第8話 気持ち
「できたぞ」
ユリウスの誇らし気な声が響き、うとうとと居眠りをしかけていたルイサは、はっと目を覚ました。
うんうん唸るばかりで一向に筆の進まないユリウスを尻目に本を読んでいたはずが、いつの間にか意識が遠ざかっていた。
「やっと書けたのでございますか」
ルイサが本を置いて椅子から立ち上がると、ユリウスは、うむ、と頷いた。
灯された蝋燭の長さを見て、ルイサはすでに相当な時間が経過していたことを知る。
これだけの時間をかけて、一体兄はどんな手紙を書いたのだろう。
ルイサはユリウスの傍らに立ち、その手元を覗き込んだ。
机には、真っ黒になった紙が何枚も散乱していた。
どれも、文章を書いては消し、書いては消したユリウスの苦心の証だった。
「ずいぶんと下書きなさいましたね」
ルイサの言葉に、ユリウスは、ああ、と答える。
「手紙など書き慣れぬものだから、どう書いていいのか皆目見当がつかなくてな。紙を無駄にしてしまった」
そう言うと、ユリウスは不敵に微笑んだ。
「だが、何度も書き直しているうちに、不意に見えたのよ」
「何がでございますか」
「手紙の真髄が、だ」
ユリウスは嬉しそうに言う。
「分かったのだ。変に己を飾るからいかんのだということが。ありのまま、今の自分が書けることを書けばそれでいいのだ、と気付いた」
「おっしゃっていることは、正しいように聞こえますわね」
ルイサは頷いた。
「それで、真髄が見えた兄上はどのようなものを書き上げたのですか」
「これだ」
ユリウスは自分の目の前にあった紙を手に取ると、誇らしげにルイサに突き出した。
「見るがいい」
「見ますけれども」
ルイサは紙を受け取って、一瞥して顔をしかめた。
「何ですかこれは」
「何ですか、とは何だ」
ユリウスはむっとした。
「手紙に決まっておろう」
「わたくしの知っている手紙とは、だいぶん違うように思われます。なんというか、斬新で」
ルイサは紙をユリウスの前に置き直す。
「そうかな」
「ええ」
ルイサは首をひねるユリウスに尋ねた。
「なぜ、このような形式になさろうと思ったのです」
「それを聞くか」
ユリウスは、自信ありげに頷く。
「書き直しているうちに、思い至ったのだ。私にはこのような手紙を書いた経験がないから書けないのだ、ということに。それならば、書いた経験があるものを書けばいい」
そう言うと、ユリウスはルイサの顔を得意げに見上げる。
「逆転の発想だ」
「ああ。わたくしにも段々と見えてまいりました」
ルイサは頷く。
「兄上はそう考えて、それでこの形式に至ったわけでございますね」
「うむ」
ユリウスはその紙をもう一度手に持って、自分の文章を指差した。
「王都への報告文書ならば、何度も書いたことがあるのだ。無論、それも得意ではないし、他の騎士が同道しているときはそちらに任せてしまうのだが。しかしこれも任務の内だ。私とて書けないわけではない」
「読み上げてみてくださいませ」
ルイサは兄の言葉を穏やかに遮ってそう言った。
「兄上の初めて書いたお手紙です。耳でも聞きとうございます」
「そうか。少し、恥ずかしいがな」
ユリウスは、こほんと咳払いする。
「読むぞ」
「ええ」
ルイサは頷く。
「どうぞ」
「それでは」
ユリウスは紙を自分の目の高さまで持ち上げ、朗々と読み始めた。
「ナーセリの騎士ユリウス・ゼルドは、下記について誤りのないことをここに表明する。一、見送りに関する諸事情について。騎士ユリウスはカタリーナ殿の事情を十分に理解し、全き同情心をもってこれに応えるものである。二、カタリーナ殿の体調回復について。騎士ユリウスは、その体調の回復を喜び、以後も健やかならんことを心より願うものである。……以上だ」
「兄上」
ルイサは微笑んだ。
「こんなに遅くまで一生懸命にお手紙を書かれたそのお気持ちは、わたくしには十分に伝わりましたが」
ルイサは、すっかり小さくなった蝋燭を見ながら言った。
「残念ですが、この手紙を読むカタリーナさまには兄上のお気持ちは伝わらないことでしょう」
「なに」
ユリウスは意表を突かれたように目を見開く。
「なぜだ」
「そのお手紙のせいでございます」
ルイサは答える。
「兄上の文章では伝わりませぬ」
「だが」
ユリウスは反論した。
「報告書というものは、簡潔、明瞭が肝要なのだ。その意味が誰にでもきちんと伝わるよう、だらだらと言葉を連ねることなく、必要十分にして最小限の文章を綴る。構成もそうだ。分かりやすく項目立てることが重要なのだ」
「辺境の魔人を見事討伐された際は」
ルイサは言った。
「ぜひ、そのようにお書きくださいませ。けれど、これはご婦人へ送るお手紙。相手は魔人をいつどこで倒したのかを早急に知りたい官吏ではないのです」
そう言うと、ルイサはきっぱりと首を振った。
「これは、相手に気持ちを伝える文章ではありません」
「むむ」
ユリウスは、紙に目を落とす。
「私は今まで考えたこともない。どのように書けば相手に気持ちが伝わるのかなど」
「兄上だってできます。ただ、もう少し修練が必要ですわね」
そう言うと、ルイサは欠伸を噛み殺した。
「今夜はもうすっかり遅くなってしまいました。また明日にいたしましょう」
「いや、まだ」
そう言いかけたユリウスは、消えかけて揺らめく蝋燭の炎を見て、我に返ったように首を振った。
「そうだな。ルイサも疲れたであろう。自分が平気だからといって、婦女子を夜遅くまで無理させてはならぬ」
自分に言い聞かせるように呟くと、ユリウスは立ち上がった。
「また、頼む」
「ええ。もちろん」
肩を落として悄然と部屋を出ていくユリウスを見送った後で、ルイサはユリウスの書き散らした紙を手に取った。
書かれた文章はどれも途中で乱暴に消されていたが、まだ読むことができた。
ルイサは一枚一枚を手に取り、その文章をじっくりと読んで、くすくすと楽しそうに笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます