Op.1-3 – Lunch Time

 部屋の壁は白を基調としており、正面には窓が配置されている。窓の隣にはホワイトボードカレンダーが掛けられていて、3月のスケジュールが丁寧な文字で書き込まれている。

 窓の下には勉強机が置かれ、机上の左端にある小さな照明の隣には小さな本棚がある。そこにはよく使う教科書や資料集、問題集が教科ごとに綺麗に並べられ、いつでも手元に置けるようになっている。その本棚の前には13インチのWac book proが蓋を閉じて置かれ、HDMIケーブルが本棚の右端から机の端に向けて斜めに置かれている27インチのモニターに接続している。


 部屋の右角にはベランダの掃き出し窓に沿って縦に水色を基調としたベッドが置かれているが、光の部屋が同年代の他の女の子と少し違ってユニークなのは、ベッドと机の間にX型2段キーボードスタンドが置かれて下段には88鍵のHAYAMA製のシンセサイザー・"MDX88"が、上段には49鍵のNORK製のシンセサイザー・"NORK 2X"が置かれている。シンセの両端にはアンプスタンドが配置され、その上にはHAYAMA製のモニターアンプが置かれている。


 シンセと机の間にはスペースがあり、それによって低音部分を弾く際に手が机にぶつかってしまうリスクが解消されている。そしてそのスペース丁度に収まる幅を持ち、高さは机くらいで3つの引き出しを持つ小さめの収納BOXが置かれている。引き出しの中には数種類のオーディオインターフェイスやイヤホンジャックアダプター、モニターヘッドホン、シールドなどが収納されている。

 私はそのシンセと机のスペースを作り出している収納BOXの前に光の学生鞄を置いた。彼女はいつもここに学生鞄を置き、前日の準備を済ませている。


 その後、私は左の方を向き直り、机の左端に備え付けられているフックにリュックを掛ける。部屋の左側にはクローゼットがあり、布団の替えのシーツや暫く着ることのない衣服やコートが収納されている。クローゼットの隣には大きな組み立て式の本棚が置かれている。

 光が小さい頃に読んでいた児童書や最近読んでいる小説、楽典やその他音楽にまつわる参考書、少女漫画や明里ちゃんの影響で読み始めた少年漫画が並ぶ。最近は少年漫画の数が増えてきており、『霊術廻戦』やら『TRACKER』やら『Wonder × Wonder』やら『猫夜叉』などが並び、夫の和真まで嵌って読んでいる始末である。かく言う私も時々アニメを観ては楽しんでしまっている。


 私はそれらを見てクスッと笑った後にベッドの足元にある洋服ダンスを見て、娘が帰ってくる直前に洗濯機が洗濯が終了したことを知らせる音が鳴ったのを思い出した。


「(とっとと干しちゃわないとなー。というか気温低いみたいだけどちゃんと乾くかしら? 乾燥機使うかなー)」


 そんなことを考えている間に手洗い・うがいを済ませた光が部屋に入ってきた。


「お母さん、おうどん早く食べたーい」

「あ、うん。ごめん、ごめん。直ぐ作るわね。着替えといで」


 私はそう答えると部屋を出ようとする。


「あっ、光。ごめんだけど洗濯物、乾燥機に入れておいてくれない? それともお父さんのパンツ触るの嫌だ?」


 昨晩観ていたバラエティー番組に出演していた光と同世代の2世タレントの女の子が「父親の下着や服に触るのが嫌だ」だとか「洗濯は別々にしている」だとか言っていて、思春期の女の子はそんな感じなのかとショックを受けていた夫を思い返して笑いを堪えながら光に尋ねた。


「え? 別に気にしないけど」


 光はそう言うとそのまま部屋の中に入ってタンスの中を開けて部屋着を探し始めた。

 昨日今日のテレビで知ったことを話している自分に対して「自分も和真に対して何も言えないな」そう思って自虐的な笑みを浮かべながら私はキッチンへと向かう。


 その間、明里ちゃんから通話が来たのだろうか、光の部屋から微かに声が聞こえてきた。

 光は基本的に家の中では博多弁を使わない。それは私が神奈川県の出身で方言があまり無いことと、和真も学会で様々な県に行くことが多いので標準語で話すことが多い為だろう。

 階下に住む幼馴染みの明里ちゃんとの会話を聞いていると、普段あまり見せない博多弁を話す娘の姿がとても愛らしく思える。


 キッチンに着いた私は早速うどん作りに取り組み始めた。鍋に水、昆布、頭と腹わたを取ったいりこを入れて中火にかけ、10分くらいかけて沸騰させる。

 昆布が柔らかくなったのを確認して取り出した後に鰹節を加えてひと煮立ちしたら火を止め、あくをすくい、しばらく置いておく。その後ざるに布巾を敷き、出汁をこす。その出汁にみりん、酒、塩、砂糖、薄口醤油、酢を適量ずつ順番に入れて味付けを施す。

 冷凍庫から取り出した冷凍うどんをたっぷりのお湯に入れて茹でる。その間に冷蔵庫から適当な具材を取り出して準備を行う。茹で上がったうどんをざるに上げて水で締めた後に温めた汁にうどんを入れて上に具材を乗っける。


 うどんを入れた器からは湯気が立ち上り、魚介の風味を漂わせ食欲をそそる。つゆは透明で美しさすら感じさせる。


 私はすでにテーブルについてぼーっとテレビを眺めている光の元へと出来上がったうどんを運んだ。彼女は私が作っている間に洗濯物を乾燥機に入れ、テーブルにランチョンマットを私のと合わせて2人分用意し、箸や麦茶、コップを綺麗に並べていた。


「いただきます」


 私たちはほぼ同時にそう言ってうどんを食べ始める。「美味しい」そう言いながら食べる娘を見つめながら私もうどんを口に運ぶ。光はうどんの上に乗っているごぼ天をとっとと食べてしまう。曰く、スープに浸かり過ぎて柔らかくなった天ぷらは彼女の好みではないらしい。私も基本的にその意見に賛成だが、あまりにも直ぐ食べてしまうのでうどんに乗っけた意味がないような気がして笑いそうになってしまう。

 そんな私の思考を知る由もない光は美味しそうに、時々「あっつ」と言いながらうどんを食べている。


 最近の娘を見ていて「大きくなったなぁ……」と成長を喜ぶ反面、どこか遠くへ行ってしまった気がして少し寂しい気持ちを持っていた私だが、目の前の娘の姿を見るとまだ幼さが残っていることに安心感を覚える。また、娘はあまりはっちゃけるタイプではないのでこうした子供らしい姿を見られるのが嬉しいのだ。


「ごちそうさま」


 光はそう言って器をキッチンに持って行って食器を洗ってくれた。こうした小さな手伝いが後々私を楽にしてくれることを彼女は知っているのだ。

 その後、テレビを見ながら2人で談笑し、ゆっくりと時間が過ぎた。


「よし」


 不意に光が声を出した。


「(そろそろ始めるのかな)」


 私はこの後の光の行動が分かっている。


 私たち家族の家は3LDKの間取りで私たち夫婦の寝室、光の部屋、そしてもう一つ部屋が用意されている。そこは夫が苦労して、吸音材を設置するなどして可能な限り防音対策を施した部屋である。

 そこには消音付きのアップライトピアノが備わっており、光のピアノの練習部屋でもある。


 テスト期間でいつもよりピアノを触る時間が短かったために鬱憤が溜まっているのだろう。光は軽い足取りでその部屋へと向かって行った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る