Op.1-49 – Distance
昼休みが終わると15分間の清掃時間となる。生徒たちはぞれぞれの持ち場へと移動し、掃除を始める。
クラスによって掃除場所は変更したり、しなかったりとそれぞれであるが、そこまで頻繁に行われることはない。光たち25Rは前期と後期で (鶴見高校は2学期制を採用している) 掃除場所をくじで決めるようにしている。
割り振られた掃除場所によっては他クラスの生徒たちと協力することがあり、昇降口の明里は正にその例である。
光は前期・後期通して教室掃除を引き当て、昼食を教室で摂ることが殆どであるため移動する必要がなく、また、単純作業であるために内心「運が良い」と喜んでいた。
明里がいないことで最初は話し相手がいないと不安ではあったものの、流石に1年ほどが経てばクラスメイトにも慣れ、初めの頃に比べれば打ち解けてきている。
それでも同じ掃除場所の生徒たちは頼みもしていないのに光のことを特別扱いし、重たい物を運ぶような役割を回さない。
正直に言うと光はクラスメイトとの距離を感じてしまって戸惑っているものの、華奢な光が机を運んだりする必要がないために黙ったままでいる。
光は自分のことを
親族や周りの大人たちにはよく言われてきたが、子供に対して皆んなそう言うと分かっていたし、同年代の女子から言われるのも「同性だから」と片付けていた。
しかし、実際には女子生徒を含めて光のことを学年、もっと言えば学年の枠を越えてこの鶴見高校で最も容姿の優れた女子生徒の1人であると殆どの生徒たちはみなしている。
思春期真っ只中の男子生徒が1人の女子生徒に対して面と向かって「可愛い」という単語を告げることの気恥ずかしさと緊張を光は理解しておらず、明里から時々言われる「あんた自分のこと可愛いって分かっとる?」という言葉に対してもいつも首を傾げている。
それどころか光はそう言う明里こそ真に人気ある女子だと思っており、自分のことを慰めてくれている優しい幼馴染みだといつも心の中で感謝している。
実際、男子たちが明里のことを噂しているのを聞いたことがあるし、つい今日、より親交が深まった沙耶もよく噂されているのを何となく知っている。
親や友人たちは「鈍感だ」、「天然だ」と時々自分のことをからかってくるが、ちゃんと自分だってこうした話に敏感なんだ、と内心「してやったり」といった感情を抱いている。
こうした周囲との少しの"ズレ"に自覚がないことや、独創的な音楽を創造する源にもなっているその独特な感性を知っている友人たちは光に対して「あんまり喋るな」と釘を刺しているのである。
「結城さん、ゴミ、こん中に入れてくれる?」
箒で教室の床を掃いて一ヶ所にゴミを集めていた光に井上が文化ちりとり (ふた付きのちりとりで置くとふた部分が閉まってゴミの散乱を防ぐ) を構えながら光に告げる。
教室掃除ではまず、椅子を逆さにして机の上に乗せ、そのまま教室の後ろへと運ぶ。その後、教室の前半分を箒で掃いた後にちりとりで取り、モップで床を磨いていく。
それが終わったら今度は机を教室の前方に机を運び出し、同じような行程を踏んで床を掃除し、最後には机を所定の位置に戻して椅子を下ろす。この際、床には机の位置を示すマーカーが残っており、それを頼りに机の足を合わせれば机は等間隔に並び、綺麗に整列した状態となる。
他にも黒板を消した後に粉受 (ボードの下の辺にある細長いトレイの部分。チョークを置いている部分) を掃除し、黒板消しをクリーナーで綺麗にする者や (早めに終われば机並びなどに参加する)、 教室前の廊下を掃除する者などもいるが大体は教室内の掃除が主な仕事となる。
光本人は「楽できそう」と言う理由で黒板消しをやりたいと思っていたものの、教室掃除の他の面々は「光にそんな制服や手が汚れるような仕事をさせられない」という理由でやらせず、箒で床を掃く役割を任せている。
一方で光は「やっぱり黒板消しは人気なのか」と残念に思っており、ここでもクラスメイトとの認識の違いが生じている。
「ありがとう」
光は井上にそう告げると2人で協力して床のゴミを掃除していく。それが終わったのを見ると
腕の細い光は、ステージ上で力強い演奏をするのとは打って変わって机1つを運ぶのにも他の者たちより時間がかかる。また、変に拘りがあるが故に最後の机並べでは印に対して正確に置こうとするため、より時間がかかってしまう。
それもあってか最後の机を引いて並べる作業では他の清掃場所から帰ってきた生徒たちが率先して協力する。(他クラスでは手伝わずに静観していることが多く、言われるまで積極的に手伝おうとはしない)
今日も例に漏れず、明里や沙耶 (とは言っても沙耶も身長が低く非力なため、あまり戦力にはなっていない) を始めとした、他の掃除場所から戻ってきたクラスメイトたちが光たち教室掃除の面々を手伝う。
明里はこの生徒たちの姿は偶然ではなく、光の姿につられているのではと推測している。
これは光の恵まれた容姿が主な原因なわけではなく、やはりここでも光の、人を惹きつける不思議な特性にあるのではないかと明里は感じている。
これまで光は (勿論、本人の才能と努力が1番の要因であるが) 何かと周囲の協力を簡単に得ては難しいことを成し遂げてしまう傾向があった。世界的に活躍する瀧野が多忙な中で唯一、レッスンしているという事実が最たる例である。
勿論、ピアノが上手いというのは最低条件で、それ以上に光の中にある、言葉ではなかなか上手く言い表すことができない魅力が人を惹きつけるのだ。
「私、会う人、会う人、皆んな良い人っちゃん。明里も含めてね」
光は前にそんなことを言っていたが、まさしくその通りで、光と知り合う人はいつの間にかあれこれと手を差し伸べていく。
光の、高嶺の花ともいえる容姿や物静かな雰囲気から声をかけ辛いと思われる一方で、「助けてあげたい」と積極的に力を貸したくなるという奇妙な感情・行動の融合の正体を、小さい頃からと共に過ごしてきた幼馴染みの明里ですらもよく分かっていない。
その"何か"が光の人間的魅力を形成し、彼女の、他の誰も持ち得ない音楽観を編み出しているのだと明里は確信している。
いつも通り戻ってきた生徒たちの殆どは、率先して自分たちの机を整列させて午後の授業に向けての準備をそれぞれ進めていくのだった。
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