第10話 苦労
「まずは、兄上のカタリーナさまへのお気持ちを整理いたしましょう」
ルイサは前日同様ユリウスの傍らに立つと、そう言った。
「カタリーナさまとは、武術大会の後の宴席で初めてお会いしたのでしたね」
「うむ」
ユリウスは頷く。
「可憐な女性であった」
まるで照れるでもなくそう言い切るユリウスに、かえってルイサの方が少し恥ずかしくなってしまい、咳払いしてごまかす。
「ええと、それでカタリーナさまとはどんなお話をされたのですか」
「話と言ってもな」
ユリウスは腕を組む。
「実は、あまり時間がなくてな。私の過去四回の武術大会の試合の話ばかりしていたら、終わってしまったのだ」
「ご婦人に、ひたすら試合のお話ばかりをされたのですか」
ルイサは目を丸くした。
「何か他に話すことはなかったのですか」
「あると思うか」
ユリウスはなぜか、むしろ少し胸を張るようにしてルイサを見た。
「この私に、剣のこと以外の話題が」
「そうですわね」
ルイサも認めざるを得なかった。
「それでもまあ、魔人の話をされなかったのは賢明でしたわね」
「そうであろう」
得意げに頷くユリウスに、ルイサは尋ねる。
「兄上のお話を聞いているときのカタリーナさまは、どのようなご様子だったのですか」
「あちらも、私の試合の話がもっと聞きたいと申されてな」
ユリウスはその時のことを思い出し、知らず、笑顔になっていた。
「実に楽しそうに聞いてくださった」
「そうでございますか」
ルイサは小さく息を吐く。
「それならばよかった」
「私の初めての選抜試合の話から始めてな」
ユリウスは言う。
「シエラを訪れて試合を行ったときのことや、カタリーナ殿の兄君のラクレウス殿との試合のことなどな」
「はあ」
ルイサは気のない返事を返す。
ルイサにとって、この世で最も退屈な話題は男同士の剣の話だった。剣の握り方がどうの、振り方がどうの、あの時の立ち合いがどうのと、そういう話が始まると、ルイサはそっと身を退く。
話している当人たちは実に楽しそうなので、別にそれを邪魔するつもりはないが、ルイサがその話題に加わったり、真剣に聞き入ったりすることはない。
わたくしも騎士の妹なのだから、と自分に言い聞かせてじっくりと聞いてみたこともあったが、気付くと窓の外の花ばかりを見ている自分に気付いた。話は全然頭に入ってこなかった。
結局、どうしても興味が持てないのだ。
それは仕方のないことだと、今ではルイサは思っている。
ルイサは知っている。剣の話の好きな男たちに限って、今度はルイサが庭に咲く花の話を始めると、剣の話を聞くときの彼女と全く同じ表情をして身を退いていくということを。
「殿方の武術の試合のお話を聞くのは、宴席の場とはいえわたくしには二試合が限界ですわね」
ルイサは言った。
「カタリーナさまは素晴らしい忍耐力をお持ちのようですね」
「ルイサ」
ユリウスは顔をしかめる。
「そなたは、己の兄をばかだと思っているのか」
「いいえ」
ルイサは首を振る。
「決してそんなことは」
「私にだって、その女性が無理に愛想笑いをして付き合ってくれているのか、それとも本当に楽しんで聞いてくれているのか、それくらいの区別はつく」
そう言ってユリウスはその夜の情景を思い出すように目を細めた。
「カタリーナ殿は、本当に真摯な表情で、私の話を聞いてくださったのだ」
「左様でございますか」
ルイサは曖昧に頷く。
朴念仁の兄のつける区別とやらにはあまり信憑性はなかったが、それでもルイサは、本当にカタリーナが兄の話を楽しんだのかもしれない可能性は残しておくことにした。
世の中にはいろいろな女性がいる。
好きな話題も、人それぞれだ。
遠くからわざわざ武術大会に足を運んで、赤の他人の試合を見ようなどというもの好きな女性も、世間には決して少なくはない。
ましてや、カタリーナはあのシエラ第一の騎士と名高いラクレウスの妹なのだ。武術に興味があったとしても、おかしな話ではない。
「それでは、そのことをお手紙にお書きくださいませ。武術の話ができて楽しかった、と」
「うむ」
頷いて、ユリウスはペンを走らせる。
「それから?」
「まだ話し足りなかった、というようなことをおっしゃっていませんでしたか?」
「ああ、そうだ」
ユリウスは頷く。
「私のことばかり話しているうちに時間になってしまったのだ。まだカタリーナ殿のことを何も聞いていなかった」
「書きましょう」
ルイサはユリウスを促す。
「それもお書きくださいませ」
「うむ」
ユリウスはまた紙にペンを走らせる。
「それから、お見送りがどうの、とおっしゃっていましたね」
「うむ。カタリーナ殿と、私が国に帰る日に見送りに来てくださると約束したのだ。しかし、当日カタリーナ殿は来なかった」
「それで兄上はどう思ったのです?」
「その時はがっかりしたがな。しかし、すぐに気を取り直した。私は騎士だ。国に帰れば魔人との戦いが待っている。それに、手紙にも書いてあったがカタリーナ殿は熱を出して寝込んでいたとのこと。大事なくてよかった」
「書きましょう」
「うむ」
そんな会話を繰り返すうち、やがてひとかたまりの文章が出来上がった。
「これでよいのか」
ユリウスはその文章を見て、首をひねる。
「なんだか、私の思ったまま、感じたままをだらだらと書き連ねただけになってしまったぞ」
「書き連ねても良いのです、それが兄上の素直な気持ちを表した文章なのですから」
「しかし、これでは子どもが書いた文章のようだ」
「子どもも大人も、本質的なところでの感情に大差はないのです」
ルイサは言った。
「あるのは、それをどんな表現でくるむのかという違いだけです。子どもなら剥き出しでもいいところを、大人なら真綿にくるむ、というような。細かい表現は後でわたくしが直して差し上げますから」
「そういうものか」
ユリウスは、分かったような分からないような顔をする。
「手紙とは、大変なものだな」
ユリウスはぽつりと言った。
「ルイサ。そなたはいつもこんな苦労をして私に手紙を書いてくれていたのだな」
いえ、さすがに兄上ほどの苦労はしていませんけれども。
そう言いかけたのをぐっとこらえて、ルイサは努めて優しい声を出した。
「そう言ってくださるだけでも嬉しいです。さああと少し、頑張りましょう」
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