第6話 ルイサ

 その夜、豪族に供された宿でユリウスは一人、届いた手紙を取り出した。

 妹ルイサからの手紙は、簡単なものだった。

 おそらく、兄が一向に返信をよこさないことをまだ根に持っているのだろう。

 ごく簡潔な挨拶と、兄の体調を気遣う決まり文句、それから、兄宛ての手紙が届いていたので同封する、ということだけが書かれていた。

 以前の手紙にはいつも、彼女自身のことや両親のこと、屋敷の使用人たちのこと、屋敷の庭に咲く花のことや王都でのうわさ話まで、たくさんのことが実に楽しそうに書かれていた。

 書くことは嫌いなユリウスも、毎回届くたびにその手紙を楽しく読んだものだ。

 だが、今回の手紙には余計なことは何一つ書かれていない。もっといろいろと教えてほしければ、兄上の方から手紙を送ってこい、というルイサの意思が透けて見えるようで、思わずユリウスは苦笑した。

 問題は、もう一通だった。

 ユリウスのあて名が、美しい字で書かれていた。

 同じ女文字とはいえ、ルイサの字は健康的で活力に満ちていた。

 しかし、この字は、あの夜ユリウスが感じた華奢で儚げなカタリーナの印象そのものだった。

 同じ自分の名前を書いているというのに、字というのはこうも違うのだな。

 そんなことを思いながら、もう一度じっくりとその宛名を眺め、それから封書を裏返して差出人の名前を見た。

 カタリーナ・ダンタリア。

 あの夜の鮮やかな印象はいまだに胸に残っていたが、それもずいぶん遠くなったと思っていた。

 あれからすでに、三体の魔人を討ち果たしていた。剣に、生命を懸ける重さが取り戻されつつあるのを感じていた。

 だが、それでもこの名前を見ると、胸に華やいだ感情が蘇る。

 そして、最後の見送りに彼女が来なかったという苦い事実も。


 いまさら、何であろうか。


 小さく息を吸って、ユリウスは封を開けた。

 それから、手紙を取り出し、ゆっくりと開いた。



 ナーセリの王都郊外にある、ゼルド家の屋敷。

 ここは、騎士ユリウスの実家であった。

 日当たりのいい庭の花壇を飾る花に水をやるのは、ユリウスの妹ルイサの仕事だ。

 本当ならば使用人の誰かがやればいい仕事なのだが、幼いころから花が好きだったルイサが泣いてねだって、その仕事を自分のものにしたのだ。

 最初は、花を枯らしてしまわないようにと使用人たちが順番に付き添っていたが、一年もすると、全てルイサ一人に任せるようになった。

 この令嬢が、花に対する知識も愛情も溢れんばかりに持っていることを彼らも認めたからだ。

 それからもう何年も経つが、花壇の世話は変わらずルイサの仕事であり、ゼルド家の庭は年々華やかになっているともっぱらの評判だった。

 その日も、ルイサは庭先に出て花に水をやっていた。

 じょうろからこぼれる水が、小さな虹を作り、朝日できらきらと光る。

 花の一つひとつを確かめ、優しく話しかけながら水をやっていたルイサの耳が、聞き慣れた馬のひづめの音を捉えた。

「あら」

 ルイサは、じょうろを地面に置いて腰を伸ばした。

「お早いお帰りだこと」

 じきに、一人の騎士が姿を現した。

 愛馬が帰り慣れた家に向かって歩くのに任せているその馬上の騎士は、魔人討伐の旅に出ていたはずの兄ユリウスだった。

「お帰りなさいませ」

 ルイサは大きな声で兄に呼びかけた。

「ルイサか」

 妹に気付き、ユリウスはひらりと馬から飛び降りた。

「帰ったぞ」

「お帰りなさいませ」

 ルイサはもう一度言った。

「ずいぶんと早いお帰りでしたね。ご無事で何よりですわ」

「帰ってこぬわけにはいくまい」

 ユリウスは気まずそうな顔をした。

「そなたの手紙のせいだぞ」

「わたくしの、手紙」

 ルイサは一瞬きょとんとして、それからすぐに、ああ、と笑った。

「もう兄上には手紙は書かないつもりでおりましたけれど、あんなきれいな字のお手紙が隣国から届いたら、お知らせせぬわけには参りませんでしょう?」

「うむ」

 頷くユリウスを見て、ルイサは兄の顔をまじまじと見た。

「もしかして、兄上」

「なんだ」

「あのお手紙をご覧になったから、それで慌てて帰っていらっしゃったのですか」

「む」

 ユリウスが困った顔で口をつぐむ。

「あら、まあ」

 ルイサは手で口を押さえた。

「あのお手紙、いったいどんなことが書かれていたのでしょう。次の討伐の指令が届かなくても、辺境に留まって用もなくうろうろなさっているのが兄上という方ですのに」

「口を慎め、ルイサ。別に用もなくうろついていたわけではない。辺境にいた方が魔人が出た時に早急に対応できることも多かろう」

 ユリウスは顔をしかめて妹をそうたしなめた後、咳払いをした。

「それで、だ。ルイサ。そなたがここにいてちょうどよかった」

「はい」

 ルイサは勝気な目を瞬かせた。

「何でございましょう」

「うむ」

 ユリウスは言いづらそうな顔で、愛馬の鼻先を撫でた。

「頼みがある」

「はい」

 兄がそんなことを言い出すのは、珍しいことだ。

 ルイサはなぜか顔を赤らめている兄を、不思議そうに見た。

「……を教えてくれ」

「は?」

 ルイサは顔をしかめた。

 兄らしからぬ、やけに小さな声だった。そのうえ、鼻先を撫でられたユリウスの愛馬がいなないたので、良く聞こえなかった。

「なんですか? もう一度おっしゃってくださいませ」

「うむ、だから」

 ユリウスは困ったように馬を撫でまわす。そのせいで馬が嬉しそうにいななくものだから、ますます何を言っているのか分からない。ルイサはいらいらしてきた。

「馬を撫でるのはいったんおやめくださいませ」

 ルイサはぴしゃりと言った。

「はっきりとおっしゃいなさいませ。なんですか、ナーセリの騎士ともあろうお方がもじもじと」

「うむ」

 ユリウスは観念したように馬から手を離した。

「ルイサ」

「はい」

「私に、手紙の書き方を教えてくれ」

「手紙ですか。そんなこと、お安い御用です」

 ルイサは頷く。

「何です、その程度のことをもじもじと……」

 そこまで言いかけて、ルイサは兄という人間を思い出した。

 極端な文章嫌い。

 あんなにこまめに手紙を書いて送っていた健気な妹に、ついに一通の手紙も返してこなかった男。

 決して薄情者というわけではないのは、ルイサも知っている。

 とにかく兄は、筆を執るのが大嫌いなのだ。

 以前、たった二行かそこらの短い報告の文章を書くのに四苦八苦しているのを見たことがある。

 その兄が、手紙の書き方を教えろですって。

「え、ええ!?」

 思わず大きな声を出すと、今度はユリウスが顔をしかめた。

「なんだ、大きな声を出すな。みっともない」

 ユリウスは言った。

「騎士の妹ともあろう者が、人前でうろたえるな」


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