってしまった。
それでもその日から、カタリーナにとっては夢にまで見たであろう新たな日々が始まった。ユリウスの世話をかいがいしく焼き、ベッドから動けない彼の話し相手を務める日々が。
手紙のやり取りを重ねながらも会うことのできなかったこの一年近い時間を埋め合わせるように、二人はお互いのことを話した。
自分たちについての話が一段落付くと、今度は目に入るもののことを何でも話した。
カタリーナのことをもっと知りたいと望んでいたユリウスだったが、カタリーナとであれば他愛もない会話をしているだけでも楽しいのだと気付くまで、そう時間はかからなかった。
そしてそれはカタリーナの方でも同じことのようであった。
「わたくしはあまり話すのが得意ではないものですから、人とお話しするときはいつも会話が途切れてしまわないように話題を探してしまうのです」
カタリーナは言った。
「けれど、ユリウスさまとお話しするときは、そうやって話題を探す必要がないのです。あれも聞いていただきたい、これも聞いていただきたい、と勝手に頭の中に話したいことが湧いてくるのでございます」
「それは私も同じだ」
ユリウスは頷く。
「貴女とであれば、いつも変わらぬこの窓からの景色の話をしているだけで、一日が終わってしまいそうな気がする」
「ああ、わたくしもです」
カタリーナは頷く。
「ユリウスさまのお話ならば、全て聞きたい。何でも聞いていたいのです」
やがて、傷の癒えたユリウスは、ベッドを下りて館の庭を散策するようになった。その傍らにはいつでもカタリーナの姿があった。
春を迎えたドルメラには色とりどりの花が咲き誇っていた。
「コガネノヅメ」
ある日のこと、花の一つの名をユリウスが何気なく口にすると、カタリーナが目を丸くした。
「コガネノヅメはナーセリでも咲いておりますか」
「ええ」
ユリウスは小さな黄色い花を指で揺らして、微笑む。
「咲いております。王都の南の草原などには、そこかしこに群生が見られますよ。春にはまるで黄金色のじゅうたんを敷き詰めたように」
「まあ」
カタリーナはうっとりと目を細める。
「きっと、さぞかし美しいのでございましょうね」
「ええ。私にはあまりそういうものを美しいと感じる感性はないのですが、妹のルイサなどはわざわざ足繫く見に行くほどです」
「また出ましたね、ルイサ様のお名前が」
カタリーナが嬉しそうに指摘すると、ユリウスは困った顔で咳払いする。
「花は妹の専門なのです」
ユリウスは言った。
「我が家の庭の花は全て、妹が丹精込めて育てたものです。人からも、美しい、とよく誉めていただけます。ああ、そんな話はもう何度もしましたな」
「いつか、わたくしも見てみたいものです」
そう言って、カタリーナは吐息を漏らす。
「ルイサ様とは一度もお会いしたことがないのに、ユリウスさまのお話を聞いているだけで、何だか古くからのお友達のような気さえいたします」
「私が何度も同じ話をするせいですな」
ユリウスは苦笑した。
「ルイサは私に似て勇ましい女ですが、きっとカタリーナ殿とは気が合うと思います」
「ええ。本当に、いつかお会いしてみたい」
カタリーナはユリウスを見上げて微笑む。
「わたくしの将来の目標が、また増えてしまいました」
「会えますとも。必ずや」
ユリウスはその言葉に力を込めた。
「私もカタリーナ殿の弟君にお会いしたいですしな」
「エアルフのことでございますね」
カタリーナは頷く。
ラクレウスとカタリーナの兄妹には下にもう一人、年の離れたエアルフという名の弟がいた。
「ええ、ぜひともユリウスさまにお会いしていただきたい。でも、お覚悟なされませ」
カタリーナは口元にいたずらっぽい笑みを浮かべてユリウスを見上げる。
「エアルフは兄のことを誰よりも尊敬しております。その兄を武術大会で破ったユリウスさまは弟にとっては天敵に等しい存在に見えるかもしれませぬゆえ」
「いきなり斬りかかられぬよう、そこはカタリーナ殿から言い含めておいてくだされ」
ユリウスが笑いながら言うと、カタリーナは笑顔で首を振る。
「エアルフがもしそんなことをしたら、わたくしが許しません」
二人はもうそんな風に自然に冗談をかわすことができるようになっていた。
そしてそれがユリウスには心地よかった。
「このまま」
不意にカタリーナが言った。
「このままお怪我が治らなければ良いのに。そうすれば、ユリウスさまとずっとこうしていられるのに」
そう言った後で、ユリウスを見上げて微笑む。
「などと言ってはいけませんね。ナーセリの皆さまに叱られてしまいます」
冗談めかしてはいたが、ユリウスには寂しそうな笑顔に見えた。
そして、実は同じことをユリウスも思っていた。
日に日に、自分の力が戻ってきているのを感じている。
まだ剣を振るところまでは回復していないが、自分の身体のことは騎士であるユリウスにはよく分かっている。遠からず、剣を振れる日は来るだろう。
そして、そうなればユリウスにはもうこの街に留まる理由はないのだった。
現に、ユリウスとともに来たロイドたちナーセリの二人の騎士はすでに帰国していたし、ラクレウスも、妹のことを重々頼む、と意味深な言葉を残して王都に帰還していた。
ドルメラの領主は、街を救ってくれた騎士に対して、いつまででも逗留してもらって構わない、と言ってくれてはいたが、まさか傷が癒えた後まで居座り続けるわけにもいくまい。
二人の別れの時が、少しずつ近付いていた。
「だいぶ傷も癒えてまいりました」
ユリウスは穏やかに言った。
「ええ」
カタリーナは頷く。
「ユリウスさまのお顔の色が良くなってきていらっしゃるのが、わたくしにも分かります」
「カタリーナ殿のおかげです」
「そんな」
カタリーナは恥ずかしそうに首を振る。
「わたくしは、何も」
「ここのところ、いつも庭を散策しておりましたが」
ユリウスは言った。
「明日は、二人で街に出てみませぬか」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます