第26話 再会
なぜ、こんなところに貴女が。
ユリウスは呆然とカタリーナを見つめた。
うとうとと眠る彼女は、ユリウスの記憶の中のカタリーナよりも少し肌艶が良く健康そうに見えた。
しかし、今はひどく疲れ切った様子で眠っている。
その姿に、おいそれと声をかけて起こす気にもならず、ユリウスはしばらく不自然な姿勢のままでカタリーナを見つめていたが、やがて身体の方が限界を迎えた。
ブラッドベルに貫かれた胸の傷は、やはりまだひどく痛んだ。耐えきれなくなり、ベッドに倒れ込むと、想像以上に大きな音が室内に響いた。
カタリーナがはっと目を覚ました。
驚いたようにユリウスの方を見て、彼と目が合う。
「カタリーナ殿」
そう呼びかけると、カタリーナの目がたちまち潤んでくるのが、そしてその顔が真っ赤になっていくのがユリウスにも分かった。
カタリーナは慌てて立ち上がると、失礼いたしました、というようなことを口の中でもごもごと言い、頭を下げた。
ユリウスが何か答える前に、さっと身を翻して部屋を出ていく。
ドアが閉まり、呆然とするユリウスの耳に、廊下を走り去っていくカタリーナの足音が聞こえた。
すぐに帰ってくるのであろう、としばらく待ってみたが、カタリーナはもう戻ってこなかった。
……もしかしてあれは、幻だったのであろうか。
あまりに戻ってこないので、ベッドの上で一人、ユリウスはそう思った。
それにしては、ずいぶんと生々しい幻であった。
だが、まるで帰ってこないところを見ると、やはり怪我の痛みが見せた幻覚なのかもしれぬ。
よく考えれば、シエラの王都にいるはずのカタリーナ殿が、こんな辺境においでのわけがあるまい。
そんなことを考えていると、部屋の外から騒々しい足音が聞こえてきた。
「ユリウス殿」
ドアを開けて入ってきたのは、ラクレウスとともにドルメラを目指したナーセリの若手騎士の一人ロイドだった。
「目を覚まされたそうで」
「ロイドか。貴公も無事で何より」
ユリウスは微笑んだ。
「私はずいぶんと眠っていたようだな。迷惑をかけた」
「いや、なんの。話は伺っております」
ロイドはベッドの傍らに立った。
「魔人と化した騎士を討ち果たした折、ユリウス殿がラクレウス殿のお命を救われたと」
そう言うと、ロイドは尊敬の眼差しをユリウスに向けた。
「さすがはユリウス殿。あの鬼神のごとき強さのラクレウス殿のお命を救うとは。ナーセリ騎士の誉れですな」
「そのようなことはない」
ユリウスは首を振った。
「真に敬服すべきは、ラクレウス殿よ。かつての仲間と剣を交えることになれば、多少なりとも剣が鈍ろうものを、まるでそんなことはなかった。私などは最後に少し関わったに過ぎぬ」
「私は、少しも関われませなんだ」
ロイドは少しうつむく。
「決戦の時にドルメラまでたどり着くことすらできなかった。己が不甲斐ないです」
「勝負は時の運だ。それに貴公らもそれまでにずいぶんと活躍してくれたとラクレウス殿が言っておられたぞ」
ユリウスは言った。
「生きてさえいれば、それは真の敗北ではない。またこれを糧に腕を磨けばよい」
自分が王に言われたのと同じことを、ロイドに言っている。
ユリウスはそれに気付いたが、ロイドが彼の言葉に救われた顔をしたので、力を込めてさらに言った。
「これだけの数の魔人との連戦は、ベテラン騎士とてなかなか経験しておらぬ。誇っても良い」
「さすがに誇りはしませぬが」
ロイドは苦笑した。
「なれど、そう言っていただけて気が楽になりました。ユリウス殿、ありがとうございます」
「自明のことであっても、人に言ってもらわねば気付かぬことがあるのでな。それを言ったまで」
ユリウスはそう言うと、改めてロイドを見た。
「教えてくれぬか。私が眠っている間のことを」
魔人たちが斃れた後、ドルメラの街が徐々に活気を取り戻しつつあること。
ロイドたちナーセリの二人の騎士も遅ればせながら到着したこと。
