Op.1-46 – Together

 25Rの女生徒、光、明里、沙耶の3人は鶴見高校第1棟・2階にある職員室へと入室し、そのまま奥へと進み、壁を隔てて向こう側にある英語科教師たちが座る場所へと移動する。


 数学・国語科の職員が座るエリアと壁で隔てられているとはいえ、扉で仕切られているわけではなく、左右端にある空間から自由に出入りすることができるようになっている。


「失礼しま〜す。教科連絡員でーす。小池先生から言われてワーク運びにきました」


 光はそう言って小池の机へと向かう。隣に座っていた英語教諭・前迫まえさこがずれていたレンズの大きな眼鏡を直した後に光たちに告げる。


「小池先生、まだ2限目の授業から戻ってきとらんけん、机の上に置いてるワーク持ってっとって良いよ。小池先生には先生が言っとくけん」


 前迫は70歳近いベテランの男性教師で、非常勤教師として現在は鶴見高校に勤務している。前迫は穏やかな性格の持ち主でそれ故に生徒たちからの人気も高い。

 光はこれまで前迫の授業を受けたことはないものの、2年連続で英語教科連絡員として小池の元を訪ねることが多く、その度に顔を合わせていたために光は前迫に覚えられたのだ。


 小池が不在の時には前迫は光によく密かにキャンディーやポッキーといったお菓子を与え、光も遠慮なくそれを受け取っていた。よく手伝いにくる明里も例外なく貰っており、前迫からは「小池先生には内緒よ〜」と口止めされている。

 

 明里は学級委員を担っている以上、わざわざ小池に言うものかと思っているのだが、一方の光は「これ前迫先生がくれました」とたまに小池に自慢している。

 その姿に明里は内心ひやひやしているのだが、光も小池の機嫌を見ているのと何より前迫から貰ったお菓子を小池にも分けており、年寄りの扱いが上手いなと感心させられている。


 光曰く、小池にお菓子を分けている時は大概、前迫から貰ったお菓子が自分の好みのものでなかった時のようだ。

 「とんでもない奴だ」と明里は思うのと同時に上手いこと世渡りしているあたり、決してコミュニケーションが不得意で普段静かにしているわけではないのだと気付かされる。


 明里や信頼している友人たちから「変なのがバレるけん、あまり喋らん方がいい」という言いつけを守っているのもあるのだろうが、恐らく光の中で他の生徒たちと騒ぐのは単純に疲れるのと時間の無駄だという思いもあるのだろう。

 

 光がここぞという時に発揮する社交性は目を見張るものがある。普段から多くの人の相手をしている明里とは違って省エネで効率的である。その点は見習わないとなと時々明里は思わせられているのである。


「あら今村さん、珍しいね。元気しとった?」

「はい」


 沙耶に気付いた前迫に話しかけられて嬉しそうに沙耶は答える。後に光と明里が聞いたところによるとそ沙耶は去年、前迫から英語を習っていたようで覚えられていたようだった。


 3人は前迫から4つずつ果物キャンディーを受け取るとそのままワークを持ち出して職員室を後にする。


「失礼しました」


 3人ともそういうと職員室の引き戸を閉め、渡り廊下へと再び向かった。


「げっ」


 正面から教材を右手に持った小池が不機嫌そうに左手で自分の左太ももを一定のリズムで叩きながら早歩きで職員室に向かっているところだった。


「こんにちは」


 3人は明らかに不機嫌そうではあるが、教師とすれ違う際には会釈をすることが暗黙のルールとなっているため、挨拶する。


「何チンタラしとっと? 授業もうすぐやろ?」


 小池に言われ光は「ごめんなさい」と素直に謝る。小池の小言は更に続く。


「ワーク運ぶらいに3人もいらんやろ。ピーチクパーチクくっちゃべっとるけん、ギリギリになるったい」

「はーい、ごめんなさーい」


 光は小池の言っていることを適当に受け流し、そのまま教室へと向かう。


「めっちゃ機嫌悪いやん」


 少し離れてから沙耶が2人に言う。光は肩をすくめながらそれに答える。


「結構あるよ? 別に本気で怒っとる時やないけん大丈夫」

「何かそういうサインがあると?」

「勘たい」


 沙耶の疑問に対して明里が間髪入れずに答える。


「2年間も丈一郎おじいちゃんの相手しとったら分かるようになるっちゃん。それにめちゃめちゃ酷いことせんとけば適当に話流しても大丈夫とよ? 皆んなが言うほど悪い人ではないけん。面倒くさいだけで」


 「面倒くさいのが問題なのでは?」と言いそうになるのを抑えながら沙耶は「へぇ〜」と言って感心する。


「ま、忘れずにワーク取りに行っとるけん、怒られることはなか」


 明里はそう補足して手に持っている15冊ほどのワークを並べ替えている。これと同じことを光もやっているようだ。


「何しよん?」

「席順に並べとる。大体覚えとるけん」

「すご」


 沙耶は目を丸くしながら光と明里の作業を眺めている。


「まぁ、板書よう当てるけん、席覚えるんよ。今日はワークの解説で返却が今日やったけん、当てんで良かったっちゃけどね。これでおじいちゃんが来る前に終わらせとけばお咎め無しよ。おじいちゃんが遅刻するだけやけん」


 休み時間が終わるまで残り3分ほど。恐らく小池は少し遅れるだろう。自分が遅れた手前、光たちの作業が少し遅くなっても小言は言い辛い。ましてや配り終わっていれば何も言えることはないのだ。自分の落ち度を気にする小池の性格をよく分かった上での2人の行動だ。


「(私も少しやろ)」


 沙耶も覚えている分だけは仕分けし、教室に着いてからすぐに3人で英語のワークの返却ができるように準備をし始めた。


「廊下を走るなー」


 2年生の階では大慌てで教室に戻る生徒たちに教師が注意している。光たちはその横を早歩きで通り過ぎて25Rへと戻っていく。


「手伝おうか?」

「ありがとう」


 ワークの返却をしていると数名の生徒が名乗り出て手伝い始め、あっという間にその作業は終わり、まだ予鈴が鳴っている間に光、明里、沙耶の3人は自分の席につくことができた。


「完璧やったね」


 沙耶は自分の前に座る光に告げ、光も「沙耶ちゃん、手伝ってくれてありがとう」と返す。その様子を遠目に見ていた明里に気付いた2人は明里に向かって軽く親指を立てて讃え合う。


「はーい、始めるぞ〜」


 予鈴が鳴り終わって3分ほどしてから小池が25Rの教室に入ってきて教卓へと向かう。


「起立」


 青木の声が響く。


「気をつけ」


 沙耶は人差し指でトントンと机の脚を軽く叩く。


「礼」

「お願いします」

「はい、お願いします」


 授業前の挨拶が終わって席についた時、沙耶は少し上機嫌な表情を浮かべていた。


「(光ちゃんが言ってたみたいに4拍子だ!)」


 沙耶は光がやっていた通りのテンポで刻み、青木の号令の拍を刻んでいたのである。


 一方で光はすぐ後ろから微かに聞こえてくる、指と金属が衝突する鈍い音に気付いており、沙耶がリズムを計っているのだと瞬時に理解して顔がほころぶのを必死に我慢していた。


 2人に共通するそのテンポとリズムは『青木の号令』という"1曲"を通してステージに立つ共演者のように光と沙耶の心を近付けるのだった。


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