第11話 時候
「大体の表現は直しましたが」
ルイサは訂正で真っ黒になった下書きを兄に見せて、そう言った。
「あとは、手紙の書き出しに時候の挨拶が必要ですわね」
「時候の挨拶? ああ……」
ユリウスは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに頷く。
「そなたが私にくれた手紙にも、いつも書いてあったな。寒さがどうとか、花がどうとか」
「ええ、それです」
ルイサは机の上に置かれている封書に目を向ける。
「カタリーナさまのお手紙にも書かれていたでしょう」
「うむ」
ユリウスは封書を手に取り、カタリーナからの手紙を大事そうに取り出す。
何度も読み返したせいで、封筒も便箋も大分くたびれてしまっていた。
ユリウスは冒頭の文章に目を走らせる。
「そうだな。シエラではもうかなり冷え込んできているそうだ。シエラ伝統のワンベリーのジャム作りも始まったとか」
「そういうことを、兄上も書けばいいのです」
「そうはいってもな」
ユリウスは困った顔をする。
「私はジャムを作らぬし」
「ジャムは単なる一例に過ぎませぬ。シエラでは毎年、同じ時期にワンベリーのジャムを作る。だからそれを書くことで、季節の経過を示すことができるのです」
「難しいことを言う」
ユリウスは諦めたように首を振った。
「季節のことか。魔人は夏だろうが冬だろうが関係なく現れるし、あまりそういうことを気にした経験がないのでな。たとえば、寒くなると剣に付いた魔人の血を拭うときに、こびり付いてなかなか落ちぬとか、そういうことでも良いのか」
「ご自分の直接感じたことを時候の挨拶に盛り込むのは、形式的なものよりずっとよろしいかと思います」
ルイサは答えた。
「ただ、その例はちょっと。カタリーナさまに送るのでございましょう?」
「うむ。そうだな」
ユリウスは頷く。
「あの方に魔人の血がどうのという話はいかぬ」
兄がまだ最低限の常識を弁えていたことにほっとしながら、ルイサは言葉を続ける。
「それでは、お花のことはいかがですか。シエラはもう寒くなってきたようですが、ナーセリはまだまだ暖かいですし、庭にお花もたくさん咲いています」
「うむ。そなたが一生懸命世話をしてくれているおかげだな」
ユリウスは頷く。
「いつも、城でも皆が誉めてくれる」
「ありがとうございます」
花壇を誉められるのは、兄を誉められるのと同じくらい嬉しかった。ルイサの頬も思わず緩む。
「それでは、花のことにしよう。ええと、あの真っ直ぐにぴんと立つ青い花はまだ咲いていたな」
「ナツミズタチアオイのことでございますか」
ルイサは呆れた顔をする。
「今年はとっくに枯れました。もう咲いておりませぬ」
「ん? そうであったか」
「さては、ろくに見ておりませぬね、我が家の花壇を」
わざとらしく咳払いをする兄を睨んでから、ルイサは今花壇を飾っている花の名前を挙げていく。
「今咲いておりますのは、カタメユリとアカツキヒメ、それにツバキリクサ」
「待て」
ユリウスは慌ててペンを走らせる。
「もう一度頼む」
「ですので、カタメユリとアカツキヒメ、ツバキリクサ……あっ、やっぱりアカツキヒメはもう花の色が褪せてきていますので書かないでくださいませ」
「咲いていることに変わりはないではないか」
「わたくしが嫌なのです。きちんと今綺麗に咲いているものの名前を書いてくださいませ」
「そういうものか」
首をひねりながら、ユリウスはアカツキヒメの名を消す。
「それから、シロマキツメクサとザラーゴノイブキと」
「まだそんなにあるのか。それを全部書かねばならんのか」
そんな風にして、ようやく手紙は出来上がった。
ユリウスは完成した文章を読み返しながら、何度もルイサに、
「これでカタリーナ殿は安心してくださるだろうか」
と聞いた。
「ええ、きっと」
そのたびに、ルイサはそう答えた。
ユリウスは自分の部屋に戻り、その夜遅くまでかかって手紙を清書すると、翌朝それをルイサに託した。
「それではこれを出しておいてくれ」
「はい」
ルイサは頷いて、満足そうな顔の兄を見上げた。
「なんだか、憑き物が落ちたような顔をしていらっしゃいます」
「うむ」
ユリウスは微笑んだ。
「その手紙を読んで、カタリーナ殿のお気持ちが晴れるのであれば、私にももう憂いはない」
そう言うと、手に持っていた剣を持ち上げてみせる。
「今はもう、早く魔人どもと戦いたくてならぬ」
その顔があまりに生き生きとしているのを見て、ルイサは思わず噴き出した。
「なんだ」
ユリウスがむっとした顔をする。
「人の顔を見て笑うとは」
「いえ」
ルイサは首を振る。
「申し訳ありませぬ。ただ、お手紙を書いている兄上は一度もそんな顔をされなかったものですから」
「手紙は私にとって、未知の敵であった」
ユリウスは穏やかに答えた。
「なにせ、剣が効かぬ。戦い方が分からぬ。こればかりは私一人ではいかんともしがたい。だが、そなたのおかげで何とか形になった」
ユリウスはルイサに頭を下げた。
「ルイサ。感謝する」
「おやめくださいませ」
ルイサは慌てて兄の手を取る。
「わたくしはただ、書き方をお教えしただけです。書いたのは、兄上です」
「そなたがいなければ、書けなかった」
ユリウスはもう一度言った。
「良き妹を持った。ありがとう、ルイサ」
それからユリウスは剣を手に庭の奥へと歩き出した。
「それでは騎士ユリウス、これより、剣の世界へ戻る」
「はい」
ルイサは笑顔で頭を下げた。
「いってらっしゃいませ」
ユリウスに魔人討伐の命が下ったのは、それから五日後のことだった。
辺境に残る騎士たちでは手が回らなくなってきていた。
徐々に魔人の数が増え始めている。
渋い顔でそう言う王に、ユリウスは、ぜひとも私に魔人討伐の命を、と自ら名乗り出たのだ。
出発の朝。
両親に別れの挨拶を済ませて愛馬に跨ったユリウスは、最後にルイサを振り向いた。
「それでは、行ってまいる」
「はい。兄上、どうぞお気をつけて」
ルイサはそう言ってから、付け加えた。
「カタリーナさまからのご返信が届いたら、旅先にお送りいたします」
「返信は来ずともよい」
ユリウスは微笑んだ。
「あの可憐なご令嬢が、シエラの地で私の手紙を読んで安心なされたと思うだけで、私の心は満たされる。それだけで良いのだ」
それに、とユリウスはいたずらっぽく付け加えた。
「返信が来ても、私一人ではどう返して良いのか分からぬ」
父上と母上を頼む、と言い残してユリウスは発った。
背に負う剣の柄が朝日を反射してきらきらと輝いていた。
やがてユリウスの姿が見えなくなっても、見送るルイサたちにはその残光がしばらくの間届いていた。
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