シエラの騎士ロサムとコキアスは、無事に後方の村にたどり着き、治療を受けていること。
それらのことを、ユリウスはロイドから聞いた。
すでにブラッドベルたちとの戦いから十日以上が経っていた。
「ラクレウス殿も、ユリウス殿の容態を大変心配しておいででした」
ロイドは言った。
「ユリウス殿に何かあったら、私のせいだ。ナーセリ王と妹に申し訳が立たぬ、と」
「なに」
その言葉にユリウスが目を見張ると、ロイドは若手らしいいたずらっぽい笑みを口元に浮かべた。
「カタリーナ殿とおっしゃるそうですな。ラクレウス殿の妹君。実にお美しい」
「やはりいらしていたのか」
やはり、あれは幻ではなかったか。
「到着されたのは、三日前だったでしょうか。それからはほとんど片時も離れずユリウス殿のご看病を」
そう言ってロイドはドアの方を見る。
「先ほど、私にユリウス殿がお目覚めになったと伝えてくださったのもカタリーナ殿でした。……そういえば、戻ってこられませぬな」
ロイドが首をひねったとき、廊下をばたばたと近付いてくる足音が聞こえてきた。
「ああ、来ましたな」
にこりと微笑むロイドに、ユリウスは首を振る。
「違うであろう」
「え?」
「カタリーナ殿はあんな乱暴に廊下を歩かぬ」
「分かるのですか」
「分からいでか」
それはユリウスが目覚めた時、慌てて廊下を走り去っていったときでさえそうであった。華奢なカタリーナの足音は、鈴の音のように軽やかだった。
果たして、ドアを開けて顔を覗かせたのはラクレウスであった。
「ユリウス殿!」
満面に喜色を浮かべたラクレウスはベッドに歩み寄ると、ユリウスの手を取った。
「よくぞ。よくぞお目覚めになられた」
「ずいぶんと世話になってしまったようだな、ラクレウス殿」
ユリウスは答える。
「あの戦いからもう十日以上も経つそうではないか」
「そうなのだ。ユリウス殿の容態が落ち着くまでは、正直なところ私も生きた心地がしなかった」
ラクレウスはそう言って笑う。
「なにせ私を庇っての負傷なのだから。ナーセリ王にも、ナーセリの国民にも顔向けできぬ、と思いつめていた。何より、この任務が終わったらこっそりと貴公に会わせようと思っていた妹から、郵便が復旧した途端に矢のような心配の手紙が」
「おう」
ユリウスは声を上げる。
「そういうことであったか、それでカタリーナ殿が」
「こっそりと近くの街まで来させていたのだが、ユリウス殿が私を庇って負傷したと聞いたら、勝手にここまで来てしまった」
ラクレウスは申し訳なさそうに笑う。
「同行の侍女たちも驚いていた。まさか妹にここまでの行動力があろうとは」
「いや、先ほどお顔を拝見したのだが」
ユリウスは言った。
「なぜか逃げるように出ていってしまわれた」
「ああ、そのことについては本人から直接」
ラクレウスが振り返って妹の名を呼ぶ。背後のドアからおずおずとカタリーナが顔を出した。
「カタリーナ殿」
ユリウスが顔を輝かせると、カタリーナは恥ずかしそうにうつむいたまま、ユリウスに歩み寄る。
興味深そうにそれを見ているロイドの肩を叩いて、ラクレウスが部屋を出ていく。部屋にはユリウスとカタリーナの二人きりとなった。
「申し訳ありません」
カタリーナがか細い声で言った。
「先ほどは、はしたない姿を」
「貴女の兄君から、貴女がここに着いてからずっと私を見てくださっていたと聞きました」
ユリウスは答えた。
「感謝こそあれ、貴女が恥ずかしがることなど」
「ユリウスさまがお目覚めする時、わたくしがそのおそばにいたかったのです。目を開けた時、すぐにお声を掛けたかった」
カタリーナは早口でそう言うと、唇を噛んだ。
「それが、逆になってしまって……わたくしが目を覚ますところをユリウスさまに見られるなんて」
その目に涙が滲んでいた。
なんと。
ユリウスは思った。
なんと可憐な女性だろうか。
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