2024/08/13

 今年の大学の授業で私はとある言語学の授業を受けた。

 それはドイツの血が入った教授の授業だったからか、日本の教育が英語に傾きすぎているという話であった。


 しかし別に彼が間違っているわけではない。確かに日本では「外国人(特に白人)=英語」という意識は強い。

 実際母親と私が歩いていると、ティッシュ配りの人から英語で話しかけられたり、店に入ると英語で対応されたりするという気まずい思いをしてきた。英語のスキルがある程度ある人であれば自分が活躍したくなる気持ちはわかるが。

 だがまずは落ち着いてほしい。外国人=英語ではないことを理解してほしい。


 日本人は島で暮らしてきた民族で、自分たち以外に比較的人口の多い他民族がいなかったからか、容姿で日本人かどうかを判断しやすい。

 数人の友達に「どうやって相手が日本人だって判断する?」と言ったときに、「気をつかう」とか「空気読む」とか答えるが、ぶっちゃけ嘘である。

 ザアジア人という顔をしたときのみ、日本人は相手を日本人だと判断するのである。そうでないのであれば、他のアジア民族に英語ではなく日本語で最初話しかける理由がつかなくなる。


 多民族国家であれば話は違ってくる。例えばロシアではさまざまな人種がいるので、ロシア人と判断されるには発音が命となる。アジア人だろが白人だろうが、発音さえよければ、相手はロシア人だと判断するのだ。


 日本にいる白人はもちろんアメリカ人の可能性が一番高いが、もし英語で話しかけて相手がプライドの高いヨーロッパ人、もしくは20年以上日本に住んでいて日本語ペラペラな人間だったらつむじを曲げてしまうだろう。

 だからもし読者の皆様が白人に会う機会があったら、まずは日本語で話しかけてほしい。それで相手が理解しなかったら英語か別の言語で試す。その方針でいってほしい。


 英語は世界を知るためには大事だが、別に普段の日本での生活で使う機会はゼロに等しい。日本の学校教育もその点を意識して見直してもいいのではないかと思う。

 少なくとも理系が(リーディングが海外の学術論文を読むために使うとして)スピーキングやリスニングを頑張る必要はないと思う。


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