第7話 誤解
カタリーナからの手紙は、丁寧な時候の挨拶で始まっていた。
それから、シエラの宮廷での晩餐会でユリウスと話すことができて本当に嬉しかったということと、お付き合いいただいてありがとうございました、という感謝の言葉が続いた。
そこまで読んだユリウスは、ふと表情を硬くした。
その後に、カタリーナが見送りに行けなかった理由が書かれていたからだ。
晩餐会の夜、遅くまで外の庭園でユリウスと話をしたカタリーナは、帰ったその翌日から熱を出して寝込んでしまったのだ。
大会優勝者として忙しく飛び回っている兄のラクレウスにユリウスへの言付けを頼む余裕もなかった。
カタリーナがようやくベッドから起き上がることができるようになったのは、ユリウスが帰国してから五日も過ぎた後のことだった。
見送りに行くと自分から言い出したにもかかわらず、何の連絡もなく約束を破ってしまった非礼をどうお詫びしていいか分からず、今日までずっとそのことばかり悶々と考えていましたが、とにかく何よりもまずきちんと事情を説明しお詫びすることが大事だとようやく決心がつき、筆を執った次第です、と手紙にはそう書かれていた。
ユリウスは、呆然とその手紙を読み返した。
言われてみれば、あの夜の庭園は少し肌寒かっただろうか。
酒の入っていたユリウスは、そこまでの冷気は感じなかった。
だが、薄手の夜会服に身を包んだカタリーナは、きっとユリウスよりもずっと寒かったのだろう。
そうでなければ、翌日から熱を出して寝込むなどということはあるまい。
かわいそうなことをしてしまった。
ユリウスの胸を、後悔が襲う。
こちらが気を使うべきことだった。
熱心に話を聞いてくれるカタリーナの真摯な態度が嬉しくて、つい外で長話をしてしまった。
カタリーナの身体が丈夫ではないということは、ユリウスも彼女自身の口から聞いていたことだ。
もう少し話をしましょう、と言った時点で、屋内に入ればよかったのだ。
騎士として、その程度の気遣いもできなくてどうする。
幸い、手紙によれば回復後は特に体調を崩すこともなく過ごしているようで、ユリウスは安心した。
だが、それよりももっと気になることは、どうもこの手紙の文面を読む限り、カタリーナはユリウスが自分の非礼に対して怒っていると考えているようだということだった。
この誤解は、早急に解かなければならない。
ユリウスは思った。
カタリーナが見送りの場に現れず、少し落胆したことは事実だ。だが、彼女に怒りを向けることなど、あろうはずもない。
ナーセリの騎士ユリウスをその程度の器の男と思われては困る。
だから、こちらが怒ってなどいないということ、カタリーナに何事もなくてよかったとむしろ安心したということを、急いで伝えなければならなかった。
おそらくカタリーナは何か月も悩んだ末に、この手紙を送ってきたのだろう。
そして、今もユリウスが自分の手紙を受け取ってどう思ったのか、心配していることだろう。
かわいそうに、と思う。
そんな気持ちになるために、あの夜、我々は出会ったわけではあるまい。
安心させて差し上げねば。
早く、伝えねばならぬ。
そこまで考えて、ユリウスははたと困った。
伝えるには、手紙を書かねばならぬ。
隣国シエラに住むカタリーナのもとを直接訪問することなどできはしない。
それならば、必然的に手紙を書かなければならない。
だが、ユリウスにはその類の手紙を書いた経験がなかった。
そもそも私的な手紙自体、書いたことがないのだ。
これは、困ったことになった。
ユリウスは険しい顔で、カタリーナからの手紙を二度、三度と読み返した。
腕を組み、難しい顔で何度も唸り声を上げた。
そして、ユリウスは立ち上がり部屋を出ると、宿の主人に翌日の出立を告げたのだった。
両親に帰還の挨拶を済ませ、こまごまとした事務処理を片付けたユリウスは、その夜、妹のルイサの部屋を訪ねた。
ルイサはすでに机に手紙を書く準備をして待っていた。
「どうぞ、兄上。ここにお座りになって」
ルイサは机の前の椅子にユリウスを座らせると、自分は家庭教師よろしくその傍らに立った。
「では、カタリーナさまに送るお手紙を書きましょう」
「うむ」
ユリウスは頷く。
「よろしく指導願う」
「まずは、兄上が自由にお書きになってみてください」
ルイサはそう言って、紙を一枚ユリウスの目の前に置いた。
「清書は後できちんとすればよいですから。まずは、下書きに、お好きなように」
「む」
ユリウスが困った顔をすると、ルイサは突き放すように首を振る。
「わたくし、添削は致しますが、ご婦人へのお手紙を一から代筆するような真似は致しませぬ。それはカタリーナさまに失礼と存じます」
「無論だ」
ユリウスは言った。
「そなたに言われずとも、そんなことは分かっている」
そう言いながらもユリウスは、強大な魔人を前にしても見せたことのないような苦しそうな表情を浮かべた。
しばしの逡巡の後、それでもユリウスはペンを手に取った。
ぎこちなくインクを付けると、そのままの姿勢で固まる。
「早く書き始めねば、インクが乾いてしまいますよ」
「分かっている」
顔をしかめて妹にそう言い返し、ユリウスはようやく文字を書き始めた。
だが、十数文字ほど書いて、すぐにそれを横線で消してしまった。
「違うな」
そう言いながら、また最初から書き始める。
それが先ほど消したのと全く同じ文章だったのでルイサが訝しんでいると、案の定、さっきと同じところでユリウスはまた、違う、と呟いて文章を消してしまった。
これは、だめだわ。しばらくかかる。
ルイサは兄に聞こえないようにため息をついて、机を離れると後ろの椅子に座って読みかけの本を手に取った。
「それでは兄上、書けたら教えてくださいませ」
「うむ」
ユリウスは紙から顔を上げずに、生返事をしてよこした。
私の手紙には、何通送ったって一度だって返してもくださらなかったくせに。
それが少し面白くなかった。
子供のように鼻にしわを寄せて口を横に引いて、兄の背中を睨みつけた後で、ルイサは、肩肘を張ってペンを持つ兄の見慣れない姿を改めて見た。
いつも口には出さないが、命を懸けて国と人々を守る兄を尊敬していた。
兄は、立派な騎士だ。
けれど、兄自身がどう思っているのかは知らないが、人は剣だけでは生きていけない。
剣のようにシンプルなことばかりではない。
人は、研ぎ澄まされた剣のような状態をずっと保つことはできない。
弱音を吐く場所も、ほっと息をつく場所も必要だ。
人が生きるというのは、そういうことだ。
どんなに強い騎士でもそれは同じだと、ルイサは思う。
私だって、いずれはどこかにお嫁に行くのだ。いつまでも兄と一緒には暮らせない。
でも、両親が去り、私が去った後、兄は魔人との戦いを終えたらどこに帰ってくればいいのだろう。
厳しい戦いを終えて、一人この家に帰ってきて、次の戦いまでの間、また一人で過ごすのか。
だから、兄が手紙を書きたいという気持ちを抱く相手ができたのは、ルイサにとっても歓迎すべきことだった。
頑張ってお書きなさいませ。
ルイサは、優しい目で兄の背中を見つめた。
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