Op.1-47 – The End of A.M.

「礼!」

「ありがとうございました!」

「はい、お疲れ様、ありがとうございました。」


 織田おだ 知之ともゆきの号令で4限目の授業が終了する。この日の日直である青木と井上は2人とも生物選択であるため、物理教科連絡員である織田が代わりに号令をかけたのである。

 

 理系選択者は化学は必修として理系3科目 (物理、生物、地学) の中から1科目を選ぶこととなっている。

 地学を受験科目としている大学が少なく、第一志望校で受験できたとしても他の大学で使えないといったことが多いなどの特性から地学を選択する生徒は、特に理系であれば皆無で、実質『化学・物理』選択者と『化学・生物』選択者で分かれる。


 光は物理分野の内容が好みであり、得意であること、また、「生物は生物せいぶつとも生物いきものとも生物なまものとも呼べて紛らわしいから嫌い」という謎の主張の下、元より生物は選択肢になく、物理を選んだ。

 明里はどちらにしようか悩んだ末に物理を選択し、沙耶も同じく物理を選択している。


「織田くん、ちょっと来てくれるかいな?」


 物理担当の水野みずの 凛太郎りんたろうは教科連絡員の織田を呼び、次の授業に必要なものや返却物などを手渡している。

 

 水野は優しい性格で、更にユーモアたっぷりな先生として生徒たちから絶大な人気を誇る。授業中は様々なギャグを駆使して生徒たちを飽きさせないように工夫を凝らし、その教え方も非常に分かりやすいことでも定評がある。

 また、学生たちに疲れが見るや始まる彼の雑談タイムでは涙を浮かべながら笑う者たちが多発するほどに話術に長けている。

 

 水野は42歳で、古き良き博多弁といった具合の方言を使い、テレビで人気を博している博多出身芸人である『博多大丸小吉』と似たような話し方をする。

 また、恰幅かっぷくの良いその体型から「可愛い」と言って女子からの人気も高く、ゆるキャラ的立ち位置にいる。


 鶴見高校でも1、2を争う人気教師と言っても過言ではない。そんな水野は受験生である3年生の学年主任を務め、その明るさと優しさで受験という難しい時期を支えていたようだ。


 今日の雑談では珍しくしんみりとしており、3日後の3月4日 (土) にある卒業式のことを考えると寂しいといった内容だった。

 結局その後は3年生の先輩たちの面白話で時間は過ぎたものの、その前半の様子は心の底から悲しみにくれていることが分かり、「なんて良い先生なんだ」というイメージを生徒たちに更に植えつけた。


「でも、どうせうちらの学年主任にならんばい?」


 沙耶は4階にある物理講義室から出て階段を降り、25Rへと移動しながら光と明里に話しかける。


「そうねぇ、流れ的に小池先生やね」


 明里も頷く。現在、2年生の学年主任を務めるのは小池丈一郎。彼は1年生の頃から光たちの学年の学年主任を務めており、これまでや他の学年の傾向を考えるとそのまま持ち上がりで来年も学年主任を務めることは濃厚である。


 小池は水野とは正反対に厳しく真面目な性格で、水野のような良い意味での適当さがあまり無い。2年生の時点で「受験に向けて……」といった話が多く (勿論、学年主任としての立場、受験に向けて早目に準備することは大切であると分かってはいるものの)、来年にはどんなプレッシャーを与えられるのかと戦々恐々としている生徒は多い。

 また、水野とは違って小池は鶴見高校OBで、「九州随一の進学校として」だとか、「鶴見生として」といった決まり文句が多く、生徒たちはそれらに辟易している、というのが正直な現状だ。


「はぁ」


 明里と沙耶は同時に溜め息をつく。光はこの学年では珍しく、小池のことを別に嫌っていない。そもそも光は大人の扱いが上手く、どの先生に対しても苦手意識はなく、同時に何とも思っていない。

 適当に相手しておけば自分の不利益になることはない、ゲームにおける手を出さなければ攻撃してこないその辺にいるモンスターくらいにしか思っていないのかもしれない、そう明里は光の考えを予想している。"モンスター"といった点は同意できるところではあるが。


「一緒にご飯食べよ?」


 階段を降りて右に曲がり (階段は2箇所あり、23Rと女子トイレを間にある階段、27Rと男子トイレの間にある階段)、男子トイレを通り過ぎて26Rの前に差し掛かったところで沙耶が光と明里に尋ねる。


「もちろん」


 光と明里はほぼ同時に答え、3人は25Rへと戻っていく。


「でも沙耶ちゃんとは今までもたまに一緒に食べてる感じやなかった?」


 教室に戻った光は物理の教材を学生鞄の中に片付けながら沙耶に尋ねる。教科書を片付けた後に机のフックに掛けてあるリュックへと移り、底に手を入れて弁当箱を探る。


「どうしたの?」


 返答しない沙耶を不思議に思った光は沙耶の方を向く。


「そういうことじゃないもん」


 少し不満気な表情を浮かべる沙耶に光は疑問に思い、丁度自分の席から移動してきた明里に助けを求めるかのように見つめる。


「ほら、これまでは私が光のとこ来て食べとったやん? 最近は後ろに沙耶がおるけん、時々、沙耶も会話に入っとったけど約束して3人でって感じやなかったけんやろ」


 事情を聞いた明里は光に説明する。


「あ! これまではついでに喋ってるって感じだったからか!」

「まぁ簡単に言ったらそうやけど、ハッキリ言い過ぎやろ……」


 光は「しまった」という顔をして沙耶の方を見る。


「どうせ私はついでの女ですよ」

「ごめんね、沙耶ちゃん」


 いじける沙耶に光は軽く抱きついてご機嫌を取る。明里はやれやれといった表情でその様子を見ながら、光の隣の席の椅子を引きながら教室の廊下側の方で友人と既に食事を始めている矢野やの 大成たいせいに向けて「席借りるよ」と少し大きめの声で尋ね、「OK」と矢野も応じる。


 3人は座って向かい合いながら各々の弁当を広げ、互いの中身を見せ合う。


「光ちゃん、少なくない?」

「あんまりいっぱい食べれなくて」

「いや、私や沙耶のも多くないよ」


 光は小さい頃から食が細く、また、食べるのも遅いため、弁当の中身は女子の中でも少ない。また、偏食であることを明里は知っており、何も言われなければ「食べない」または「お菓子」で済ませてしまう幼馴染みに対して心配するのと同時に狂気を感じている。


「広瀬、あのさ……」


 3人で談笑をしている間に明里に西野が話しかける。


「何?」


 明里は光と沙耶との会話の余韻で笑顔を浮かべつつ西野の方を向いて聞き返す。


「あ、えっと……、何もないわ」


 楽しそうな表情を浮かべる明里とは対照的に少し深刻そうな表情を浮かべている西野ではあるが、明里たちに水を差すことを躊躇い、そのまま友人たちの元へと戻っていった。


「何それ」


 明里は首を傾げつつもその時には深刻に捉えず、光と沙耶との会話に戻る。


 この時、西野が心に留めた言葉が放課後に大きな問題を引き起こすこととなる。


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