第9話 報告

 翌日、ユリウスは城へ旅からの帰還の報告に赴いた。

 いつもは多くの騎士たちの姿があるナーセリの城だが、その日、ユリウスはほとんど顔見知りの騎士に出会わなかった。

 その理由はユリウスにも分かった。

 アーガやリランのようなベテランの騎士からテンバーら若手の騎士まで、皆忙しく辺境を飛び回っているからであった。

 今、瘴気の沼から現れている魔人の数は、そう多くはない。だが辺境から騎士たちがなかなか帰ってこないところを見ると、彼らもシエラでの武術大会の結果を受けて、心に期するものがあるのだろう。

 帰ったら俺も身を固めるか、などと言っていたリランの顔を思い出して、ユリウスは苦笑する。

 リランめ。辺境に行きっぱなしで、身を固めるも何もあったものではなかろう。

 だが、彼らのその真っ直ぐな生き方がユリウスには好ましかった。



 ユリウスが忠誠を誓うナーセリ王は、執務室で彼を迎えた。

「よくぞ戻った、騎士ユリウス」

 王は椅子をぎしりときしませて振り向くと、笑顔でそう言った。

 老境に差し掛かろうかという年齢だが、それでもかつては自らも武術大会で優勝したほどの猛者である。王のがっしりとした体躯に衰えは見られなかった。

「魔人はどうであった」

 執務室でのくつろいだ姿とはいえ、王の言葉はやはり威厳に満ちていた。

「話して聞かせよ」

「はっ」

 ユリウスは自らが辺境で倒した三体の魔人について、簡潔に報告した。

 その話に頷いた後で、王は不意に納得したようにユリウスを見た。

「そちの戦いぶりを聞くのは久しぶりだと思ったが、そうか。そちにしては珍しく、こたびの武術大会は、余がシエラに赴く前に敗れたのであったな」

「は」

 痛いところを突かれたユリウスは、がっくりと頭を垂れる。

「面目ありませぬ」

 仕方あるまい、と王は豪快に笑った。

「相手はラクレウスと聞いておる。余もアーガとの試合を見たが、あれは確かに難敵よ」

 だがユリウスは顔を上げられなかった。

「相手が誰であれ、不覚を取ったことに変わりはありませぬ」

 再びあの日の屈辱がその身体に蘇ってきていた。

「ナーセリの騎士として、王を試合場でお迎えすることが叶わず」

 そう言いながら、知らず知らず声が震える。

「無念でございました」

「勝負は時の運よ。ユリウス、武術大会でなどいくらでも負けるがよい」

 意外な王の言葉に、ユリウスは思わず顔を上げる。

「負けたとて、死ぬわけではないのだ。敗北を己の糧とすればそれで足りる」

 王は快活にそう言うと、声を落とした。

「だが、魔人どもとの戦いは違う。そうであろう」

「仰せの通りでございます」

 ユリウスは再び頭を垂れた。

「我ら騎士が魔人に敗れるということは、ただ命を落とすというだけではございませぬ。救いを求めてきた住民たち全員の絶望を意味いたします」

「うむ」

 王は頷く。

「それは、そち一人の敗北に留まらぬ。そして敗北が続けば、やがて国そのものが崩れる」

 王は厳しい表情で言った。

「命を落とすだけなら、まだ僥倖であるとさえ言えるかもしれぬ。最も忌むべきは別にある」

 ユリウスは顔を上げ、王の言葉を継いだ。

「騎士そのものが魔人と化すこと、でございますな」

「そうだ」

 王は重々しく頷く。

「戦いで瘴気を浴びすぎた騎士自らが魔人と化すこと。人のために戦い続けた騎士が魔人に身を堕とすさまを見るのが、余は一番辛く、悲しい」

 そう言うと、王は立ち上がり、ユリウスの肩にそっと手を置いた。

「騎士ユリウスよ。よくぞ、三体もの魔人を討ち果たした。余はそちを誇りに思う。疲れた身体を休め、しばし養生せよ」

「ありがたきお言葉」

 ユリウスは王の目を真っ直ぐに見つめた。

「しかし王よ、また魔人が出たならば、その時はどうか私にご命令を。私はそのために鍛えられた一振りの剣。王と国のために戦うことこそが望みなのです」

「余は幸せな王だ」

 王は笑った。

「そして、そちのような騎士に守られるこの国の民も、また幸せなことよ」

 そう言うと、王は優しい目でユリウスを見た。

「それはそうと、そちとて武術大会の後の宴席で親しくなったシエラの令嬢の一人や二人はおるのであろう? 養生代わりに手紙でも書くといい。人生には、そういう時間も大切であるぞ」



 その夜。

 ユリウスは再びルイサの部屋を訪れた。

「ルイサ。今日も一筆指南願おう」

「おやめください、剣の稽古のような言い方は」

 ルイサは、嫌な顔をして椅子から立ち上がる。

「いつも剣のことばかり考えているから、お手紙が書けぬのです」

「仕方あるまい」

 ユリウスはさっさとルイサの代わりに机の前に座ると、紙を自分の前に置きながらそう言った。

「剣のことを考えぬ私など、私ではない。私は剣そのものと言ってもよい」

「兄上は兄上です」

 ルイサはきっぱりと言った。

「人は剣にはなれませぬ」

「当たり前のことを言うな」

 ユリウスは目を瞬かせて妹を見上げた。

「私は心掛けのことを言っているのだ。分かるか、ルイサ」

「分かりますが、分かりません」

 ルイサはそう言うと、インクの壜を乱暴にユリウスの前に置いた。

「さあ、今日も書きますよ」

「うむ」

 ユリウスはペンを手に取る。

「書く気は満々だが」

 そう言ってルイサを見上げる。

「昨日書いたものはだめだと言われたではないか。それではどうすればよいのだ」

「昨日見つけた手紙の真髄のことは、もうお忘れなさいませ」

 ルイサはそう言うと、不満そうな顔のユリウスの目の前に、別の紙をひらりと置いた。

「む」

 ユリウスは片眉を上げる。

「これは、昨日の書き損じではないか」

「はい」

 ルイサは頷く。

 それは、昨日ユリウスが下書きを書いては消し、書いては消し、とうとう真っ黒にしてしまった紙だった。

「ですが、このあたりの文章、表現は稚拙ですがとてもよいと思います」

 そう言ってルイサは、ペンで乱暴に消された文章を指差す。

「昨日の報告書もどきのお手紙よりは、遥かに心に響きます」

「あれはあれでよかったであろう」

「ええ、とても」

 ルイサは認める。

「魔人を倒された報告を王にあのようになされれば、きっと王もお喜びになるでしょう」

「うむ」

 ユリウスは頷く。

「王はお喜びであった」

「ですから、そういう時はそれでいいのです」

 ルイサはそう言いながら、消された文章の断片を読み上げる。

「お心遣い……真摯な瞳……話す時間が尽き……ついつい己の話ばかり」

「それは消したのだ」

 ユリウスは恥ずかしそうに手を振る。

「考えてもうまく文章にならなかった」

「でも、兄上のお心が表れていると思います」

 ルイサは言った。

「これらを繋げて、兄上のカタリーナさまへのお気持ちを文章にいたしましょう」




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