第27話 涙

 ユリウスは、己の目の前で涙ぐむ女性を改めて見た。

 美しい。

 そう思った。

 私は、このように美しい女性と手紙のやり取りをしていたのであったか。

 このような美しい女性から、あんなにも温かい手紙をもらっていたのか。

「カタリーナ殿」

 ユリウスは言った。

「どうか、そのようなことは気に病まないでいただきたい」

「……はい」

 カタリーナは恥ずかしそうにうつむく。

「ユリウスさまが無事に目を覚まされて、本当に嬉しかったのです。それですのに、申し訳ありません。つい、感情的に」

「私の方こそ」

 ユリウスは微笑む。

「せっかく貴女が来てくださったというのに、長いこと眠り呆けてしまったばかりか、おかしな時に目を覚ましてしまった」

「まあ」

 その口ぶりにカタリーナもつられて微笑んだ。

「そんな。ユリウスさまは」

「目を覚ました、ということは騎士にとってはまだ戦う機会を与えられた、ということです」

 穏やかな口調で、ユリウスは言った。

「手強い魔人と戦って深く傷つけば、もう二度と目を覚ませぬときもある。瘴気に侵されてしまえば、目を覚ましても世界が全て変わって見えてしまうこともある。あの、魔騎士ブラッドベルのように」

 魔騎士ブラッドベル。その名にカタリーナが少し顔を強ばらせた。

 シエラの騎士ブラッドベルが魔人として目覚めた時、その目に映った景色はどのようなものだったのであろう。そして、ラクレウスの剣を受けて最期に正気を取り戻したその目に映った景色は。

 それは、騎士として生きるのであれば決して避けては通れぬ道。だが、そのことを考えるのは、辛く悲しいことだった。

「けれど、私は幸せな男です」

 ユリウスは言った。

「戦いを終えて意識を失った後、次に目を開けたら、自分が柔らかいベッドの上にいて、温かい日差しに包まれていた。そして私の傍らには、美しい女性が眠っていた。戦いを終えた騎士の目覚めとして、これ以上のことがありましょうか」

 その言葉にカタリーナは顔を赤くして首を振る。

「そんな、美しいなどと」

「本当のことだ。貴女はお美しい」

「からかわないでくださいませ」

 カタリーナは両手で自分の頬を押さえてますますうつむく。

「そのようなことを言われると、もうユリウスさまのお顔を見られなくなってしまいます」

「それは困る」

 ユリウスは笑った。だが、胸の傷に響くので、笑いは妙な途切れ方をした。

 カタリーナがはっと顔を上げる。

「ユリウスさま」

 カタリーナは心配そうに、痛みに顔をしかめるユリウスを覗き込んだ。

「お傷が痛みますか。とても深い傷だったのです」

 それから、気遣わし気にドアの方を振り返る。

「まもなくお食事の用意が整います。長いこと眠られていたのですから、食べやすいものをお食べになって、それからもうお休みなされませ」

「いや、まだ休むわけにはいかぬのだ」

 ユリウスは穏やかに首を振る。

「次に目覚めた時に、まだ貴女が隣にいてくださる保証はないのだから」

 その言葉に込められた真摯な響きに、カタリーナは表情を改めてユリウスを見た。

「カタリーナ殿。貴女とお会いしたかった」

 シエラの令嬢を真っ直ぐに見つめ、ナーセリの騎士は言った。

「貴女から手紙をいただくたび、貴女への手紙を綴るたび、貴女に会いたいという気持ちばかりが募っていった。何千文字も費やして、幾度もやり取りをしてきたというのに、それでももう一度お会いしたいという気持ちは揺るがなかった。自分でも不思議でならぬ。貴女のことを知れば知るほど、もっと深く貴女のことを」

「わたくしもです」

 ユリウスの言葉の途中で、堪えきれなくなったようにカタリーナが言った。

「わたくしもユリウスさまと同じ気持ちでした。いただくお手紙を通してユリウスさまのことを知れば知るほど、ユリウスさまがわたくしなどとはまるで違う世界の立派な方だということが分かっていくのに、それなのにもう一度お会いしたくて」

 その目からぽろぽろと涙がこぼれた。

「ずっと、そう思っておりました」

「カタリーナ殿」

 ユリウスはカタリーナの涙を見つめた。その涙が窓から差し込む光に美しく輝くのを。

 この女性は、泣いてくれているのか。

 私と会うことができたという、ただそれだけのことで。

「ユリウスさまがシエラにいらっしゃると伺ったときは、胸が躍りました」

 カタリーナは言った。

「ユリウスさまは魔人討伐という大変な使命を帯びて、シエラにいらっしゃるというのに。多くの街が魔人の恐怖に晒されているというのに。それなのに、ユリウスさまにお会いできるかもしれない。そう思っただけで、わたくしの胸は躍ってしまったのでございます」

 そんなよこしまな思いを抱いた罰だったのかもしれません、と言ってカタリーナは目を伏せた。

「ユリウスさまが兄を庇って大けがをされたと聞いたときは、目の前が真っ暗になりました。もうどうしていいか分からなくなってしまって、でもじっとはしていられなくて。気が付いたらこの街に駆け付けておりました」

 カタリーナの目から、また涙がこぼれた。

「意識の戻られないユリウスさまを見た時は、胸が締め付けられるようでございました。でも、やっとお会いできたという喜びも確かにこの心の中にあったのでございます」

 カタリーナはそれを恥じるように、声を落とした。

「ユリウスさまはシエラとナーセリ両国のために、お命を懸けて戦われていたというのに。わたくしは自分のことばかりを」

「カタリーナ殿」

 ユリウスは腕を伸ばした。カタリーナがはっと身を固くする。

「貴女の涙は、私の涙だ」

 ユリウスはそう言うと、カタリーナの頬を伝う涙をそっと拭った。ユリウスの指が触れるたび、カタリーナは身体をびくりと震わせたが、顔を背けようとはしなかった。

「これは本当ならば私が流さねばならない涙だ。なぜなら、私も貴女と全く同じ気持ちなのだから」

 ユリウスは言った。

「魔人との戦いの旅の間も、気付けば貴女のことばかりを考えていた。魔人を倒すまでは、と何とか貴女のことを考えぬよう努めたほどだ。だが、今こうして貴女と会うことができて分かった」

 ユリウスは己の言葉に力を込めた。

「人が人に会いたいと願う気持ちが、よこしまであろうはずがない」

 その言葉に、カタリーナがユリウスの顔を見る。救われたように、涙で潤んだ目が見開かれた。

 ユリウスは微笑む。

「ありがとう、カタリーナ殿。私の代わりに涙を流してくれて。瘴気の中で魔人ばかりを斬っていた私には、もう貴女のような美しい涙を流すことはできぬが、それでも王国に捧げたこの剣に誓って言おう。騎士ユリウスは、カタリーナ殿、貴女と全く同じ気持ちを抱いていると」

「もったいないお言葉です」

 カタリーナの目から、また堰を切ったように涙があふれてくる。

「本当に、もったいないお言葉」

 それだけ言うと、もう言葉が続かなくなった。

「話をしよう、カタリーナ殿」

 ユリウスは穏やかに言った。

「貴女に話したいことがたくさんあるのだ」

「はい」

 カタリーナは頷いた。

「お聞きしとうございます。それに、わたくしにもお話ししたいことがございます。きっと、ユリウスさまよりももっとたくさん」




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